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小林正観さんの言うことを真に受けていたら人生負け組に成り下がると思っていた私が読んだ 『釈迦の教えは感謝だった』

私が小林正観さんの本を初めて読んだ時のことは、今でも強烈に覚えています。

「だめだ。この人の言っていることを真に受けたら、人生の負け組になってしまう。」

私にこのような感想を抱かせたのは、2008年に刊行された『100%幸せな1%の人々 ーー「すべてが幸せ」になる59の法則』でした。当時、この本は、私が暮らす街の本屋さんでも平積みされて話題になっていました。「小林正観」と言う名前すら知らなかった私が、正観さんの本に初めて出会った時でした。そしてその第一印象が上記の通り。この本はすぐに古本屋に売ってしまいました。2008年当時の私には、正観さんの考え方は全く理解できなかったということだったのです。

当時、私の息子は1歳でした。その後、息子が3歳になり、雷に打たれたような衝撃的なことが起こります。(このことはいつか記事にできればと思っていますが、ここでは詳細は省きます。)その頃から、私のものの見方が激変し、2年前は「負け組の本」と決めつけた正観さんの本を、さまざまなサインが重なってもう一度手に取ることになりました。そして、ようやく書いてあることを受け止めることができるようになったのです。

その頃から、私は正観さんの本をたくさん読むようになりました。

そして2012年の夏、夫が息子を連れて「ボーイズ1泊旅行」なるものを計画しました。私たち夫婦の実家はどちらも遠方で、近くに頼る家族や親せきもありませんでしたので、今まではずっと子供に付きっ切り。この空白の2日間は、私にとってはご褒美のような「おひとり様時間」です。この貴重な時を利用して、今まで行けなかった夜の外出、例えばコンサートや観劇などに行ってみよう!と、さっそくインターネットで検索を始めました。

そして画面上にふいに現れたのが「小林正観講演会」でした。

五反田か、、、ちょっと遠いけれど、行ってみよう!

こうして私の小さな冒険が決行され、生まれて初めて、「著者の講演会に行く」という体験をしたのでした。

正観さんは想像していた方よりも小柄で、線の細い方のようにお見受けしましたが、講演会中は冗談を飛ばして会場の笑いを掻っ攫っておられました。笑いあり涙ありの時間を過ごし、胸がいっぱいだったのもあり、電車に揺られる長い時間、正観さんのやさしい声がいつまでも私の耳に残っていました。ようやく自宅の最寄り駅に着いたときには夜の10時をまわっていました。突然の雷鳴と土砂降りの雨。急いで駐車場まで走って車に乗り込み、慣れない雨の夜道を自宅まで走らせたことを今でもよく覚えています。

忘れられない私の小さな冒険、小林正観さんの講演会に伺ったのが8月。その数か月後の10月に正観さんはこの世を去られました。大変ショッキングで残念なことでしたが、生前にお目にかかれて本当によかったと思ったのは、これ以降、正観さんの本を読むたびに、その言葉が正観さんの声で私の脳内で聞こえるようになったことです。正観さんからのプレゼントと思い、有難く頂戴しています。

さて、正観さんの本はほとんどが口述されたものを書き起こしされたものです。しかし、今回あらためて読んだ『釈迦の教えは感謝だった』は、正観さんが自身で書かれた数少ない1冊。そこには、昔も今も変わらぬ宇宙の真理が淡々と語られていました。講演会でもご著書でも、何度も何度も繰り返し伝えられていることがギュッと詰まっていたのです。

そもそも人間は、「人の間(あいだ)」で生きて「人間」だということ。そこには価値づけや競い合いや順位付けは不要で、それぞれがそれぞれのよさを活かしながら、お互いに助け合い、喜ばせ合いながら生きることが本質だと説かれています。

しかし、何らかの物差しがあることで、人は互いに競い合ってしまいます。比べたり競ったりすることで、人は「思い通りにならない」という悩みや苦しみを抱えてしまうのです。そこで正観さんは、「そもそも思いを持たなければいい」と言われます。つまり、「何が起こっても受け入れるといい」と言うのです。受け入れることができると、自分自身が楽になりますし、それが積み重なっていくと「感謝」になっていくと。

ひとかどの人物になったり、有名になったり、成功したりすることがゴールではないのです。誰にも知られるわけでなくとも、いつも笑顔で静かに穏やかに暮らしている人こそが幸せな人。そういう人はほとんどの場合「思い」を持ってない、つまり、起こることを「受け入れて」楽に静かに楽しく生きているのです。

逆に、思いが強いということは、「あれも気に入らない」「これも気に入らない」と思っていることなので、宇宙に文句を言っているのと同じですよね。「思い」というのは、「執着」なのかなと思ったりしました。このような重~い「思い」は手放して、今あるものの中によいところを見つけ、豊かさや幸せに気づいていくという瞬間を積み重ねていきたいものだと思います。

あらためて正観さんの言葉にふれ、自分に起こることも湧き上がるものも受け入れていきたいとの思いを強くしました。

2008年には「正観さんの言うことを真に受けていたら人生負け組に成り下がる」と思ってしまうくらいの競争社会の中でバリバリ生きていた私。息子の出来事をきっかけに、その3年後には正観さんの本を多少なりとも理解できるようになり、2012年には正観さんの講演会で笑って泣いて、正観ファンになりました。今は2022年。あれから10年たち、再び正観さんの言葉にふれて、今も昔も変わらぬ真理と、私の内側に起こった変化の大きさを改めて確認したところです。

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