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寺地はるな『わたしの良い子』 

主人公はこんな人です。
実妹がシングルで生んだ甥の朔(さく)を、妹の代わりに育てることになった姉。

一見すると、大変なお役目を背負い込んで、さまざまなことを犠牲にしている、とてもかわいそうな状況の人のようについ思ってしまう私ですが、主人公の心の中は、常に淡々とした「凪」の状態。「凪」の感覚を体現する彼女の生き方、あり方にぐっと惹かれながら一気に読了しました。

朔は、なかなか周囲になじめない子どもでした。小学生になってからも勉強もスローペースでした。周囲は「もっとこうあるべき」を主人公に押し付けてきます。そんな時に主人公が、朔に対して思っていることが書いてある描写をご紹介します。


(朔に)生きてほしい。
勉強ができたほうがいいとか周りとうまくやってほしいとか、願うことなら山ほどあるけれども、その根源を突き詰めると、結局そこにたどり着くのだった。私は朔に生きて欲しい。良い子じゃなくてっていい。ただこの世界を生き延びて欲しい。ただそれだけ。

私が今、あなたの手を離さないではいつかこの手を離すため。だってあなたはいつか大人になる。1人で生きていけるその日まで、しっかり手を繋いでいよう。


私自身、子どもをおなかに宿している時は、「とにかく元気に生まれてきてくれれば」と思っていました。生まれてきてくれたときはそれはそれは可愛くて。

しかし、次第に我が子が大きくなるにつれて、社会の価値観や常識というものに揺れることになります。首がすわる、寝返りを打つ、ハイハイする、後追いする、立つ。。。育児書や子育て教室では「そうあるべき時期」が提示されていて、その時期と我が子の成長をチェックしていく罠に見事にはまってしまうのです。

うちの子はまだハイハイしない。後追いしないけれど、発達に問題があるのかしら?おしゃべりが遅いなぁ・・・。

「とにかく元気で生まれてきてくれれば」という願いはどこへ行ったのでしょう。心配ばかりしながら子育てをしてしまいました。その呪いがとけるまで、実に10年以上かかってしまいました。

その子も今は15歳。争いごとを好まない、やさしい子に育っています。やさしすぎる我が子に物足らなさを感じそうになるたびに、「今日もこうして生きていて、同じ屋根の下にいる」、「わたしが作ったごはんを一生懸命食べている」それだけで奇跡なんだと、再確認しています。胸がじわっと熱くなって、静かに幸福を感じる自分自身を味わっています。


さて、話は小説に戻ります。

この物語は、実妹が突然姉の元に戻ってくるところから急展開を見せます。

姉も妹も、それぞれが深い傷を負っていた。同じ事象に対してそれぞれが違うとらえ方をしたという、ほんの小さなことがきっかけで。このお互いの傷が氷解していくクライマックスも、本書の読みごたえのある部分の一つだと思います。

わたしの良い子


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