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1993年のオーストリア・モーツァルト №49〈ウィーン №1〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

ウィーン♪ №1(IC急行、遅れる)

1993(平成5)年7月19日(月)午後

 13時5分発のはずのIC急行だが30分以上も遅れてザルツブルク中央駅に到着した。この分ではウィーン着は5時を過ぎるだろう(※1)

〈オーストリア旅行 オーストリアの女性〉
1993年7月発行のザルツブルクの観光新聞
WILLKOMMEN IN ZALZBULG”(ヴィルコメン イン ザルツブルク)
「ザルツブルクへようこそ」より

 リュック姿の若者が目につく。2等車の通路を進んで中ほどのコンパートメント(6人掛け)のドアが開いていたので、中をのぞくと初老の女性が窓際の席に一人でかけていたので「オーケー?」と簡単に聞いた。(※2)

〈ウィーン観光 ザルツブルクからウィーンへ〉
楽しかったザルツブルクやザルツカンマーグートの湖畔の街ともお別れです
IC急行でザルツブルク中央駅を出発して終点のウィーン西駅へ向かいます

 相手がうなずいたので通路側の端、女性とは対角線の位置の席に腰掛けた。どちらも本を読んだり、ぼくはラジオを聞いたりしていたが少し雰囲気が重くなったように感じた。(※3)

〈ウィーン観光 ザルツブルク北駅〉
IC急行が遅れてなかなか到着しません
しかたがないのでホームで時間つぶししました

 ウェルス駅を過ぎたころに、ぼくは思いついて日本から持ってきた折り紙を出して鶴を折り始めた。そうすると彼女はこっちを向いて興味ありげな様子をしたので、できたのを一つ女性にあげてまた一つ折り始めた。(※4)

〈ウィーン観光 IC急行〉
30分以上の遅れで到着しました
乗客のみんなもやきもきしたことでしょう
赤いIC急行はなかなかの格好良さでした

 オーストリアにも似た遊びがあると彼女は話してくれた。そしてこの列車の遅れの原因を彼女が話し出した。(※5)

  
――つづく――

※1 遅れたのには訳がありました。あとで同席の女性から聞くことになります。

※2 わたしは基本的に消極的で人見知りするたちです。でも、外国へ行ってそれでは不便であり損です。旅の恥はかき捨て、恥をかいてなんぼや。と開き直っていたところがあります。

※3 英語も上手に話しましたし本を読んでいたからでしょうか、女性には教養を感じさせる雰囲気がありました。訳があってこの列車に乗っていたのですが、それはあとでわかることになります。

※4 ザルツブルク空港に着いた瞬間からこの地の人の日本人への信頼感を感じましたから。この女性もそうでしょう。折り鶴を受け取ったということは、私のことをあまり怪しんでいなかったと解釈します。

※5 このあと英語で話をして、列車が遅れた原因と、彼女がこの列車に乗っている理由をわたしは知ることになります。



※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。

#オーストリア
#ザルツカンマ―グート
#モーツァルト
#30周年
#わたしの旅行記

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らいとらいたあ
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