あっこちゃん

自己探求の道中。 いろいろな備忘録。

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マガジン

  • アラフィフ女のあっちこっち自己探求

    「わたしとは何か」「わたしはなぜ生まれてきたのか」・・・と、これでもまじめに自己探求をしております。その足跡と記録を綴ります。

  • アラフィフ女の読書記録

    小説、自己探求、自己啓発、エッセイ、ときどきミステリー。エッセンスを抽出してオススメしたいと思います。

  • アラフィフ女のつれづれならぬ日々のこと

    高2の息子、小6の娘、射手み強いさそり座の夫と暮らす日々の中で、出会った気づきやコノヤロー案件など、気ままに綴ります。

最近の記事

師は至る所に御座(おわ)す。学ぶかどうかは自分次第

三連休の最終日、11月4日。早朝登山に出掛けることにした。午後から娘の友だちが遊びに来るというので、午前中には帰宅しておきたい。ということで、近場でサクッと登れて登頂の達成感もある金時山をチョイス。連休中で、しかも紅葉シーズンの箱根だ。渋滞は必須。駐車場が満車のこともあると自分に言い聞かせながら現地に向かう。 1 期待通りにいかないこと① 箱根の駐車場が満車 朝7時前には駐車場に到着した。満車だった。ここまでは想定内。しかし、なんと、わたしのヒミツの駐車スポットまで満車だ

    • ピアノを久しぶりに弾くことになって見えてきたもの

      「アヴェ・マリアの伴奏をしてみませんか?」 そんなお話をいただいたのが、8月のことだった。 オオシマケンスケさんのシークレットライブで、ケンスケさんの歌うカッチーニのアヴェ・マリアの伴奏だった。 「わたしでよければ・・・」 気がついたら即答でOKしていた。(しかし、その後、「え、えらいことになった・・・」と、滝汗が出たのは言うまでもない。) 今から4年ほど前、小学校に勤務し始めた初年度に、卒業式の合唱の伴奏をお願いできないかと言われて、「いやいやいや・・・」とすごく渋

      • 見えないけれどあるもの(発達支援の視点より)

        怪しげな話に聞こえるタイトルだが、これは「発達支援教育」という分野の、発達支援サポーター講座で受けた授業の内容である。 そのワーク内容はこちら ①ペアになった人と、人差し指をくっつける。 (ETのシーンを思い出してください) ②目を閉じて、その人がどんな人なのかを「感じる」(1分程度) ③目を開けて、ペアになった人とシェアし合う。 ここで取り上げられているものは、「怪しいスピリチュアル能力」では決してない。臨床心理士や専門職に向けた真面目な授業内容であり、このワークから

        • 45歳で小学校教員になる

          ある年の暮れ、知らない電話番号から着信があった。それは教育委員会からの電話で、小学校で英語を教えないかというものだった。 私は今世、様々なことに携わってきたが、いわゆるキャリアと呼ばれるものの多くを占めるところは、結局は教育(英語)だ。 フルタイム勤務は独身の時以来。毎日同じ時間に出勤し、ある程度の時間、拘束を受ける。そんなライフスタイルが、今の私にできるのだろうかというのが正直なところだった。 しかし、今まで経験して積み上げてきたことの多くをフルで生かせる業務内容であ

        師は至る所に御座(おわ)す。学ぶかどうかは自分次第

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        記事

          『春、戻る』瀬尾まいこ

          読書の秋だ。といっても、秋はどこへやらという暑さが続いている彼岸入りである。 実はわたしには、難解すぎて読了前に頓挫してしまっっている本が何冊かあるのだが、この「読書の秋」のタイミングで読むのだと決めていた。しかし、である。あろうことか、手にしてしまったのは瀬尾さん・・・。あぁもう、これは難解な本には戻れない。 ということで、『春、戻る』瀬尾まいこ のエッセンスを抜き取ってみる。 主人公のさくらは、わたし自身にもなじみの深い職場に勤めていた。彼女の味わった挫折は、わたし

          『春、戻る』瀬尾まいこ

          「触ること」から始まる探求

          皆さま、ご機嫌よう。 わたしはここ2か月、寝る前に自分のからだを丹念に触っている。 えっ?どこ触ってんの?! とも、言われかねない、この「触る」という表現は、非常に誤解を生みやすい。「触る」というより、「触れる」としておこう。(「触れる」と「触る」、同じ漢字を書くのに、どうしてこうも語感が違うのだ。。。) とにかく、丁寧に自分のからだに触れている。 足指、足先、くるぶし、ふくらはぎ、膝、腿、鼠径部、臀部、骨盤まわり、、、鎖骨から肩に向かい、指先まで撫でる。首から顔、

          「触ること」から始まる探求

          お金に捧げる讃美歌

          自慢したくもないが、わたしにはお金に対する信念がある。 *貯めなければならない。 *稼がなければならない。 *使うとなくなる。 思い起こせば、これらの信念は、わたしが成長する過程で、母親・そしてその母親(大好きな祖母)から強烈に教えられたことだ。かき捨てたいのだけれど、なかなか取れない。 取り除いたと思っても、しばらくすると内側からあぶり出されるように、 またわたしのまわりを取り囲む。 *********** 今日は、「ピロピロ脳波」を持つ友人達と会ってきた。 「ピ

          お金に捧げる讃美歌

          執着が捨てられない時の解決策

          わたしには、 握りしめて離したくないものがあった。 いつかは離さなければならないことは 知っていたし、 離していこうともしていた。 自分に言い聞かせ、 自分を説得しながら。 だからいつも どこかがチクンと痛かった。 どこかで無理をしていた。 聞き分けのいい子になろうとする、 あの感じに似ていた。 しかし、 握りしめて離したくない気持ちは 次第に溶けていった。 頑張っていい子になろうと 無理をする感じが抜けていった。 どうしてかな? 少し考えてみると、 思い当た

