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可愛い子には、声をかけよ。

地域活動の話である。
どうか怪しさが出ないようにと願いながらタイトルを付けた。

子どもは可愛い。
自分もテンションが上がると、はしゃいだり飛び上がったりする子どもじみた中年であると自覚してはいるのだが、本物の子どもがやっぱり可愛い。乳幼児ももちろん可愛いが、今日は小学生の話をしたい。

決まった地点に立って、下校する小学生に声をかける見守り当番にこの春から加わった。もちろん毎日ではなく、多くて週2くらいのものだ。
おかえり、おつかれさま、気を付けてね、などと声をかける。

我が子が帰宅したらそのまま一緒に帰る適当な日もある。そうやって、ゆるくでもやってくれる保護者が1人でも増えたらいいなと思う。

にこにこして手を振ってくれる子もいれば、ぺこりとお辞儀だけしてくれる子もいる。学校であったことをしゃべってくれるのは低学年の女の子たちで、おばさん歌歌ってよと無茶ぶりしてくるのは高学年の女の子たちだ。
自分が小学生のときは、近所の大人にこんなに話しかけることができていたんだっけ。全然思い出せない。

そう言えば、小学1年生のとき、一人で下校中、男性が2人乗った車が私の横にスッと停まり、「〇〇へはどうやって行ったらいいか教えて」と訊かれ、知っている場所だったので嬉々として答えたことがある。

そのことを夜になって得意げに母に話すと、母は驚き、戦慄が走ったのだろう。翌日、息巻いて私の担任の先生に報告しに行ったのを覚えている。
平成元年、東京と埼玉で起きた連続幼女誘拐殺人事件で、日本中が震撼していた時期でもあった。母がそれを意識していることは十分に伝わってきた。

「もし、その男たちが変質者だったら…知ちゃんもさらわれていたかもしれないんだよ、知ちゃん、車が近づいてきたら、絶対に逃げるんだよ、大声出して逃げるんだよ!」

今思えば母は怖くて仕方なかっただろう。あのとき、男性たちを全く怪しく思わなかった私だが、子を持ち、今頃になってやっとそのときの母の不安と恐怖に共鳴して、震えあがってしまう。その後も痴漢に数回追いかけられたこともあるし、いくつかの危機を運よく乗り越えて大人になれたんだなぁと思う。

防災のジャケットを着ていないと子どもに声もかけられない、と嘆く年配の方がいた。本当に嘆かわしい。不審者情報のメールが警察から配信されるサービスに登録しているのだが、「声掛け事案」の通知がたまに来る。怪しい大人が増えたのだろうか?よくわからないけれど、「何を考えているかわからない大人」は増えているかもしれない。自分も含め、スマホしか見てない大人が増えたことや、またマスク社会もそれを助長しただろう。怪しい大人はもちろんだが、過度に怪しむ大人にも何か問題がありそう。

だからこそ、我こそは“安全な大人だ“と思う方には、近所の子どもたちに笑顔で声をかけていただきたい。近所の人の目は1つでも2つでも多い方がよく、子どもにとっては心強く、怪しい人間にとっては脅威なはず。

ちなみに私は、“挙動不審であることを自覚している安全な大人”のつもりなので、周りに怪しまれずに声をかける口実がほしくて、子ども見守り当番の防災ジャケット(名前入りの蛍光オレンジのメッシュのやつ)を着て、堂々と小学生に声をかける。

3年生まではニコニコ笑ってくれていたのに、4年生になった途端、チラッとこちらを見るだけでスルーする子も出てきた。寂しい。でも可愛い。そうこなくっちゃね。支援くさいおばさんってウザくなってくるよね。
そうやって、大人になっていけるよう、心から願っている。


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長橋 知子
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