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あのときどうすればよかったのか、ずっとわからないまま。

「みんな、午後の学活でバスの座席を決めるから、各自ペアを決めておいてくれ」

高校1年生のとき。
宿泊学習の行事を数週間後に控えたある朝、担任教諭からそう言われた。
私は、どうしたものかとうっすら焦った。

なんとなくいつも一緒にいる3人組の中に、私は身を置いていた。
敬子けいこ雪美ゆきみ、そして知子ともこ(私以外、仮名)。

高校入学直後に一番最初に仲良くなったのは、雪美だった。
席が前後だったので、自然と一緒にいることが多かった、という表現が正しいかもしれない。

雪美は口数は多くなく、私の話に、ふふふと静かに笑うような子だった。

その後、席替えによって、私は敬子と席が近くなり、波長が合い、話すたびに爆笑していた。

気づけば、私と雪美と敬子の3人で、休み時間やお弁当の時間を一緒に過ごすようになった。

敬子にも——私にとっての雪美のように——入学直後によく話していた百合ゆり(仮名)というクラスメイトがいて、ときどき敬子は百合と2人でお弁当を食べたり、または、4人で食べたりする日もあった。

私は、決まりきった相手といつも一緒というのがどちらかというと苦手だったはずなのに、敬子とはずっと一緒にいたいと思っていた。

敬子と2人で話しているとき、バスの座席の話になり、
「知ちゃん、一緒に座ろう」と敬子が言った。嬉しくて、「うん!」と返事したのだが、心の中は「雪美ちゃんは、どうしたらいいの?」と焦っていた。それを敬子にも言えなかった。

ついに学活の時間がやってきた。

バスの座席を黒板に書き、「お前は誰と座る」と先生が1人ずつ生徒に訊いて、学級委員が黒板に書いていく。

雪美が当てられると、「あ、長橋さんと座ります」と言って「知ちゃん、いいよね?」と少し離れた席から、確認された。

そのとき、冷静な判断が全くできず、おそらく私は相当ぎこちなく、雪美に対してOKサインを出した。雪美は、私と座ることが当たり前のように思っている様子だった。そのことに、しまった、と思った。

そのあと、敬子が「知ちゃんひどいよー!約束したのにぃ」と言ってきたのを、どう対処したのか全く思い出せない。とにかく謝りまくったはずだが、私自身も敬子と座れないことが残念で、でもそれを態度に出せなくて、逃げ出したい気持ちだった。

その微妙な様子は雪美にもなんとなく伝わってしまい、しばらく、少し気まずい雰囲気になってしまったことだけは覚えている。

あのときとっさに、

雪美を傷つけちゃいけない。
敬子は私じゃなくても誰かがいる。

そんなことを考えた。
今思えば、2人どちらに対しても失礼だった。

雪美に「ごめん!敬子ちゃんと座る約束したの」と言うべきだったのか。
でも、その後の雪美のことを考えたら…

こういうとき、良心的でスマートな判断ができない自分が情けない。

最近、ママ友間で似たような状況が発生し、ふいに思い出してしまった。あれから20年以上経つのに、私は成長していないみたいだ。

雪美と敬子とは、その後どうなったかというと。

高校2年からは全員クラスがバラバラになったが、在校中は互いの家に遊びに行ったりカラオケに行ったり、交流は続いた。

だが、高校卒業後に1度だけ3人で遊んでプリクラを撮ったのを最後に、大好きだった敬子とは疎遠になってしまった。

私は高校3年生の秋に、大好きでたまらなかった彼氏にたった3ヶ月でフラれたのだが、その彼がしばらくして、敬子に告白したと他の人から聞いてしまったのだ。敬子とは今までのようには笑えなくなった。

ただ敬子は、私と違ってうぶで真面目なタイプだったので、私の元彼の告白をあっさり断ったらしい。それが救いでもあり、もったいない!という妬ましさに拍車をかけもした。

高校卒業後も、しばらく元彼のことを引きずっていたので、敬子を見るとどうしても辛くて、彼女のことが大好きなのに、会えなくなった。このことは、本当にもどかしく、悲しかった。

でも、それとは比にならないほど、もっと悲しいことがあった。

雪美とは、逆によく遊ぶようになった。
彼女はGLAYの大ファンで、高校卒業後、誘ってもらってライブに何度か連れて行ってもらったり、街までよく買い物に行ったりもした。彼女の家族にも、良くしてもらった。

だけど、彼女は、24歳の時に、病気でこの世を去ってしまった。


彼女を思い出すとき、いつも控えめに、私の話にふふふと笑っていた姿が蘇る。あのとき、どうするのがよかったのか。たまに、彼女に問うている。


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長橋 知子
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