ぶっ飛んだ人のブレインストーム
私はかつて「一人で会議をする」ということを、しばしば行っていた。
と言っても、ただノートなどに考えを書きなぐっていくわけではない。
脳みその中にクリエイティブな会社があると想定し、何人かの社員で、特定の議題について意見を出させるのだ。
現実的で、会議のまとめ役を務めてくれる社員。
感覚的でありながら面白いことに目がない社員。
メルヘンやファンタジーに詳しい社員。
そんな編成で、アイディアを洗練させていく。
自画自賛になるが、社員たちが意外と優秀で、私一人きりで考えている時よりも遥かに意表をつくようなアイディアが出てくる。
会議は、結論にたどりつくこともあれば、たどりつかないこともある。後者の場合は、次回の会議に持ち越す。またはそのまま寝かせておいて、別の機会に再利用する。
やはり会議だからか、時間はかかるのが難点だ。
議事録も、おのずと膨大になる。
それでも、自分では思いつかないアイディアが欲しい時、脳みそをこれ以上掘れなくなって行き詰った時は、一人ブレストが最適だったのだ。
だが、このことを人に話すと、えてして目が点になっていた。
相手が趣味で小説を書いているような人であっても、何も反応してもらないということがあった。
たぶん、そういう習慣がまったくないのだろう。
クリエイティブなことに関わっている人の中には、たまに数学の公式に当てはめるように、物語の設定を順序に沿って作るべきだと言う人がいる。
テーマ、コンセプト、ストーリーライン。それらの設定が出来上がってから、ようやくキャラクターを考え始めなさい。
そういう考えは、効率的だとは思う。
費用対効果に一番重きを置いているとか、そういうやり方が一番自分に合っているというのなら、それ以上に良いことはないだろう。
だが、それを私に押し付けてくるような人というのは、迷惑でしかない。
だって、一つの作品に収束するしか道がないのではないか。
私はもっと多面的に考えて、いちいち吟味して、豊かな創作がしたい。
思考回路を隅から隅までフル稼働させたい。
やっつけるように仕事をしたくない。
せめてアイディアを出す時くらい、贅沢な方法を取りたいものだ。
とはいえ、きっと「一人ブレスト」のことを他者に話すと、またドン引きされるのだろうなぁ……
そう思い、私はしばらくの間、誰にも話さなかった。
ところが、私と似たようなことをした人の記事を、ネットで見かけた。
「ルックバック」や「チェンソーマン」などのヒット作で有名な、漫画家の藤本タツキさんだ。
中学生時代のエピソードが、Wikipediaにも書いてある。
藤本さんは当時、脳内で雑誌を作っており、自ら考案した漫画を雑誌内で連載していたという。
そういう習慣は、人によっては狂気と映るのかもしれない。
だが、私はまったくもって藤本さんに同感しかなかった。
私もいろいろと人に言えないエピソードがある。詩を百篇作って、友達に読んでほしいと頼んで、戸惑わせたり。自作のゲームシナリオを、マイクなどの機材を用意して朗読して、音響関係の専門学校に通っていた友達に録音してもらい、ドン引きされたり。
そんな一人遊びが、今日の創作活動につながっている。
こういう頭のネジの外れたエピソードは、ここだけの話にする。
頭がおかしいと不必要に思われたくないし、とっくの昔から精神科のお世話になってもいる。
だけど、自分のことながら、こういう習慣を持っていることを、ちょっと個性的で面白いなと感じているのだ。