『仮面ライダーZO』誕生30周年記念|『シン・仮面ライダー』公開の今だからこそ語ろう【ネタバレ注意】
※以前書いた記事からの続き
◇「原点回帰」『仮面ライダーZO』と『シン・仮面ライダー』
今年2023年公開された『シン・仮面ライダー』を観賞してから連想したのが、『仮面ライダーZO』だった。
1993年『東映スーパーヒーローフェア』で劇場公開されてから、今年で『仮面ライダーZO』30周年ということでもっと語ってみたいと思った。
『仮面ライダーZO』はいわゆる『仮面ライダー』の「原点回帰」作品のひとつである。
初代『仮面ライダー』を構成する要素を分けてみると、パッと思いついただけでもこのようになる。
上記を踏まえると『仮面ライダーZO』は後者の正義のヒーローという面が大きい作品である。対して『シン・仮面ライダー』は前者のイメージ。
また、細かい点を比較してみると以下のようになる。
これまでの「原点回帰」作品がどれも違っていたのは、これらの要素をどう抽出するのか、あるいはどう新しい要素を足していくのか、演出側の”仮面ライダー”に対する捉え方によって異なるからではないか。
◇ストーリーとアクション
以前の記事の振り返りになるが、ストーリーとアクションは、ともに公開当時に大ヒットした『ターミネーター2』、ハリウッド映画の最先端だったSFX/VFXに影響を受けている。
DVD特典のメイキング映像を見てみると、
SFX・VFXで印象的なシーンは二つあった。一つは、ネオ生命体・ドラスの液体金属の表現。
もう一つが主人公・麻生勝がバイクに乗りながら変身するシーン。ここは
◇”仮面ライダーZO・麻生勝”
○正統派のヒーロー
前に自分の考えるヒーロー観は、「西部劇に登場するような子供と共にあり、頼りになるお兄ちゃん」と書いた。そして、それはライダーに限らず、他の石ノ森ヒーローや過去に名作西部劇『シェーン』や小林旭の『ギターを持った渡り鳥』などの流れがあってこそだった。
雨宮慶太監督のインタビューでも、「僕の時の仮面ライダーは、子供から見て頼れるお兄ちゃんというイメージ」と語られている。
それを踏まえると、この映画の主人公・麻生勝は正統派のヒーローと言える。作中の彼は、改造人間となった悲哀・苦悩といった負の面をあまり見せず、宏少年を守るという使命や決意の面が強く表現された。
仮面ライダー真、仮面ライダーZO、仮面ライダーJの三作は「昭和ライダー」に含まれたり「ネオライダー三部作」とも呼ばれたりするが、年号が平成なのに昭和ライダーとされるのもモヤモヤする。
しかし、主人公の描き方は昭和ライダーから同じであるし、その後の『仮面ライダークウガ』では意図してそれを外したと聞いたことがある。そう考えると平成ライダーとも違う。
結論としては、年号では平成ライダーであるが、昭和ライダーの「原点回帰」でもあり「進化形」でもある存在だと考えている。
○ベルトが無いライダー
仮面ライダーZOは、石ノ森章太郎先生が後年『仮面ライダー』について語った「大自然の使者」「正義の味方」などを表現している。
しかし、造形の面から見ると特徴的なのはライダーベルトが無い点だ。
これは、より生物的な造形として初代”仮面ライダー”に存在したマフラーやベルトが描かれなかったのだ、と自分は考えている。
余談ではあるが、前に話した『仮面ライダークウガ』を薦めてくれた友人に、『シン・仮面ライダー』の元ネタを示すため石ノ森漫画版を読んでもらった。
友人からは「もしかして(石ノ森漫画版では)ベルトは重要じゃないの?」と言われた。漫画版ではライダーベルトが簡略化して描かれていると気づいたらしい。例えばライダーマスクは改造手術の痕を隠すためと理由付けがあるが、確かにベルトに関する話はなかった。
平成ライダーはベルトを巡る話が多いため、ある種のカルチャーショックだったようで、それを聞いた自分にも目から鱗だった。
一方でテレビ版『仮面ライダー』では、変身の際にベルトに風を受ける構造であるため、必要性を持たせていた。もちろん『シン・仮面ライダー』もこれを踏襲している。
ZOも変身のパターンの一つとして、バイクで走りながら変身するオマージュがなされているが、友人が指摘した造形についてから考えると漫画版に近いのかもしれない。
◇邪悪ライダー”ネオ生命体・ドラス”
○もう一人の仮面ライダー
ZOが改造人間の悲哀など負の部分を感じさせない代わりに、その役目を担ったのは”ネオ生命体・ドラス”だと思う。
DVD特典に収録されているメイキング映像では、雨宮慶太監督は「ドラスは仮面ライダーのイメージですね、悪いライダーはこういう感じなんじゃないかなと」とインタビューで語られた。
