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「ドリーム」
「春は曙…」
春ですね。
雨が上がるとそこには春が待っていた。
そんな感じですかね?
気温は一気に上がって、着る服にも困ってしまうような暖かさ。
春の陽気に満ちて、多くの人々が街を練り歩く。
ここは何処の国だ?
あらゆる言語が耳に入ってくる。
皆一往に楽しそう。
海外からの観光客の中には、もう半袖で歩く人も見受けられる。
その姿を見て「寒そ!!」っと今日一日で思わなくなった。
つい先日まで半袖とかあり得ない。
そんなふうに思う程寒かった。
うん。
変化が劇的すぎる。
そして空が青い。
ひたすらに淡く青い。
青く淡く澄み切った空のもとで走る電車の画になることよ。
空の青さに夢中になっていると、太陽の眩さが増していることに気付く。
そう、この温かさを演出している映画監督的立場の太陽。
監督兼主演役者といったところか。
「あの太陽に向かって走れ!!」
太陽監督からそんな声が聞こえる。
気のせいですね。
淡く澄んだ青空に、心地の良い日差しを発する太陽…。
必然的に外に出たくなる。
身体を動かしたくなる。
そして眠気を誘う…。
「春眠暁を覚えず」
ですよ。
ここは過ごしやすくなってきた気候に任せてひと眠り…。
💤…😪
💤💤……😪😪
💤💤💤………😪😪😪
「ハッ!!」
「夢か…。」
経験ありませんか?
きっと誰しもに思い当たる節はあるはず。
見ている夢が良い夢ならもう少し見たかった。
逆に好ましくない夢なら覚めて良かった。
ありますよね~。
寝ている時に夢を見るのは、脳の情報整理の一環であるとか。
夢をよく見るのはレム睡眠の時。
レム睡眠の時は脳が活発に働くからなんですって。
対してノンレム睡眠の時は脳も休息しているため、見る夢の内容は単調になりがちだそうだ。
なるほど。
具体的に色々な説があるそうだが、実のところまだ分かってないとのこと。
「夢を見る」
夢を見ることは、色々な事柄を見ることができるので自らの叶えたい願望を「夢」とかけて、「夢を語る」とかになるのかな。
昔描いた「夢」はどれだけ叶っただろう。
まあ、叶った夢を数えるよりも現実に生きて生活している…「無事これ名馬」であることが重要なのだ。
多分。
夢だった、考えていたことは夢だった
目が覚めてみたら、なんにも見当たらなかったよ
ビッグ・ビル・ブルーンジ―
![](https://assets.st-note.com/img/1711711447412-LDdjPDHWns.jpg)
画像引用元:Wikipediaより
所説ある生年月日には1893年生まれ、もしくは1898年生まれだとか言われているミシシッピで生まれたブルースマン。
マディ・ウォーターズも憧れの人だったそうだ。
何でもマディがシカゴに出てきた当初(1943年)に、ビッグ・ビルが音楽活動を助けてくれたりしたとか。
言うならば「シカゴ・ブルース」の礎を作った人とも言われる。
生涯(1958年没)に300曲ほど録音したと言われ、ジャンルも多岐に渡る。
ギターの腕前も確かなもので、洒落っ気のあるシティ・ブルースを奏でる。
ただ、音楽活動自体の収入は少なくポーターや保安員などの労働をするかたわら、活動をしていたそうだ。
後年になって、エリック・クラプトンがカヴァーしたビッグ・ビルの「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」や「ヘイ・ヘイ」といったナンバーが有名でもある。
後輩ミュージシャン達に多くの影響を与えたんでしょうね。
没後の1980年には殿堂入りも果たしている。
さて、ビッグ・ビルのナンバーに「ジャスト・ア・ドリーム」というナンバーがある。
「ただの夢」という意味合いだそうだ。
ピアノの躍動するリズムに乗せて、味わい深くギターの音色が響き、昔懐かしの「オールディーズ」の雰囲気も感じさせる。
冒頭からビッグ・ビルは「考えていたことは全て夢だった」と、一聴して元も子もない独白から始まるこの歌。
曲のヴァース部分で「天国にいる夢を見た」、「百万ドルを持っていて、女房は人魚」、などまさに「夢」をひたすら語っている。
果てにはホワイト・ハウスで大統領の椅子に座り、大統領と握手をする…。
そんな描写も出てくる。
目が覚めたら全部、なんにも見当たらない…
「ただの夢」。
ブルースの形式に沿ってそのオチをくり返すビッグ・ビルの「ただの夢」。
ん?
何かこう最終的に、歌詞に「救い」の部分はないのかと。
励まされるようなものは…。
良いんじゃないですか。
「ただの夢」なんですから。
調べてみると1939年に発表された本作。
天国にいたり、百万ドルを持っていたり、ホワイト・ハウスにいたり…
叶いそうにないことを「ただの夢」として語り、起きてみたら何にもないことが現実としてある。
「夢」を見ることはタダであり、「夢」を楽しむことも個人の自由。
滑稽そうな歌の内容だが、何もない現実からその「夢」を見て、「夢」をみている間はそれを楽しんで、「夢」から覚めて再びなんにも見当たらない現実を過ごしていく。
「ジャスト・ア・ドリーム」を聴いていた当時の人々は、そんな「ただの夢」を聴き、共感し、滑稽でありながらも「夢」をみることは自由であり、ビッグ・ビルの歌う「夢」の内容に大いに共感しながら生活を送っていたのではなかろうか。
何なら笑いも起きていたなんて想像したり。
夢を見て、夢を語る。
素晴らしい。
でも「ただの夢」だって良いじゃない。
起きて何もなくても、「夢」ではない「現実」はそこにある。
現代風に解釈するなら、何かしらの「夢」を見て生活できるだけでもありがたいと思った方が良い。
みたいな感じか。
そう、色々な意味で「ただの夢」でも良いんだぜ、っと肩の力が抜ける…
そんな感じで捉えるのもありかな。
何にせよ…
「ただの夢」とかけて力強く生きる「ブルーズ・マン」の姿が見えた気がする「ジャスト・ア・ドリーム」。
ちなみに「ジャスト・ア・ドリーム」は後にマディ・ウォーターズもカヴァーしているそうだ。