「成長」は別にしなくてもいいと思ったら少し気が楽になった話
昔から、なぜか「成長しなければ」とずっと思っていた。生真面目だったのが原因の一つだったと思う。頑張れ、と言われた頑張ってしまうし、周りから期待されていたらそれに答えようと思うし。
そのままの考えで、ベンチャー企業に入って頑張っていたら、ある日突然鬱病になった。
そこで考えた。「成長」って必ずしなければいけないことなんだろうか。
成長ってなんだろう。どう捉えたら良いんだろう。と少し考えてみた。
世の中には「成長せよ」というメッセージが溢れている
成長という概念は、日本社会のシステム的に、どんな人でも親しみがあると思う。
なぜかというと、生まれ育った環境で、多くの人が「競争」を経験するからだと、僕は思う。
学校というシステムが「競争」の形をしている。点数で他の生徒と比較され、廊下の掲示板に掲示される。体育のできない生徒とできる生徒でやることが変わる。競争しろと言ってきているわけじゃないけど、そういうかたちをとってる。
自分が、もっと「成長」や「競争」という言葉を強く意識し始めたのは、就職活動の時期だった。
「学生時代頑張ったことはなんですか」という問いは、つまり「自分の成長体験を語れ」ということだ。そんなことをどこかの就活セミナーで聞いてから、大学時代の経験を成長体験に作り上げた。
どんな挑戦をして、どういう失敗をして、そこからどういう学びをして、次の成功に活かしたか。バイトの経験で成長しました、と無理やり言っていた。
今思えば、社会から、成長を強制されていたように感じる。
なぜ「成長せよ」というメッセージがあふれるのか
色んな理由があると思うけど、僕は2つ理由があると思う。
まず一つ目に、高度経済成長期の考え方を引きずっていること。
あの時代は、わかりやすく「もっと効率的に」やっていけば、売上を伸ばしたりできた。
でもこれからはどうやら違うらしい。基盤となる供給が整ってきたので、成長を無理にする必要がなくなってきた。だから、あまりこの考え方に引きづられる必要がないと思う。
2つ目の理由は、ビジネス書が結構売れていること。
一概には言えないけど、ビジネス本は成長中毒的な表現になりやすい。
ビジネスと成長は結びつきやすいからだ。会社が成長しなければいけないものだから。参入障壁が異常に高いとかじゃなければ、基本的には市場の原理がはたらいて、競争になる。
仕事が生活の長い時間を占める現代では、そのまま成長のシステムが人生にとりこまれやすい。
重要なのは、ビジネスの成功が必ずしも人生の幸福と結びつかなくなってきているということ。供給基盤が整ってきたから、成長を無理にしてもわかりやすくリターンが返ってくる時代じゃなくなった。
成長という概念をゆるくしよう
成長はわかりやすく「良いこと」っぽい。
点数が上がる、背があがる、人から褒められる。できることも増える。できることが増える、それは確かにいいことっぽい。
そうすると、成長しなければ行けない感覚になる。
でも、その増えたできることが、自分の幸福につながることじゃなきゃ、成長は人生にとってはあまり意味がない。
つまり、成長は別にしなくてもいい。したいときにしたい分野ですればいいもの、ぐらいに捉えていたほうがいい。
そりゃあしたほうがいいかもしれないかもしれないけど、人生ずっと成長しなければいけないと思っているとしんどい。
一番大事なものが成長だったらいいけど、そうでない可能性も十分にある。
リラックスする時間とか、家族と過ごす時間とか、趣味の時間とか。
「成長をしなければ」と思っている人は、いちど立ち止まって考えてみたらどうだろう。
どうやら、幸福には、成長以外にも結構色んな方向性があるらしい。
本を読んで、それらを学んでいきたいなあと思っている。
ありがとうございます。マイペースで発信していくので、ゆるりと楽しんでください。