同じくDVD特典のイメージボードにもドラスの画に邪悪ライダーという説明が見られ、もう一人のライダーとして作られたのだと考えられる。
つまり「正義のヒーロー=仮面ライダーZO』と「歪んだ科学文明が生んだ存在=邪悪ライダー(ネオ生命体・ドラス)」の対決。
例えば、似たような構図の怪獣映画に『ゴジラ対メカゴジラ』がある。子供向け作品となって「正義のヒーロー」に変化したゴジラと社会問題を受けて生まれた本来の「悪役怪獣」としてのゴジラ…「良いゴジラと悪いゴジラが戦う」というコンセプトの作品である。
他にも、同じく東宝怪獣映画『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』でも、”フランケンシュタインの怪物”の遺伝子から生まれた分身同士が戦う。
以前の『シン・仮面ライダー』の感想でも
と書いていたが、それと同じことが言える。
『仮面ライダーZO』の場合、当時『ターミネーター2』が流行した事が関係しているのかもしれない。これもターミネーター同士の戦いであるし、総じて先ほど示した「同族殺し」の要素を持っているといえる。
○ネオ生命体という存在
”ネオ生命体・ドラス”についてもっと掘り下げてみる。彼は改造人間ではないが、もっと広く「歪んだ科学文明が生んだ存在」と捉えてみると人造人間という言葉がより近い。
液体金属で身体を構成するのは『ターミネーター』のようである。しかし、未だ不完全な状態だからか宏少年の影響を受けたからかわからないが、自我や感情を持っている。
関連して漫画版『人造人間キカイダー』で印象的な場面がある。
キカイダー・ジローは光明寺博士に作られた人造人間であり、博士の娘・ミツコと出会うが、当初は彼女のような人間と自分との違いがわからなかった。
人間の立場からすればその違いは明らかであるが、ジローからすればどちらも博士を「おとうさん」と呼ぶ兄弟のような存在だと考えたのだろう。
しかし、ミツコの肌と自分を比べて自分が人間と違った存在だと理解する。そしてこのシーンが後に”キカイダー”を名乗るきっかけになるのだ。
これは”ネオ生命体・ドラス”と宏少年の関係とも同じと言える。作中で望月博士を「パパ」と呼ぶ二人は、ある意味で兄弟のようでもある。
未だ感情を持っていた”ネオ生命体・ドラス”は、実の息子である宏少年が博士に愛されてあるのを見て、人造人間だとしても同じ博士の子供として愛を求めていたと考えている。断末魔の「パパ…」という声も敵ながらそんな悲しさを感じる。
◇現代のプロメテウス”望月博士”
○フランケンシュタイン症候群
”現代のプロメテウス”というのは、よく知られている『フランケンシュタイン』の原題から採った。フランケンシュタインは怪物の名前と誤解されがちだが怪物を作ったヴィクター・フランケンシュタイン博士の名前で、原作小説もその博士の独白である。
注目したいのは、”フランケンシュタイン・コンプレックス”についてだ。
すなわち『フランケンシュタイン』のヴィクター・フランケンシュタインが抱いた研究の憧れと恐れの感情を指している言葉で、これは創作の中で主にマッドサイエンティストの思想・末路として描かれている。
作中では、感情に左右されない完全な生命体の研究を進めていた望月博士は成長したネオ生命体を恐れ始め、正気を取り戻した。そして機械と一体化され、宏少年を案じて仮面ライダーZO・麻生勝を目覚めさせた、という流れだ。
『シン・仮面ライダー』の緑川博士にも、こうした自身の理想の研究に狂っているような描写が見えたが、ショッカー脱走から最後に正気を取り戻して「ルリ子を頼む」と本郷猛に遺言を残したのかもしれない。
◇最後に
最後に「家族愛」というテーマについて、ここまで語った望月博士・宏少年とドラス・麻生勝、緑川博士・ルリ子と一郎・本郷猛の関係は描き方は違うにしろ似ている。
また、以前に例にした石ノ森ヒーロー『スカルマン』や『人造人間キカイダー』も家族が基にあるストーリーであった。
『機動戦士Vガンダム』のEDテーマ『WINNERS FOREVER』が当初は『仮面ライダーZO』の主題歌候補だったと聞いたことがある。確かに”WINNERS”を”RIDERS”に置き換えれば、ライダー賛歌として完成度の高い曲だった。
しかしながら採用されたのは『愛が止まらない』だった。だから、この作品の主題として、ライダー賛歌よりもっと大事なことがあったのではないかと思うのだ。
『仮面ライダーZO』の『愛が止まらない』、そして姉妹作『仮面ライダーJ』の『心つなぐ愛』。結局のところ、雨宮監督がこの作品含め”仮面ライダー”に打ち出した主題は家族愛、自然への愛、人類愛…「愛」だったのかもしれない。