見出し画像

演じる自分をやめようとしたら、どんな自分でいたらいいのかわからなかった

人との距離感が苦手です、下手くそです。

基本的には、眺めています、観察しています、何かやらかさないように。

近づきすぎて、引かれることもあります。そうするとまた自分を遠くに置きます。

離れすぎて怒られる時もあります。もっと寄り添って欲しかったのだなと反省します。

相手と同じ位にすればいいのかもしれないけど、そこに意識を集中しているのも疲れるし、難しいし、何かそれも違う気がします。


人に合わせてきた

ずっと、相手に合わせて自分を変化させて人と付き合ってきました。それにはっきりと気づいたのは数年前に人に指摘されたからです。それまで私はそこそこうまくやっていると思っていました。

気づいてみると、無意識に自分を変化させていることに気づきました。

まず、無意識ということに驚きました。演じているとも、自分が変化しているとも思っていませんでした。

確かに、先生気質の人の前ではバカな子供になったり、細かいことは気にしないと演じてみたり、丁寧な人になったり、雑な人になったり。

その時々で、好まれそうな人物を演じていました。

好まれそうと言っても、私がそう感じただけなので、それがよかったのかはわかりません。ただ、いつでもどこでも嫌われないように必死だったのかもしれません。

そのことに気づいた時、私はショックを受けました。
自分の色が何もないからです。私というものがどこにもいないと思いました。

人と会うのが緊張して苦痛なこと、その時々のコミュニティで、その時は仲良くしても続かなくなるのは、そのせいなのだなと思いました。

私は自分のことをよく見せること、嫌われないようにすることだけに必死で、相手のことをちゃんと考えていなかったのだなと気づきました。


演じることをやめたい


相手によって自分を変えるのをやめよう。そう思いました。
相手の話に適当に合わせるのをやめる、相手が喜ぶように演じるのをやめる。
私はただの愛想の悪い人になり、昔の友達と会うのも苦痛になりました。

もう今は、自分のことだけ考えよう。そんな風に何年か過ごしました。

いつかどこかに、本当の自分が見つかり、清々しくのびのびと生きられるんじゃないかと思っていました。だけどそんな自分は見つからず、その代わり新たな自分の面に気づくことはありました。

これは嫌いなあの人のあんな所と同じだ、そんなところがたくさん増えました。



人によって自分を変えることは、どんな時もやめた方がいいのか考えました。例えば、小さな子供と話すときは、その子に合った話し方をします。それは良いことだと思います。頑なに今の自分のスタイルを通す方がおかしいでしょう。

では何がよくないのだろう

例えば、思ってもいないことを言うこと、嫌なのに従うこと、無理やり違う自分に見せようとすること。相手に合わせて接し方を変えるのはいいけど、自分の中身を変えるようなことをすると辛くなってしまうのかな。

それから、そもそも自分がどんな気持ちでそれをしているのか。

自分が嫌われないようにと、ビクビク相手の顔色をうかがっているのと、
相手を尊重し、相手に寄り添ってやるのでは、それも違う気がする。


どんな風に人と付き合いたいのか

どんな風に付き合うのなら、私は心地いいんだろう。

無理しない、我慢しない、嫌と言える、どんな自分を出しても安心。
夫の前ではそうです。だけど流石にどんな私もオッケーは夫だけだろうな。

だけど、緊張しないでリラックスして付き合いたい。
「嫌われないように」と思うと力が入るから、
「嫌う人がいても仕方ないよな」くらいに思っておいた方がいいかな

そして、嫌いな人からも好かれようと頑張らない。

無理して頑張らなくても、今もこの先も私はしあわせ。


***


そろそろ頭の限界なので、中途半端ですが終わります。


私はコミュニケーションが下手くそです、下手だと認識して、学ぶつもりで丁寧に接していく。

ひとつひとつを丁寧に、せめて今はそう心がけようと思います。


いいなと思ったら応援しよう!