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70年代、流行った洋楽。〈ミッシェル・ポルナレフ〉

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。

ミッシェル・ポルナレフ/Michel Polnareff

 フレンチ・ポップの旗手、ミッシェル・ポルナレフ。当時は英語圏の音楽が日本のポップ・シーンでも主流でした。
 そこへ、彗星のように現れてあっという間に若者(特に女性)の心をつかんだのが、フランス出身のこの人と、その曲でした。

1.シェリーに口づけ/Tout Tout Pour Ma Chérie/(1971年)

 彼はすでに60年代にフランスでデビューしていましたが、この曲が日本ではじめての大ヒットとなりました。フランス語の原題を翻訳すると「全て、全てを私の愛しい人に」とか。

1971年8月に日本ではCBSソニー(レーベルはその前月に発足されたばかりのエピック)よりシングル「シェリーに口づけ(Tout, tout pour ma chérie)(c/w 初めての愛)」と、同曲を追加収録したファースト・アルバム『愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ 1』が発売される。……日本での人気はこの時に火が付き、「シェリーに口づけ」がラジオ・チャートでトップ入りし、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなったことで、実質的にはこの時点が日本でのデビューとされている。(ウィキペディア)


2.愛の休日/Holidays(1972年)

 アンニュイなムード、浮遊感もある曲調。ユーミン(荒井(松任谷)由美)は、アマチュア時代にミシェル・ポルナレフの音楽、中でもこの曲に大きな影響を受けたと語っています。

原体験などという大層なものではないのですが、ミッシェル・ポルナレフに「ホリデイ」という曲がありますよね。あれは空から教会や畑を見ているという内容の歌なんですが、あの曲に衝撃を受けて、俯瞰を手に入れたというところはあります。そういうアングルの歌は日本語の曲にはなかったから。
(TAP the POP)

 天地真理もこの曲をカバーしてました。ライブ音源だそうです。(1974年)


3.哀しみの終わるとき/Ça n'arrive qu'aux autres(1972年)

 フランス語の原題を翻訳すると「それは他人にしか起こらない」とか。ちょっとピンときませんが。フランス映画『哀しみの終わるとき』のテーマソング。切ないですね大人の恋。ピンときていたのか、きていなかったのかあやふやな当時の僕でした。

当初はこの映画の音楽担当はミシェル・ルグランだったが、諸事情によりミッシェル・ポルナレフに交代した。(ウィキペディア)


4.渚の思い出/Tous Les Bateaux, Tous Les Oiseaux(1972年)

 フランス語の原題は「すべての舟、すべての鳥」とか。冒頭の汽笛と鳥の鳴き声が印象的です。しっとり歌い上げるように、時に語り掛けるように。切なく甘い表現がフランス語の響きにとても似合います。


5.愛のコレクション/Qui A Tue Grand' Maman (1972年)

 フランス語の原題は「誰がおばあちゃんを殺したのか」とか。一見、物騒な内容ですが、とても切なく、深い曲。こんな、サスペンスドラマの一場面のような仕立てのフィルムも。


6.忘れじのグローリア/Gloria(1973年)

 当時の、ミッシュル・ポルナレフの連続ヒットはまさに、怒涛のようにすごかったとおぼえています。

1973年の日本の一般的中学生の間で“洋楽”と言えば、基本はカーペンターズかミッシェル・ポルナレフだった。
出る曲、出る曲、次々とヒットチャートのトップを獲得。ラジオでカーペンターズとポルナレフの曲を聴かない日はなかった。(という印象)
(DAI HON屋)

 彼の曲、日本の歌手によるカバーもたくさん。四角いサングラスに縮れた長髪も相まって私も衝撃をうけました。


7.愛の願い/love me please love me(1966年→1971年)

 本国フランスでは1966年に発売されましたが、日本では『シェリーに口づけ』のヒットにより過去の彼の曲が見直されて、1971年にヒットしました。
 父は有名な音楽家で母はダンサー。5歳でパリ音楽院に入学。両親は英才教育を受けさせようとしました。しかし、その反対を振り切ってロック、ポップスの道へ進みました。クラシックの素養があるのですね。


最後に
 ロックを主体とする当時の音楽は、男っぽさ満開でしたからね。その対極にある彼の音楽はオシャレでスマート。でもそれだけではありませんでした。そんな連続ヒットを今回ご紹介しました。まだありますが別の機会に。

女・子どもの聴くものなんか——という、僕のロック信仰者の先輩方は、例によって「あれは歌謡曲に過ぎない」と、ポルナレフのことをバカにしていた。フランスというところも「スカしやがって」と気に入らなかったのかもしれない。(DAI HON屋)

 一部で「女・子どもの聴くものなんか」といいわれていたんですね。現代では問題発言になるかもしれません。

 歌謡曲にすぎない……なにか問題でも?




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