
そのままを受け入れるがピンとこない
そのままの自分でいること
ありたい自分であろうとすること
こうありたい自分と
それができない自分
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なんとなく、思いついたことを書き出していました。
どうしたらいいのだろうと少し重く考えていましたが、眺めていたら最初の硬い感覚が少し変わってきました。
そのままの自分でいるではなくて
そのままの自分も、「それでいい」と思えること
ありたい自分であろうとするも、そうならなくてはいけないではなくて
そうなれたらもっと素敵だなあと思うこと。
「今の自分でもいいじゃん」と思いながら
なれなくてもいいけど「こうなったらもっといいなあ」と思う感じでしょうか。
「そのままを受け入れる」ということなのかもしれませんが、どうも私にはそれがピンとこなくて。
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「こうありたい自分、それができない自分」も同じで
だから私はダメなんだ、ではなくて
「できなくってもいいけど、どうやったらできるか、色々試してみるのも楽しいよね」
そんな風に軽やかに思えたらいいのかもしれない。
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どこまで期待にこたえるかということ
期待にはこたえようとしなくていいのかもしれない。
期待されたと感じたとしても、相手は期待していないかもしれない。
はっきりそう言われたとしても、それは相手がそうだといいと思っているだけで、自分がそう思っているとは限らない。
他人の喜びが自分の幸せだという人もいるかもしれませんが、私はそれよりも、自分のしたくないこと、納得いかないことをやる方が苦痛に感じる。
あくまでも、自分がやりたいかどうかで判断していい。
ただ、自分に余裕があって「やってもいい」と思ったことならやればいい。
とにかく、絶対に無理をしないこと。
その無理をしないも、ギリギリまでではなくて余裕を残しておくようにする。
らくーにできる範囲まで。
相手のがっかりする顔や、ムッとする顔は、グッとこらえてスルーする。
笑顔で断れるようになりたい。
自分の子を守るように、嫌がっている自分を守ってあげたい。
思いついたこと、考えたことをあれこれ書き出していたら、かえるさんがコメントくださりこんな記事を書いていたのを思い出しました。
自分なんてないのかもと書きながら、今日は自分自分です。アレ、どういうことだろう?
ここでは、「固定された本当の自分があると思って探していたけど、そんなのどこにもないんじゃないか」そして「その時々に感じたことをそのまま伝えられたら、それが本当の自分かもしれない」と書いていました。(自分で書いたのにすっかり忘れています‥)
ということは、どんな自分が現れていてもそれでよくて、できない自分も、こうありたいと思う自分もそれでいいということかもしれません。
んーー自分で書いていてわかったようなわからないような、まだパズルのピースが足りない感じです。そのモヤモヤさえそれでいいのかもしれません。
自分が書いたものもすっかり忘れ、その時の気持ちも忘れていました。
その時に何を思って書いたのか、ギリギリ思い出すことができましたが、気持ちをありありと思い出せるように書きたいけど難しいなあ。
なんだかまとまりのない記事になってしまいましたが、もう脳みその限界です(笑)
読んでいただき ありがとうございました。