虫たちが助けてくれた幼少期
幼少期、私は虫取りに夢中でした。家にいることが辛く、両親の不仲や母の機嫌に怯えていた私にとって、外で虫たちと過ごす時間が唯一の逃げ場でした。この文章では、私がどのように虫取りを通じて安心を見つけ、子ども時代を乗り越えたかを振り返ります。
幼少期、私は虫取りに夢中でした。家にいるのが嫌だったんです。両親の仲が悪く、父は週末になるとパチンコに行き、母はいつも機嫌が悪い。家にいると何をされるか分かりませんでした。だから、できるだけ外で過ごすようにしていました。
遊び相手は、もっぱら虫。友達もいましたが、虫の方が気が楽でした。私が住んでいた地域は、開発途上の住宅街で、幸いにも自然がまだ残っていました。自転車で少し走れば、雑木林や小さな沢、田んぼや草むらに行けて、そこには図鑑でよく見る虫たちがいました。
特に思い出に残っているのは、ケラとタマムシです。
ケラは田んぼの用水路脇の泥の中から、聞き慣れない鳴き声を感じて見つけました。放課後に連日、泥を掘り続けて3日目、ようやく見つけたケラは初めて見るもので、その達成感は凄まじかったです。
その場所は、用水路が小さな池のようになっていて、ドジョウやフナもいる楽しい場所でした。しかし、ある日の放課後に行ってみると、用水路は埋め立てられていました。重機が並ぶ現場を見て、自分の居場所が奪われた喪失感で大泣きしました。
タマムシの思い出も鮮明です。自転車で雑木林に向かう途中、見慣れない飛び方をする虫を見つけました。目で追っていると、近くの空き地の木に止まりました。近づいてみると、それはタマムシ。初めて見たその美しい姿に感激しました。しかし、その空き地もすぐに住宅地になってしまいました。
開発で虫たちの棲み家は減ってしまい、今ではもうほとんど残っていないけれど、子どもの頃に虫取りに夢中になれたことは私の大きな救いでした。虫は私の居場所をたくさん提供してくれました。そしてもちろん、虫は私を殴ったり裏切ったりすることはありませんでした。
虫たちの棲み家が、私にとっても安全な場所でした。
養老孟司先生が「現代人は人とばかり交流しすぎている」と何かの本に書かれていましたが、私も同感です。私の場合、その後の家庭内の出来事があまりにもひどく、虫取りをする気力がなくなってしまいました。そして、いろんなトラウマが積み重なり、複雑性PTSDを発症しました。
でも、もしあのまま虫や生き物を相手にできていたら、発症しなかったのではないかと考えることもあります。今は子どもと一緒に虫取りや磯遊びをしていますが、その時はフラッシュバックが起きません。虫や魚は、子どもの頃からの理解ある友達のような存在なのかもしれません。
私の複雑性PTSDは、親(= 人)から受けたトラウマが原因です。人と接することがなければフラッシュバックの頻度も減るし、症状も軽くて済むのだろうと思います。でも、人と完全に孤立して生きることはできません。少なくとも、症状に理解のある人とだけでも交流できる程度には回復したいものです。
最終的には人と関われるようになりたい。でも回復のプロセスでは、人間以外の生き物(植物も含めて)と遊ぶことも、もしかしたら一つの方法なのかもしれません。そんなことを漠然と考えながら、最近過ごしています。
この記事が、読者の皆さんにとって心地よい場所を振り返るきっかけになってくれたら嬉しいです。もし今、辛い状況にあっても、自分だけの安心できる場所を見つけることが、心の回復に繋がるかもしれません。
あなたには、どんな場所や活動が心の安らぎをもたらしてくれますか?