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健やかに生活する(5) 無になる時間を作る

仕事が忙しく、またnoteを書くといったOutput系についてスランプに陥っているのですが、ときどきフワァッと勢いで書きたくなるタイミングがあるので綴りました。理由は以下です。

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まだまだ日中は気温が高かったり日差しが強かったりで、夕方涼しくなってからしか走ることはしていないのですが、なぜわたしが走る習慣を続けていられるかというと、タイトルの通りだからです。

マインドフルネス瞑想とか、米YahooやGoogleでも瞑想が福利厚生で取り入れられてるとかって見かけますけど。なかなかそれを日常に取り入れるのは難しいし、だいたい合ってるのかどうなのかわからない…。
そもそも、瞑想してるうちに寝てたとかしょっちゅうなんですよね。寝起きや寝る前に瞑想をとか思ってても、だいたい二度寝や寝落ち。ヨガマットの上だろうがお構いなく、です(笑)

なので、同じように
・雑念に囚われることがない
・身体の五感に意識が集中している
・今の気持ちや今の身体の状況のみに注意が向いている
・判断しない、ありのままを受け入れる、観察する
みたいな心の状態になっていれば「無」になっているということでいくと、わたしの場合は走っているときがだいたいそのような状態です。当然、瞑想とかができる人はそれでも十分だと思います。

この「無」になる時間を作るというのは、いいことも悪いこともリセットできます。そして自分をものすごく客観視できるようになります。

どうしても日常生活を送っていると、起きている事象ではなく目の当たりにした事象から発生する感情や思考に囚われてしまい、勝手にネガティブになってしまったり、勝手にモチベーションが下がったりします。主観的にしか見れていない、という状態といえばいいでしょうか。

走る習慣がないときは「無」になる時間なんてほとんどなかったので、メンタル的な意味においては上下はすごかったし、喜怒哀楽も激しかったし、何かしらにつけ自分都合でいろいろ考えて結論付ける性格だったなぁと今振り返れば思います。

が、走る時間が「無」になる時間になったことで、徐々にそういった雑念が取り払われていったのか、メンタルの上下があまり起きないフラットな状態が作りやすくなった気がしています。最近、周りにも何があってもどんなことがあってもフラットだよねと言われることも多くなりました。

メンタルの上下があまり起きないと、生活は格段に健やかに過ごせます。特にメンタルが下がらないことのメリットは大きいです。
人間なので、いろんなことで悩むのは普通です。よかったのかどうだったのかくよくよすることも多々あります。でも、「無」になることで早くリセットできる。

前回の身体的な健康でいることにもつながりますが、メンタル的にも健康でいることも、健やかに生活することにおいて大事なことですね。

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あっち
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