もう搾取されたくないという本音。
以前、お世話になっていたweb広告の会社のことを最近よく考えている。
主にYouTube広告や、Facebook広告を作って、運用代行をして、クライアントの利益に貢献する、という仕事だった。
広告作りにやりがいは感じていたものの、「運用」という、数値をもとに仮説を立てて、次のアクションを考える、という業務が苦手と感じてしまったことや、また、クライアントさんから早朝から深夜、土日も連絡が来て、急な対応に迫られることに耐えられなくなり、無期限の休止中だ。
そのときお世話になった若い社長からは、
「何年かかっても、気持ちに余裕が出たら戻ってきてください。アセルさんに合った仕事を用意します」と言ってもらえて、泣きながらオンライン面談を終えたのが、5ヶ月前のこと。
人として尊敬できる方だったので、またいつか、チャンスがあれば関わりたい気持ちもある。
自分1人ではできない仕事を、会社の歯車の一つになってやらせてもらいながら、経験を積む。
その一方で、自分の叶えたい社会のためのビジネスも細々と並行してやっていく。
そんなことができたらなぁ、と思うものの、一度ドロップアウトして迷惑をかけた会社にまた世話になろうなんてムシが良すぎるし、またダメになったときのことを考えると恐怖心が勝つ。
そう思っていた矢先、人事の女性から、連絡があった。
半分仕事、半分プライベートな話題だった。
またお仕事で関われることを楽しみにしています、と締めくくられており、たとえ社交辞令だとしても、嬉しかった。
しかし、ありがたい気持ちと、もうお役には立てない…という泣きそうになる気持ちがせめぎ合う。
とても失礼ながら、もう2週間、返信ができていない。
「もう戻れない」
この気持ちには色々な成分があって、細かく挙げてみるとつぎのようなものがある。
社長に頼まれて2週間に1度作っていた「参考になる広告事例」という連載があり、それを読んだクライアントさんから、反応があったと知らされるたびに「でも、私が作ったことは、社長以外誰も知らない。こんなゴーストライターみたいな仕事はやりきれない」と次第に思うようになっていたこと
その仕事を頼めるのはアセルさんしかいない、と言われて最初は嬉しかったが、次第に、それならその分、時給を上げて欲しいと思うようになっていったこと
もう時給制の仕事はしたくない、と思っていること
「これは私の自己顕示欲の暴走とか、思い上がりよな」と自覚しても、それでも気持ちは膨らんでいってしまい、気づけば大好きだった社長に対して、「搾取されてる」と感じてしまうようになった。そんなふうに思いたくないのに。
だから、今は自分で自分を試して、ビジネスの厳しさを味わう時なのかもしれない。
厳しさをとことん味わえば、「搾取されてる」なんて思い上がりは消えるのかもしれない。
ちょうど、「耳をすませば」の月島雫ちゃんが、物語を書くことで自分を試したものの、限界を感じて、やっぱり高校に行ってちゃんと勉強する、と決意したように。
(この映画好きすぎる)
中高生の頃には、そんな熱い思いもなく、ただなんとなく生きてきてしまったから、中年になって、ジタバタすることになっている。
もう少し、悪あがきを続けてみたい。