          執着が捨てられない時の解決策

          目標を掲げる前に確認してほしいこと

          ごきげんよう。鋭意自己探求中のわたしです。 自己啓発的なことに取り組んでいると、こんな言葉をよく耳にしませんか? 将来の展望を持とう! 1年先、10年先をビジュアライズしていこう! 未来を、まるで今体験しているかのように思い描こう! いかがでしょう。 これを叶えるツールとしては、ノート、宝地図、ビジョンボード、ロードマップ、手帳など、多種多様なものが用意されています。 こうした手段を用いつつ、さまざまなアプローチでビジョンを描いた人は多いのでは。 あなたさまの人生、そ

          目標を掲げる前に確認してほしいこと

          夫の乗った飛行機が・・・

          8月某日、夫が海外出張から戻ってきた。 実は出国前、ちょっとしたハプニングがあった。あれだけ海外出張に慣れている夫が、今までやったこともない凡ミスをしてしまったのだ。それに気づいたのが搭乗前日。予定していたフライトを変更せざるを得なくなった。 「ありえない。こんなこと、今まで一度もなかった。一体どうなっているんだ。」 そう言ってガックリとうなだれる夫の隣で、わたしは直感した。 「この飛行機は夫が乗ってはいけない便だったんだ」  ーーー あぁ、ありがとうございます、、

          夫の乗った飛行機が・・・

          なぜ夫は娘の要求に全力で応えるのか

          娘が12歳になった。 わたしが娘のことを話題にするのは、この子との関係性が非常に難しいと感じているからだ。最近仲がいいかもと思ってもすぐに険悪になるし、最悪だと思っても関係がスッと改善する。一息つく暇なく忙しい。行ったり来たりのシーソーゲームのように、娘と私は安定的な関係性というものを創るのがとても難しいようなのだ。 さて、わたしが解せないのが、夫(←娘のパパね)が、とにかく娘の要求を全力で叶えることだ。 娘が、見るからに大変健康に悪そうな、原材料名表示欄にカタカナがた

          なぜ夫は娘の要求に全力で応えるのか

          陣痛が始まり、強烈な便意をもよおしたわたしは・・・

          娘が12歳になった。 いわゆる思春期の入り口で、反抗期とも言われる年齢だ。娘との関係性には悩みがないと言えば嘘になるけれど、わたしは”娘の反抗期”に悩んでいる訳ではない。「反抗期」という表現は彼女には合わない。とにかく生まれた時から今まで、エネルギー値の強い子だ。おそらくこれからもそうだろう。親子という関係性である以上、この生命力に振り回されることはわたしの宿命でもあると感じている。 家族は生活を共にし、距離が近い。特に子どもは”自分から”生まれた、つまり、”自分が”生ん

          陣痛が始まり、強烈な便意をもよおしたわたしは・・・

          VISIONというアプローチ

          自己探求という言葉がある。 この言葉にどのような解釈を加えるかは人それぞれだろう。 自らの限界に挑むアスリートだったり、自己表現の深淵を追求する作家やアーティストだったり、求めるものそのものを探す旅人であったり。 どの分野にあっても、深め深まるものはあるのだろうが、わたしにとっての探求は、「わたしとは何か?」という問いへの答え探しである。 この問いへのアプローチとして、4月から6月までの3か月間、”VISION”というトレーニングを受けていた。 言ってみれば、”わたしを知

          VISIONというアプローチ

          江戸の人たちとの交流体験

          東京ステーションギャラリーで開催されていた「どうぶつ百景」展。 最終日に行ってきた。 今回の展示物は、主には江戸東京博物館に所蔵されているコレクションだが、江戸~昭和初期に至る、「動物」にテーマをおいた展示となっていた。 展示物から香るものをキャッチしたのか、その当時の人たちの暮らし、人々の表情、子どもたちの顔、喧騒などが脳裏に浮かんで、時代感覚がなくなるような瞬間が何度となく訪れた。江戸や明治、大正や昭和初期に暮らしていた日本人の感性と現代に暮らすわたしの感性が触れ合っ

          江戸の人たちとの交流体験

          わたしはなぜサウナに行けなくなったのか

          昨年の6月から、「金曜の夜はサ活」というのがわたしのルーティンとなった。(ちなみに「サ活」とは、「サウナ活動」のこと) わたしの「サ活」とは、家から近い温泉施設へ出向き、①体を軽く洗う、②湯船につかって体を確認、③ロッキーサウナで汗をかき、④水風呂でキュッとしめて、⑤屋外でリラックスする。そして③④⑤のサイクルを数回繰り返した後、最後は⑥ミストサウナで体操をし、⑦湯船につかって終了というものだ。この2時間ばかりの時間がわたしにとっては「至福」の時であった。今年の三月までは。

          わたしはなぜサウナに行けなくなったのか

          花粉症と思い込みとパーソナリティについて書いてみる

          花粉症との出会い花粉症という言葉は、今からウン十年前、まだわたしが小さかった頃にはなかったように思う。しかし、花粉症の”症状”は、わたしにとっては身近なものだった。というのも、わたしの父が今でいう花粉症だったからだ。その頃は皆、「アレルギー性鼻炎」と呼んでいた。鼻水に悩まされ、イライラして周りに当たり散らしてしまうこともある父の姿を見ながら、「『あれるぎぃ』っていうものは大変なんだな。」と、子どもながらに思っていた。わたし自身はその症状に困った記憶はないが、一度、妹を耳鼻科

          花粉症と思い込みとパーソナリティについて書いてみる