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軽はずみな思い込みは良くない。

今日も、5歳次男はこども園に行けなかった。

昨日、明日は行くと言っていたのに、今朝になってどうしても嫌だ、と、ストーブの前でうずくまって泣いて、亀のように動かない…

5歳児は家にいてもなんとか仕事できるのだけど、2歳児がいると無理になる。

今日締め切りの仕事があるし、回復した2歳長女は登園させようと、とりあえず準備する。

長女が次男の様子を見て、自分も行きたくないと言い出しかねないことで、余計にハラハライライラしてしまう。

そして、5歳児も行くふりをしながら無事に2歳児を送ったあとに押し寄せる安堵感、罪悪感、そしてやっぱり感じる次男への苛立ちと愛しさ。疲れる。

こんな感情にならない方法はないのかな。
もうずっとそう思っているのに、解決策を見つけられない。仕事を辞めたら解決するのかどうかも、よくわからない。

園にも、そのうち相談をしに行くことを視野に入れて、『どうしても行きたくないと言って、どうにもならないので、休ませます』と正直に連絡を入れた。

次男が昨日言っていた、 

園でやること、1から4まで、決まってるのがいやなの。先生が全部決めるの。座り方まで決まってるのがいやなの。

この訴えを重く受け止めている私は、
『次男は、日本の教育制度が合わないタチなのかも。学校も行けないかも。行けても、保健室にしか登校できない感じかもな』と思っている。

あと1年の園生活を、どこか自然派な保育園とか、モンテッソーリ教育の幼稚園とか、別の環境に移すことも検討した方がいいのかな、などと考え始めた。
まずは見学か。

でもそうしたら卒園後は?

もしその園の思想が合いすぎて、もう普通の小学校には行けない、となるのか、

最後の1年で、『自分はどこででもやっていける』という自信をつけて普通の小学校にも行けるようになるのか、

どうなるかなんて誰にもわからない。

締め切りの仕事があるのに手につかず、
すっかり、ぐるぐる思考のスパイラルの中で、1人さまようこととなった。

なんとか締め切りには間に合わせ、夕方、次男と共に長女を迎えに行く。

そうしたら、バッタリ次男の担任の先生に会った。まだ若くて、可愛らしい先生。

『次男くん、行きたくないってどういうことー?今日は楽しいイベントもあったのに』
とあえて少し怒ったような拗ねたような言い方で、しかし、内心傷ついてないこともないような表情で、先生が次男に迫る。

次男も次男で、困ったような、照れたような、まんざらでもないような様子で、身をくねくねさせながら、先生の前に立っている。

その様子を見ながら、『環境を変えなきゃだめか』と検討していたことが、短絡的で早計だったような気がしてきた。次男はそこまで嫌がってないように見えて。

『お母さん、泣いても何してもとりあえず連れてきてください。来たら来たで楽しんでますから』

どこまで取り合ってもらえるかはわからないけれど、次男の訴えを、ちゃんと先生に相談してみてから考えよう。

環境を変えなきゃと思ったのは、私が『この子には日本の教育制度が合わないのでは』と思ったせいだが、一度思い込んでしまうと、自分で自分の考え方を偏らせたり狭めたりすることになると気づいた。

思い込む前に、事実だけを冷静に見つめる習慣をつけたい。

これからどうなるかはわからないが、
子どもが居心地のいい環境で、楽しく過ごせることを優先して考えられる親でいたい。

私の仕事をどうするか、とても気が重い課題が先に来るのだけど。

でも、もしかしたら、考え直すきっかけを、次男がくれているのかもしれないとも思う。

「ママ、やりたくないことはやらないで、できることをやればいいんだよ」と仕事でへこんでたときに私に言ってくれた次男。
彼には何か感じるものがあるのかな、と思ったりもして。

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長橋 知子
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