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今夜もおいしい栗料理を

からりと抜ける空を泳ぎながら、秋の訪れに目を向けていた。

当分乗らなかったマウンテンバイクに跨って見慣れた空を掻き分けていくと、おおきな栗の木が何本も生えた栗畑がある。
例によってそばまですいすい向かうと、スーツ姿の男性が慣れない手つきで毬栗にスマートフォンのレンズを向けている。

陽がぐっと力強く射しこむ下で、ぴんと四方八方に伸びた毬。中心には、傷ひとつないつるりとした栗の実が大事そうにくるまれていて、ちょびっとでも触れたもんなら、こちらに向かって毬が飛びかかってきそうだ。

自ら発光しているような若草色だった毬栗は、だんだんと黄みを帯びていき、いわゆる栗色になった頃に”ぱちん”と弾けて実が飛び出す。
栗の実が飛び出す瞬間はみたことがないので、もしかしたら”すぽーーーーん”と出てくるのかもしれないし、実たちがひしめき合って”ぎりり……”と出てくるのかもしれない。
いずれにせよ、毬に守られているだけだった我が実を、彼らは自ずから放り出しているわけで、外の空気にふれたときからもうすっかり一人前なのである。
もしかすると、実を投げ出したそのときから、彼らにとっての全うした晩節というのは、おいしくたべてもらうことではないのか。

栗が毬にくるまれている理由は、動物や人間から実を守るためではなく、虫に実を食われてしまわないためだといわれている。
つまり、傷ひとつない、虫食いでもない、うつくしい状態のまま、一番おいしくなるときまでじっと実を潜めて、ここぞというときに実ぐるみを剥がして、今だ!と弾け飛ぶのだ。「おいしくなったよ!」と。
あとはちいさなからだで、各々理想の実拵みごしらえを待ち望むのみ。


毬のすきまから陽のひかりが射しこむのをみて、彼らはおとなになる準備をする。
時がくるのを待って、ふたつとなりの木の下まで元気よく飛んだ彼は、外の世界に出たら渋皮煮としておいしくたべてもらうのが夢だった。
ほんのり洋酒の香るこっくり甘い渋皮煮。宝石のような艶麗さにあこがれて長い年月を過ごした。

「ぼくは、う~んとあまくて、でもおとなないちめんもあって、みためもきれいで、おもわず口もとをゆるめちゃうような栗になるんだ!
ちかごろのにんげんたちはみんなよゆうがないかおをしているから」

「かんろに(甘露煮)もすてがたいけど、すっぱだかにされちゃうのはやっぱりはずかしいなって。やさしいひとにたべてもらいたいし」

ふふ。少しも渋皮を傷付けずに、鬼皮を丁寧に剥いてくれる人が、やさしくないわけないものね。

「やさしいひとがぼくを煮て、つかれているひとにたべさせたらいいさ。きっとえがおになっちゃうんだから」


ひとつ手前のひとまわりちいさな木の木陰でうとうとしている彼は、透けるようにつややかな白米と共にふっくら炊かれる夢をみていた。

「ぼくはね、ぜったいふっかふかのごはんにつつまれながらねむりたいの。あっちもこっちも、もちもちふかふかで…… ふあ〜、ねむたくなってきちゃった。

だって、とってもあたたかそうでしょう?
いがのなかはきゅうくつでよくねむれなかったんだ」

「おじいちゃんがね、ぼくたちはつやつやでまるまるしているほうがおいしいからたべてもらいやすいって。だからぼく、たくさんねむっておおきくなったんだ」


他にもきんとんであったり、モンブランであったり、強さに守られたみなの未来はうんと甘くてやさしい。
彼らの甘い未来のために、心を鬼にして針を四方に向ける毬はなんてうつくしいんだろう。

大切に思うものが明瞭になっていくにつれて、守るための強さというものがむくむくと湧いてきている感じがする。

守りたいもの。
悠々のびやかな暮らし。日ごと変わる風の肌触り。足の甲をひやりとなでる川のゆらぎ。素材から発される声。毛羽立った心を整えるための拠りどころ。うつくしいものごとをうつくしいと思う気持ち。愛する者たちの寧静。生きる意志をもつ者すべて。

なんでもかんでもやさしくいることが相手を守ることになるとは限らない。
毬栗をみていてハッとした。もう少し力強く生きてもいいのだ。
おだやかに生きているつもりで、なにも守れてはいなかったのかもしれない。じっと息をひそめているのはもう窮屈で、おおらかでいてよりたくましく生きるべきなのだ。
きっと毬のなかから弾ける瞬間の彼らも同じ気持ちにちがいない。ひとりの栗として、自分の未来に守るべき夢を見つけたのだ。

守りたいものたちがみなすこやかであるために、わたしは臆さずしゃんと背筋をのばして(背筋がのばせなくなるときまで)、毬のように力強く、時には攻撃をするかたちになったとしても、生きていく。

先に栗をみつめていたスーツ姿の彼が守りたいものたちも、どうかすこやかでありますようにと願って、坂道を駆け下る。

どこからか秋刀魚の焼ける香りがした。ひりつくほどに秋である。

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