この記事では、1960年代に存在した東映映画の友の会(今でいうファンクラブ)について語ります。
※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。
◇大伯父と”東映友の会”
私には、私と同じく映画が好きな大伯父がおります。
知り合ったのは成人式を迎え家族と一緒に挨拶に回ったところで、大伯父が「映画の話をしちゃいけないのは○○君(私)だったかな?」と私の祖母と話しているのを聞いたのが始まりでした。
どうやら「映画に夢中になりすぎて悪い影響を与えてしまうのではないか」と祖母が心配して、私に黙っているよう事前に大伯父さんに言いつけていたようでした…
大伯父は幼少期から親の家業を手伝っており、曰く「忙しく貧乏で映画を充分に見に行くことができなかった」とのこと。仕事を引退した現在は、その頃の心残りを埋めるように旧作映画をコレクションしていることがわかりました。
それから何度も訪ねて録画したDVDを借りたり昔の思い出話を聞いたりしていたわけですが、そのエピソードの数々がとても面白く、貴重なものではないか?と、何かしらの形に残したいと考えていました。
2020年9月6日、大伯父に協力してもらい、当時の映画にまつわる話をインタビューとして映像に残しました。なかでも、高校時代に地元の映画館で”東映友の会”に入会していたというお話を詳しく伺いました。
この映像はプライバシーの都合上公開することはできませんが、その一部を要約すると
という内容です。
この頃が一番楽しかったと振り返っていましたが、当時の写真や資料はもう処分して手元に残っていないとのことでした。大伯父の通っていた映画館も既に無くなっています。
加えて、インターネット上には”朝日座”や、件の”東映友の会”の情報はほとんど見つかりませんでした。
辛うじて”朝日座”については、かつて存在した全国の映画館をまとめられている『消えた映画館の記憶』様に記載されている程度です。
そこで、1960年代当時の東映友の会について調べてみれば、大伯父の話や地元に存在した映画館について手がかりが見つかるかもしれないと考えました。
◇”東映の友”会報『東映の友』
目星を付けたのは、当時の”東映友の会”会報『東映の友』。『東映の友』は1960年創刊、聞いていた内容と時期が一致しているので可能性は高いだろうと考えました。
まず、創刊号を(状態に難ありでしたが)運よく古本屋で購入できました。
「東映友の会」の発足宣言が5月9日、活動開始が6月1日、そしてこの「東映の友」創刊号発行日が偶然にも私の誕生日と同じ6月5日となっています。
大まかな内容としては、
となっています。
新作映画紹介は東映京都・東映東京(第二東映)に分かれており、創刊号では東映動画の『西遊記』、東映テレビ映画『白馬童子』と、一言に”映画”とは言え時代劇・現代劇のほかテレビやアニメーションと多彩なジャンルを扱っています。
個人的には、映画のファンクラブという体ながらプロ野球も取り上げている点が「映画は東映 野球も東映」をキャッチコピーとした当時の東映らしいなあと感じます。創刊号では、高卒二年目で四番打者を担っていた張本勲選手を特集していました。さらに他の号では水原茂監督就任やフライヤーズ初優勝・日本一を大きく取り上げています。
また、巻末には「友の会便り」という全国の”劇場友の会”結成や諸活動を報告するコーナーがあります。調べてみるとこのコーナーは毎号あり、しらみつぶしに調べれば見つかるかもしれないと希望を持ち始めました。
次からはこの「友の会便り」を基に”東映友の会”について解説していきます。
◇”東映友の会”の全貌
○「東映友の会」とは
○恩典
○友の会の組織と運営
つまりは、
”○○(劇場名or地域名)東映友の会【東映友の会△△(地方名)支部】”
のようになるのではないでしょうか。
例)朝日座東映友の会【東映友の会中部支部】
さらに後述しますが、支部の内訳は以下の通りになっています。
◇”朝日座東映友の会”の検証
インタビューから一週間後、LINEで連絡を頂きました。
やはり『東映の友』で違いなかったようです。しかも写真付きで掲載されたことがあるとは、記憶違いでなければ結構大きな発見です。
それから合計10冊、1960~62年ごろの『東映の友』を集めてみました。古本とは言え、決して安くはないので諦めようかと思っていたところで、
なんと…
写真が載っていました!
インタビューやLINEの証言と一致しているので間違いないだろう、と見つけた時の驚きもさることながら大伯父の記憶力にも驚いたことでした。
真っ先に「朝日座東映友の会の写真が見つかりました!」と大伯父に電話をかけました。大変驚かれていましたが、「一人だけ学校の制服で映っている子がいますが...」と言うと、直ぐに「あっ、それ俺だ!」と。
今からもう大昔のことながら、鮮明に覚えているのはそれだけ思い入れがあったのでしょう。
ところが実際に見てもらうと、大伯父の記憶にあるのは劇場の正面玄関で撮った写真でもっと大きく掲載されたらしく、今回見つかったものとは違っていたようでした。
さらに『東映の友』を探してみれば、いずれ見つかるのかもしれません。
◇全国の”劇場友の会”一覧
今回の調査では、当時の地元の映画館や”東映友の会”について大伯父の証言を裏付ける資料が見つかって、とても大きな成果を得ることができました。
最後に、せっかくなのでかつて全国の劇場に存在した"劇場友の会"一覧を公開します。
『東映の友』と同じく、東映友の会より発行されていた『東映スター名鑑 1961』には、なんと劇場友の会名簿(1961年4月時点)が巻末に掲載されていました。大川博社長による発足宣言が1960年5月なので、活動開始から約1年経った頃です。
自分のように親族が友の会に入会していた、あるいは現在もご存命だとしても、もう60年近く前の話で手元にもインターネット上にも資料や情報は残っていないかと思われます。そんなことをわざわざ調べる方が他にいらっしゃるのか分かりませんが...その手がかりにぜひ参考にしてください。
当時を知らない方も、地元に存在した映画館・友の会を探してみると面白いのかもしれません。
そしてこの記事を読んで何か心当たりのある方は、ぜひ詳しく話したり、聞いたりしてみてください。それはとても貴重なもので、後世に語り継いでいくべきことではないかと思っております。
「東映友の会」について、インターネット上に情報を残すためにWikiを開設しました。興味のある方はぜひどうぞ!
↓以下、全国劇場友の会一覧
【劇場友の会名 所在地】
関東支部
中部支部
関西支部
九州支部
北海道支部
この名簿には載っていませんでしたが、当時はアメリカ統治下(現在の日本返還以前)にあった沖縄でも東映友の会が結成されたことが確認されています。
沖縄東映友の会支部
別頁には”遠く海外の沖縄やハワイでも会員がどんどん集まり...”という記述があるため、未確認ですがハワイ東映友の会支部も存在したのかもしれません。
※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。