70年代、流行った洋楽。〈シルヴィ・バルタン〉
当時、FM放送の開局を追うようにはじまった『ポップス・ベスト10』などの番組で毎日のように聴いていた洋楽。自然とおぼえて口ずさんだりしていました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけではなく、半世紀も前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。
前回「70年代、流行った洋楽。5」でシルヴィ・バルタンの1970年のヒット曲『悲しみの兵士』をご紹介しました。それにちなんで、ぜひ、60年代にさかのぼって彼女のことを掲載させていただきたいと思います。
「アイドルのはしり」とされる彼女。でも、少年だった私にとっては、年上のあこがれのおとなの女性のような感覚だったでしょうか。64年の世界的ヒットからリアルで聴いてきた世代。シルヴィとの、60年近い「なが~いお付き合い」のエピソードみたいなことも。
あなたのとりこ/シルヴィ・バルタン
Irresistiblement/Sylvie Vartan(1968年)
『アイドルを探せ(La plus Belle pour Aller Danser)』で一世を風靡した1964年二十歳のときのヒットから4年。すてきなお姉さまになりました。いやまだ、「アイドル」の面影ありですね。
78歳となった今でも現役の彼女、大の日本びいきで有名です。フランス語で歌ってましたけど、元のご出身はブルガリアです。お父さんの仕事の関係で8歳のときにフランス・パリに引っ越したとのこと。
過去の来日時に、ウルトラマンの宿敵「バルタン星人」の着ぐるみとご対面したり、じつは……。
ご本人、対面の時の映像では気さくに笑っていましたので、このてん末でまるく収まったんでしょうね。
あるときは、日本の料理番組が彼女の自宅へ取材に訪れたり……。
ここまで来たので、ついでと言っては何ですが彼女の最初の世界的ヒット曲も押さえて置きましょう。
アイドルを探せ/シルヴィ・バルタン
LA PLUS BELLE POUR ALLER DANSER/SYLVIE VARTAN(1964年)
彼女のフランス語はまるで魔法の言葉です。キュン。ういういしさの中にも、人心をつかむスケールが感じられます。
ちなみに、フランス語を日本語にすると「舞踏会で一番美しいのは私」ですか。
この曲、さすがはフランスの鬼才、シャルル・アズナヴールが作っただけはありますね。
そういえば、当時テレビで目にしたコマーシャルがありました。さまざまなバージョンの中に、彼女が出たものも。
レナウンCMソング「ワンサカ娘」/シルヴィ・バルタン(1965年)
こちらは、小林亜星の作詞・作曲。さすがです。
当時は、もちろんインターネットもなかった時代です。おもな娯楽、情報源は、雑誌や映画やテレビ。毎日のように彼女の歌や映像に親しんだので、まったく「あなたのとりこ」になりました。一種の「スリコミ現象」でしょうか、リクツでなく惹かれるのは。
フー、これでとりあえず気がすみました。(笑)
番外編にお付き合いいただきありがとうございました。つぎは、またシリーズ編でお会いしましょう。