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noteの毎日投稿をやめることは、学校を休むことに少し似てた。

小学生の頃からだったか、だいたい月に1回は学校を休んでいた。
なんだか疲れてしまって、エネルギー切れを起こす周期が月に1回だったかもしれない。

熱が36.8℃くらいなのに「ちょっと微熱でしんどいから」と言って、母に学校への連絡を頼んでいた。母はパートに出て、私は家で1人、午前中は眠り、昼頃目覚めて、「笑っていいとも」や「ごきげんよう」を観る。その後は昼ドラなどをぼんやりと観て、疲れたらまた眠る。

そうして、夕方になる頃にいつも、
「あぁ、19◯◯年の◯月◯日は、もう2度と戻らないのになぁ」などと思いながら、少しばかりの後悔と、ズル休みの自己嫌悪に陥っていた。

「知ちゃんまたズル休みかな」と誰か言ってたらどうしよう…とか、「昨日はどうしたの?」と明日学校で言われたらなんて言おう…とくよくよ考え、ブツブツ予行練習をし、現実逃避のようにまた教育テレビ(Eテレ)を眺めていた。

翌日、学校に行くと、私のズル休みについて言及する人などもちろんおらず、日常に溶け込んでいくことに安堵する。毎回そうなのに、毎回不安になるのは性格の問題なんだろう。

「なんか今日は行けない」と思って休むくせに、私のいない時間が教室に流れていたこと、そしてそれをクラスメイトたちが共有していることに、少々の気後れや孤独を感じることもあった。
だから、「知ちゃんも昨日休んだの?私もだよ」などと誰かが言うと、信じられないほどホッとしていた。

こんな、2、30年前の記憶が蘇ったのは、noteの「毎日投稿」をやめて1ヶ月ほどが経ったせいだ。

毎日投稿と言っても、うっかり寝てしまって更新できない日もある「ほぼ・・毎日投稿」だったが、約1年3ヶ月ほど、毎日投稿を心がけていた。

これは、教室に自分の机があり、毎日行くのが当たり前のような、そうでありたいというような感覚で、少しばかり自分に負荷をかけている状態であった。これは学校へ休まずに行こうとする気持ちに似ていた。

学校や職場に自分の机・デスクがあるというのは、自分がそこにいて良いと認められているような「固定された居場所」があるということだ。今思えば、それがありがたくもあり、重荷でもあった。勝手に休むことはできないわけで。

noteは学校とは違って、行っても行かなくても=書いても書かなくても、誰に連絡をする必要もなく、自由なのに、なぜ毎日そこに居たいと思ったんだろう。

noteは私にとって、いつもそこに誰かがいる安心感を得られ、そこに行けば誰かが手を振ってくれて、誰かの記事に刺激をもらえる、そういう場所であるように思う。温もり、つながり、学び、そういったものを求めているのだと思う。
それに加えて、「忘れられたくない」という思いもあって、毎日投稿をしていたような気がしている。

しかし、マイペースな夏休みを子たちと過ごしているうちに、何か書きたいと思う日、読みたいだけの日、読んでコメントして満足する日、いろんな日があっていいかなと思い始めた。

学校には行くものの、校門の外から学校を眺めて帰るように。1時間だけ授業を受けて、あとは保健室で休むように。それでも、私の机はずっとそこにあるのだから。


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長橋 知子
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