ほんの少しの変化でも。
この数年で、物事や出来事に対する感じ方、捉え方、考え方の変化を自分自身に感じている。
noteを書いている人なら、特にそう感じる方も多いのではないだろうか。
意識の変容は、一日にして成らず、ということをしみじみと感じ入る2024年のおわり。
それでも、この一年の間で、急速に変化したものがある。それは、
自分に対して長年持ち続けていたこのような思いが、ほぼなくなっていることだ。
自分のなかでは信じられない変化である…!
この一年、今までと何が違ったのか?
もちろん2022年、2023年からのバトンを受け継いで徐々に変容していったものもあるのだが、一番は、
「自分の内側ととことん向き合い、文章を書いてみたこと」が大きかったのではないか、と思う。
一年前、人に対して感情的になってしまう出来事があり、
「これは私の捉え方の癖なのでは」という疑惑を持ったことから、関連があると自覚した父への思いや、乗り越えたと思おうとしていた経験や感情と向き合うことにし、それをkindle書籍に記すことにした。
しかし、書きたい、書いてみるぞ、と思うものの、向き合うたびに寝込みたくなるような感情に翻弄され、途中、後頭部のリンパが腫れたり、アトピーが悪化したりもした。
もちろん、原因は定かではないのだけれど。
それでも「書く」ために、乗り越えたい課題を意識しながら過ごした一年で、一つ問いを立てては答えを探し、さらに問いを立てては、思いを巡らせ、それを延々と繰り返すうちに、なんとか、本当になんとかかんとか、書き上げることができた。
書き上げたものに対する思い入れももちろんあるのだが、今、それ以上に愛着を感じるのは、何より、それを書き上げた自分自身である。
自分が乗り越えたくて書いたものであって、正直、どなたかに読んでもらって何かを感じていただけるものになっているのか、そのあたりには自信がない。さらに、親のことをさらけ出して書いたので、親に対する罪悪感もないわけではない。
だけど、私がこれから「私の人生」を生きるために書いたので、自信のなさも罪悪感も、あまり気にならないかも、というのが正直なところである。
これを何というんだろうか。
もがきながらも必死に乗り越えようとしている自分が好きで、
こんな状態だからこそ、オンライン、オフラインともに繋がりたい人と繋がれて、
そしてその人たちとの関わりが自分自身のエネルギーになっているような多幸感に、包まれている。
これを、等身大の自信、と呼んでいいだろうか?
この自分で生きていって大丈夫だ、楽しそうだと思えている。
書き上がった書籍は、決して大きな変化を綴ったものではなく、ほんのわずかな意識の変容を書いたものにすぎない。それでも、そんな小さな変化がどなたかの悩みや、生きづらさに、少しでも寄り添えたらどんなにいいだろうと願わずにはいられない。そう思える自分に心から安堵してもいる。
12月25日のクリスマスにリリースしたいと思う。
この日は、幼少期の私にとって、「心の休戦日」でもある。
書籍のタイトルは、
「機能不全家族で育ったピエロにはACの父がおりまして」
~もう邪魔しないでよ、お父さん~
です。