マグロの心臓を食べた。
スーパーにマグロの心臓が売っていた。お値段なんとワンコイン以下。それに半額シールが貼られている。30センチ近くあろうそれは、いかにも「吾輩は心臓である」といった様子で、たったひとつ、他のお魚と一緒に陳列されていた。
初めて見るマグロの心臓にびっくりだし、そのお値段にびっくりだし、それに半額シールが貼られているのにもびっくりだし、なにもかもにびっくりして、思わずそれを手に取った。黒っぽくなってきている。加工日は昨日。
マグロの心臓。初めて見た。どうやって食べたらいいのかもわからない。食べたこともない。でも、希少なものであることは、わかる。だって一匹につき一つしかないものだし。
もし、このまま誰にも買われなかったら、廃棄されてしまうんじゃないか。こんなに大きなマグロの心臓。たったひとつしかない、マグロの心臓。誰にも買われず廃棄ですって?そんな罰当たりなことがあっていいのか。
たまらず、かごの中に入れた。大変なものを手に入れてしまった。
マグロの心臓は煮つけがうまい。
半額シールが貼られているくらいだ。すぐにどうにかしてあげねばなるまい。帰宅するなりクックパッドで、「マグロ 心臓」を検索。どうやら煮つけが美味しいらしい。夕飯の支度を始めるより先に下処理に取り掛かる。一口大に切り、バットに入れ、水にさらす。血で真っ赤になった水がどんどん流れる。あらかた水にさらした後は、塩とお酒をよく揉みこんで、冷蔵庫の中に。続きはまたあとで。
娘が「マグロの心臓、お夕飯に食べられる?」と聞いてきたので、「まーだまだ」と答えた。夕飯はお惣菜コーナーで安くなっていた白身魚のフライを食べた。ごはんを食べながら、「マグロの心臓を食べると、どこまでも走れるようになって、どこまでも泳げるようになるよ。だから、明日の朝に食べようねえ」と、約束した。白身魚のフライは美味しかった。ここのスーパーは、何を買っても美味しい。
夜更け。塩とお酒が臭みをとってくれた頃合いに、水洗いをして、お醤油、お酒、みりん、お砂糖と一緒に鍋に入れ、火にかける。煮立ってきた。アクを取り、しばし静観。青い香りがたってきた。たまらず、つまみ食い。
う、うまーい!うまい!うまーい!
煮詰まってきた。完成。お皿に盛りつける。夜中の12時。出来立てのおいしさを頂く。
マグロの心臓は、心室と心房の2つの部位がある。赤く、レバーのような食感の心室。白く、コリコリと弾力のある食感の心房。順番に食べて、うまい。うまい!うまーい!どっちも、うまーい!
味見の予定が、存外しっかりと食べて、あとは明日の朝にとラップした。すでに色が黒く変わってきている。できたての、一番美味しいとき、美味しいところをいただけるのは、つくる者の特権である。
お命頂戴して、生かされているんだなあ。
30センチちかくもあるマグロの心臓。たったひとつの、マグロの心臓。絶対に間違いが無いように、わたしにしては珍しく、クックパッドを丁寧に丁寧に見ながら調理した。調味料を測るのに、大さじ小さじを引っ張りだした。心臓に包丁を入れる時も、どうやって入れようか、としばらく迷ったし、捌いている時に、「生物勉強をもっとしておけばよかった」って後悔した。ものすごく、緊張した。
今までお料理をしている中で、こんな緊張感をもって、包丁を握ったことは無い。もちろん、お魚は捌いたことはある。焼き鳥のハツも大好きで、焼き鳥屋さんに行けばよく食べる。でも、こんなに大きな心臓は。心臓の形をした心臓は。うまれて初めて見た。
心臓ってさ。例えば日照りが続いて作物が育たないとか、川が氾濫して村が潰れてしまいそうなときとか。そういう時に、人間たちが神様に捧げる、大切なものじゃないか。生命の塊だよ。こんなん。神様のものだよ。そういうものなんだよ、わたしにとっての心臓は。
それをね、こんな田舎の、教養の無いごく普通の一般人がね。ワンコイン以下の、しかもその半分の値段でね、手に入れてしまってだよ。包丁で捌くんだよ。神様に怒られそうだよ。バチが当たりそうだよ。すごく緊張するのも、無理もないよ。だって心臓は、ものすごく大切なものだから。
しかもだよ。30センチだよ。すごく大きいんだよ。心臓が30センチなら、マグロの大きさは、いったいどれほどだったんだろう。ものすんごく大きかったんだと思うよ。わたしが両手を広げたより、ずっと大きいマグロだったろうよ。世界中を泳いだ、大きな大きなマグロだったんだろうよ。そんなマグロの、心臓だよ。
手が合わさるよ。手を合わせねばなるまいよ。
つい半日前までは、心臓の形をしていたのに、美味しい煮つけとなってお皿に盛られた、マグロの心臓。
ありがとう。わたしの家に来てくれて。お料理させてくれて、ありがとう。食べさせてくれて、ありがとう。いただきます。お命、大切に、頂戴いたします。
もうね、これ以上の言葉が思い浮かばないよ。いただきます。こんな気持ちで、いただきますと手を合わせたことが、これまでにあっただろうか。
次の日の朝。ご飯の上にマグロの心臓の煮つけを乗せて、みんなで食べた。朝から大ご馳走だった。
マグロの心室はレバーのような臭みがなく、しっとりとしていて、すごく美味しい。幼い娘も、喜んでもりもり食べた。
娘はきっと、どこまでも泳げて、どこまでも走れる、強く元気な身体に育つだろう。わたしだってそうだ。頂いた命に失礼が無いように、強く生きねばなるまいよ。
ありがとう。ありがとう。ごちそうさまでした。