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東日本大震災から10年の三陸をゆく

1.終わっていない東日本大震災

おりしも2月13日深夜 震度6を超える地震が起こった。2011年の余震という。
あれから10年。津波被害地の三陸沿岸を回った。
目に飛び込む景色は防潮堤の壁。工事は今なお進行している。東日本大震災の影響は地震現象を含めなお進行形なのだ。

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       (上記2枚は2021/2/23現在の岩手県田老町の防潮堤)
海とともに生きる選択肢より津波の脅威から脱するということを選択したアウトプット。岩手、宮城、福島におよぶ湾岸400Kmに防潮堤を建設。建設費は国家予算が投入され1兆円という。住民ニーズが真に反映されたものだろうか?津波からの安全対策という大義によるゼネコン事業ではないかと勘繰ってしまう。保守メンテ費用にコンクリートの耐久は50年。後年度負担も重い。


2.はじめて見た震災遺構

海のそばに立地する仙台市荒浜小学校、津波の到来を屋上避難で事なきを得た。
北上川河口から4Km上流にある釜石地区の大川小学校では多くの犠牲者が出た。
両校は震災遺構として残っている。関係者は思い出すことも辛く遺構を残すことに大きな抵抗があるに違いない。
震災遺構を調べてみると以下の三項目に当てはまるものとされている。
 ○被災の痕跡を残す構造物・建築物(必要に応じ地形,地層等も含む)
 ○鎮魂、後世に向けて防災・減災に役立つもの
 ○原則として、被災の痕跡を一定程度残した状態で現地保存されるもの
被災地以外の地域や次世代の人々も含めた幅広い対象に, 震災の脅威や教訓を伝え,防災・減災意識の醸成を促す役割に残すため震災遺構は存在する。
と定義されている。
幾度も繰り返されてきた津波の被害、言い伝えという言葉の伝承だけでは、想像力をもった津波到来への対応が難しいとすれば震災遺構は大切なソリューションになることをのぞむ。



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3.出発前に事前調査していたら飛び込んで来た情報

元東電の福島第一原発の技術者木村俊雄さんのメッセージ(youtube)を見た。

事故前から福島第一原発の設計に欠陥があると気づき上司に進言したところ、君の指摘に間違はないが会社としてはタブーであり見直すことはないと答えたという。会社を退社した彼は、今自然エネルギーを使った自給自足の生活を高知で送りながら東京電力が作成した福島原子力事故調査報告書(平成24年6月20日)の杜撰な箇所を根拠を示し事実隠蔽を訴えている。もちろん、再稼働などあり得ないと。
航空機事故はボイスレコーダなどあらゆるデータを分析し徹底的に原因を追求する。当然原因調査中は同機種が離陸することはない。しかし、この報告者東電は
事故は想定外の津波による水没が原因であるが地震による損傷は原発施設には、なかったと報告している。木村氏は、原発にも飛行機のボイスレコーダーと同じようにすべての動きが記録された記録機能があるにもかかわらずそれを公開せず都合のいい報告をしていると訴えている。

調査中の飛行機を飛ぶすことはない。再稼働は、調査不完全のまま飛行機を飛ばすことと同じでことであり、しかも(原発)事故が起これば甚大な被害が起きることは明白だ。民間飛行機会社で大きな事故が起これば倒産にいたる。民間企業の顔をした政府原発事業はいかなる事故が起きたとしても無限に税金をあてがいリスクを恐れない事業体をつくる。そして、たとえ事故が起きたとしても、その復旧に関わる予算は大義となり青天井、その黒い色の蜜を一部企業が吸いつづけるという構図ではないのか。もつれた糸を解くのは難しい。

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