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照れずに丁寧に愛を注ぐ

いつものことだけど、昨日の出来事をぐるぐると考えてしまう私。

自分が言った言葉をなぞり
自分がしたことをなぞり
誰かの話をなぞり

これは癖なのかなぁ

反省しているわけでもないけれど、その場面を思い出しなぞってしまう。

じんわり薄まっていくことを待つしかないか

パッと切り替えたいって思うけど、できないから仕方ない

**


私がちょっと喋った時ものすごく久しぶりにあった友人から「ああ、そんな話し方だった」と言われました。

(え?どんな話し方?)自分の特徴って自分じゃわかりません。

確かに他の人のことは「ああ、昔もこんな口調だったな」ってわかる。

そして昔も落ち着いていた人は、今も落ち着いていて、昔も大変そうだった人は、今も大変そう。その人らしさってあんまり変わんないのかな。

と、人のことはわかるけど、じゃあ自分がどんな感じなの?って言われたらわかんない。


カトラリーを配ったり、コップの水を気にしたり、店員さんに声をかけたり、なんやかんややっていた。これをやりすぎると疲れちゃうんだろうな。一生懸命気にしてるわけでもないんだけど。気づいちゃうからやってしまう。

今回は疲れるほどのことはしていないから、いいと思うけど「いつもやる人」みたいになってしまうと、段々嫌になっちゃうんだろう。

なんとなく「ここまで」と言うような線を自分で決めておくといいのかな。

無理をしない、は絶対だけど

手の届く範囲だけ
三回に一回は気付いてもやらない
たまに甘えてやってもらう    
とか

自分のちょうどいいがわかっていると良さそう。



いい人と思われたい。そんな下心も入っていると思います。
人間だから、そんな気持ちがあったっていいと認めた上で、

皆んなに気持ちよく過ごしてもらいたい
喜んでもらいたい

そんなから動いているんじゃないかって

自分に都合のいい解釈も入れておこうと思います。

どうせやるなら「愛から」ってことにしちゃおう。



今回、クリスマスのちょっとしたお菓子を皆んなに持って行きました。

もちろん、ありがとうと受け取ってくれた上でですが、

自分は何も持ってきていないのに、と申し訳なく思ってくれる人がほとんどでした。多分私が逆の立場でもそう言うでしょう。

「ごめーん、私何にも持ってきてないのに、いいのー?」って。


でも私は、ハッピーな気持ちになってくれたらいいな、そんな思いだったので、ただ喜んでくれれば十分でした。


だから今度もし、逆の立場になることがあったら

まずは「ありがとう!」と

私を思い準備してくれた事を、もっとちゃんと喜ぼうって思いました。


そして反省点は、恐縮する皆んなに「いいのよー」とパパッと雑に配ってしまったこと。

せっかくなんだから、もっと丁寧に心をのせて渡せばよかった。


愛を注いでいると意識する

照れずに丁寧に愛を注ぐ


今後の私の課題です。



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