
便利さは不寛容を生むって、そういうことか。
先日、風邪で寝込んでいたときに、Amazonプライムで「東京ラブストーリー」が視聴できると知り、1~2話まで観てみた。
あんなに有名なドラマだけど、当時小学生だった私は観る機会がなく、今まで一度も観たことがなかった。
東京ラブストーリー。
初めて観て、織田裕二のかっこよさや、鈴木保奈美の可愛さに惚れ惚れしながらも、ぶっ飛んだキャラの女性「リカ」は、今の時代だったらガールズちゃんねるとかでケチョンケチョンに言われて、やりづらかっただろうなぁ、途中で打ち切りだったかも、などと無用な妄想をした。
そして携帯電話がない時代の仕事や恋愛模様にとっても興味があったので、ドラマを楽しむというよりは、観察するように観ていた。
まずびっくりしたのが、会社の電話の使い方。
会社の電話を使って友人にかけたり、
恋人からかかってきて、「永尾さん(織田裕二の役)、何番に◯◯さんからです」と同僚に取り継いでもらって、そのまま声をひそめて話したりすることがあるから驚いた。
私も小学生の頃、父の勤め先に「父はいますか」などと電話をすることがあったが、そうか。携帯電話もメールも?ない時代、友達や恋人でも、急ぎで連絡取る手段は、会社の電話にかけるしかないのよな。
(ポケベルは持っているみたいだったけど)
もし今のこの世の中で、会社の電話で恋人と話すようなことがあれば、どれだけ白い目で見られるんだろう。
「なぜ会社の電話で私用の電話を?」
「携帯の電源切れているとしても、普通会社の電話は使わないよね」
「携帯でしゃべるにしても、もちろん人のいないところで話すべき」
「人前で話すことか」
「電話代、会社のお金だよ?」
いろんなおとがめを受けそうだ。私も人に対して思ってしまうだろう。
ドラマの中では、固定電話しかなくて、その場で話す以外手段がないのだから、肩身が狭いというよりは、恥ずかしそうに周りを気にしている、という印象だった。ほほえましい。
周りの人たちも気にしたり、とがめる様子もない。
ドラマの演出かもしれないし、実際の世界はどうだったかはわからないが…ギスギスしてなくて、いい時代だなぁ、と思った。
あ、あと飲酒運転とオフィス内喫煙も堂々としていた。
まるで歴史博物館の展示品を見るような気持ちだ。もう地上波で、そのままでは放送できないだろう。
「会社の電話」だけでずいぶんと考えさせられてしまい、もうドラマの続きを観る気は失せてしまった。笑
もし、この世の中から携帯電話が消えて、また固定電話だけの世界になったら。
それしか「ない」というのは、それだけでなんとかするしか「ない」わけで、仕方「ない」と諦められるゆえの寛容さがあるなと思った。
選択肢が増えると、それを選んだ自分なりの根拠や、したたかさ、そして選んでいない選択肢への配慮までが必要と感じるのが今だ。
このことこそが、この生きづらい世の中を作っている気がする。
結婚や、子育てなんかもそう。
選択肢がある分、一部の人たちからは、自己責任だと言われてしまうようだ。かつては誰もがそうするのが一般的とされてきたから、結婚も出産も自己責任だなんていう発想はなかったのに。
記事を書いていて、大好きなこのつきちゃんのこちらの記事を思い出した。
もっと、他人も自分も
許容してあげていいんじゃない?
人のことを許せないのは
自分を許せていないということ。
自分に対しても、身内に対しても
優しくなっていいのではないか。
この部分、これまでの人生の色々な出来事、今も抱えるいくつかの課題に沁みるもんだから、何回も読んでしまう。
仕方ないと思えず、諦められないことは、自分を許せていないってことなんだろうなと、自分自身を見ていて思う。
自分を含め、世の中の多くの人が、「私はこれでいいんだ、最良の選択をしているんだ」と自分を許容できたら、寛容社会が待っているんだろうか。
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