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70年代、流行った洋楽。13

当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。

70年代にはこんなことがありました。

シーモンの涙/イングランド・ダン&ジョン・フォードSimone/England Dan & John Ford Coley (1972年)

 心にひびく、メロディーと歌詞。泣けてくる。辛いとき、寂しいとき、孤独感に打ちひしがれるとき、誰にもあるはず。
 そんなときは、この曲を思い出して元気をもらおう、勇気を得よう。そして気分を変えて、あらたな一歩を踏み出して前を見てすすんでいこう。未来を信じて、自分を信じて。

この曲がヒットしたのは日本のみで、本国アメリカでは全く売れなかったらしい。こういう現象は70年代には度々あって、日本のレコード会社が現在のような垂れ流しではなく、当時は如何に知恵を絞って売り込みをかけていたかが偲ばれる。
ピアノによる軽快なリズムのイントロに導かれて歌われるのは、シーモンという女性への慰めと励まし。
(還暦おやじの洋楽日記)


カントリーロード/ジョン・デンバー
Take Me Home, Country Roads/John Denver
 (1971年)

 誰にもある故郷の懐かしい思い出。故郷のなつかしい山や川。空と海が広がる風景に癒される。たとえ故郷といわれるような土地がなくとも、母がいる父がいる、兄弟や友人がいる。家があり、路地があり、飼っていた犬や猫がいた。
 おもいだせば、私たちの心には、自分の過去のすがたがある。よちよち歩きの幼い自分。いろんな人や物に囲まれていた。そんなときがあって今がある。

「故郷へかえりたい」は、アメリカ合衆国のポピュラー・ソング。日本語によるカバーなどでは、タイトルを「故郷へ帰りたい」、「カントリー・ロード」とすることもある。 ジョン・デンバーの歌唱で1971年に発売され、ビルボードで全米2位の大ヒットとなった。作詞・作曲は、ジョン・デンバー、ビル・ダノフ、タフィー・ナイバートによる共作。 現在では多くのミュージシャンによってカバーされている 。
(ウィキペディア)


マミー・ブルー/ポップ・トップス
Mamy Blue/Pop Tops(1971年)

 女性コーラスと男性ボーカルがからむ、物寂しい曲調。当時、ずいぶん流行って「Oh,Mamy Oh,Mamy Mamy Blue......」と口ずさんだりもしていたことを思い出します。
 70年代前半は良いにつけ、そうでないにつけ変化の大きな時代でした。「光と影」というのでしょうか。照明が明るければ明かるいほど、反対に影は濃くなります。そんな時代背景がいま思えばありましたね。

21歳の時家を出た僕、ママは忘れてしまってるでしょう。ママに会いたいと家に戻って来てみれば、そこは荒れ果ててしまって、誰の姿も見えない。僕はどこにも行く場所がなくなった。僕には未来なんかない。ああ…ママ…ママ…
自分を育んだものに裏切られ、彷徨し、挫折、そして愛されてはいなかったはずの母なる存在に立ち戻ろうとしても、そこには絶望と無力感、虚無だけが存在する世界が果てしなく広がり、後ろにも前にも行けない。信じようとしたが見捨てられ、それでも希求しようとした存在―ママ―へのとどかぬ思いを吐露した言葉が連なる…
(TAKのブログ)



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らいとらいたあ
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