見出し画像

人生の山登り。

【注意】本日の投稿のコンテンツ内に死という言葉が登場しますが、
自死や死を予兆させるものでは全くありません。
いうなれば、、『取り返しのつかない大きな失敗』ということです。

たまたま、たまたま偶然なんです。でもね…

私の過去の趣味に登山というものがありました。いくつかの自分が登れそうな山にチャレンジして、見事、下山して生還してきました。
今回に限っては「お仕事」っていう山だったんです。
頂上にいって無事下山して生還すれば、、就職みたいな感じで。

山登り。

確かに上りはきついです。頂上まではいろいろな出来事がありました。時には、巨大な岩が道をはばみ、独力でそれを乗り越えて道を行き、崩落して、道がなければ、新しいルートを構築など。また、ある時は、道に迷って沢に出てしまいましたが、頂上は、はっきりしていたので、これも新しいルートをつくって進めたのです。そうですね…たまたま山の稜線に出られたのも幸運でしたが。
とにかく、頂上を目指す方法には、いろいろな手法がありました。
頂上は、はっきりしてるので、どんなにつらくても、きつくても、いくらでも登頂する方法はあったのです。

登頂後…

なんだかんだあり私も頂上に到達したのですが、頂上からどのルートをたどれば下山できるのか、わからなくなりました。
なにか、問題の答えがなくなった感覚です。
メディアやミニコミが伝える山登りもそうですが、
基本、頂上までの登り方しかないではないですか!
下山のシーンなんて私の人生の中で一度も見たことがないんですよね。
ということで…私も同じ状況を体験することになりました。
遭難です!
下山って本当に怖いですよ。だって一人だもの。
仮にシェルパが同行していても100%の安全の保証なんてないです。
そんな中、安心しきっていた私はシェルパと濃い霧の中ではぐれてしまい。
1人でお仕事というを下山することになりました。
下山の途中で正しい道を外れ、迷い込んでしまいました。

お仕事という山でのライフライン…

残されたライフラインは無線機でした。
私は必死に今の状況を報告したのですが、安否確認のみで、
どの方向をどのようにたどって、どのようなところにチェックポイントや山小屋、避難小屋があるのか、無線の指示を待っていても、待ち続けても、時がたち、1週間、1か月、3ヵ月、6か月、1年以上待ってもお仕事探しという山の下山には具体的なすべがなく、下山に失敗した私は持ってきた食料もなくなり、無線のバッテリーもなくなり、遭難して命尽きて、
お仕事という山で死んでしまいました。
今の私は後悔はないです。やるべきことは全て尽くしたのですから。
ただ悔やむという言葉が正しい言葉の使い方かどうか自信はありません。
なぜ、霧が晴れた瞬間に、もっと早く再び頂上を目指して戻れなかったのかという状況判断の甘さに尽きると考えています。

山を下るか、頂上へ再び戻るのか?

山を下ることは、山を登ることより難しい。私はお仕事という山で死にましたが、死んで生まれ変われるのならば、終生、この失敗は忘れないと反省しました。
道に迷ったら下山を続けるのではなく、勇気をもって、振出しに戻ることになりますが、再び頂上に出て、また下山をやりなおせばいいんです。

本当にリカバリーに際限がないのならばっ!

お仕事という山。私に命が再び宿るならば、もう1度チャレンジして、ちゃんと下山して生還したいものです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?