100万円の笑顔。
私が生まれたときから、両親の口腔状態はそんな感じだった。
そんな彼らが、自分の子どもの「歯」に対しては、どういう意識を持つのかというと、
「子どもの歯は親の責任」
を合言葉に、不仲なりにも私と兄の歯のケアには注意を払ってくれていた。
逆を言えば、子どもの歯を守るという使命感でつながっていた2人だったのかもしれない。
幼い頃は仕上げ磨きを丁寧にしてくれて、
その後も、
「歯は財産」「歯は取り換えられないぞ」という強迫観念の滲んだ両親からの再三の声掛けは続き、私は成人するまでは、奥歯1本の詰めモノくらいの虫歯で持ちこたえた。
キャラメルやミルキーを一気食いしていた私にしては、まずまずだろうと思う。
また、あまり甘いものを好まないマイルドヤンキーな兄は、今でもタバコを吸うわりに美白な歯で、歯並びも無駄にきれいだ。
歯並びと言えば、私は問題児だった。
通常、人の前歯を横から見ると、以下のように上の前歯と下の前歯は前後に重なり合うが、私の前歯は、上下でカチカチとぶつかり合うような歯だった。
歯科検診で小学2年生のときに指摘され、ある日、母は私を矯正歯科に連れて行った。矯正治療は中学3年生まで続いた。
中1のときは顔のアトピーがひどかったので、ただでさえうつむきがちだったのに、口内の矯正器具も嫌で、自分の顔のコンプレックスが加速した。(中学の卒業アルバムとか永久に見たくない)
中2のとき、ふと気づくと周りにも歯科矯正をしている子が多かったのだが、可愛いとか、正統派美少女とか、そんな子ばかりだった。
ニヒルで暗い笑顔しか浮かべることのできなかった私は、母親に八つ当たりした。
「学校では可愛い子しか矯正してないよ、私なんてやる必要ない!!」
100万円の矯正器具代のほかに、月に1回矯正歯科でかかる検診費用は5,000円だったのを覚えている。私はあまり豊かではない家の経済状況が気になって仕方なく、そのことも苛立ちの要因だった。思春期というのは、何から何まで気に入らない時期でもある。
母は、悲しそうな顔をして言った。
そこから、母はさらに家族の口腔ケアに神経を使うようになり、気づけば我が家には、電動歯ブラシ、そしてジェット水流の出る口腔洗浄機まで登場した。使用感が面白かったのと、家計をひっ迫させてまで…という申し訳なさから、私も口腔ケアグッズを積極的に使うようになっていった。
気づけば、笑顔をほめられることが増えていた。
大学生の頃、バイト先で「笑顔が可愛い」と評判()になり、一瞬だけモテ期が到来したし、
20代では、上司や取引先の方に「あなた、笑顔がいいよねぇ」「歯がきれいね」などと声をかけてもらうこともあった。前歯はデカいし、決して完璧な歯並びなどではないのだが。
そのたびに、心の中で母に
「せめて歯ぐらいは、とお金をかけてくれて本当にありがとう」と思った。そのために自分で奨学金を返済することなど、なんのその・・・。
笑顔に自信をつけた私も気づけば40を過ぎ、鏡に映るシワだらけの笑顔にギョッとしてしまうことも増えたが、それでも、歯の健康は守らねばならない。死ぬまで自分の歯で美味しいものを食べたい、というのが、次の40年の目標だ。
夜、子どもたちと歯を磨いていると、次男が不思議そうに訊く。
「ねぇ、ママって、どうしてそんなに歯が黄色いの?」
………。
「子どもの歯は親の責任」
この言葉を胸に、約10年間、自分を後回しにしていた結果だろう。
誇らしいじゃないか。
そして、そろそろこの呪縛から解き放たれてもいいのかもしれない。
自分の歯は自分の責任。自分の笑顔も自分で作っていこうなと子どもたちに伝えたい。