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究極型パラダイム・究極の経営を実現する:ティール型パラダイムのその先へ

まえがき


今、DAOブームが巻き起こっている。このDAOとは分散型自立組織と呼ばれ、ティール組織のことと言って差し支えない。ティール組織はインテグラル思考という本を元に考案された組織である。この組織で構成された会社は、日本ではサイボウズが有名で、DAOは働きがいの高い新たな組織として注目を浴びている。

インテグレーティブ・シンキングの著者ロジャー・マーティン氏は2019年の経営思考学会のアカデミー賞と呼ばれるThinkers50で2位、ティール組織の著者フレデリック・ラルー氏は39位にランクインし、経営思考学界にも多大な影響を与えた。

そこで本文章では、DAOのその先を考えるべく、ティール組織、ティール型パラダイムの先のパラダイムを考えていくこととする。

本文章は思考段階にあり、多分に間違いがある点をご了承頂きたい。筆者の当面の目標は、経営思考学界に影響を与え、少しでもThinkers50とティール組織を有名にしていくことである。一度でもティール界隈の意見として参考になれば幸いだ。



ティール組織の説明

まずはティール組織を説明し、その究極へ進める方法について考えてみる。ティール組織についてすでにご存知の方は、ティール組織の究極化の所まで飛ばして頂ければ幸いだ。

ティール組織は進化型、生命型とも呼ばれ、生命のように進化していくためそう呼ばれている。ティール組織を構成するものは、主にセルフ・マネジメント、全体性、存在目的3つだ。

セルフマネジメントでは、これまでの上司・部下といった階級的な組織構造から完全に脱却し、全員がリーダーとなり自ら経営を行う。チームメンバーの合意によって組織の意思決定がなされる。DAO(分散型自律組織)はこのセルフマネジメントの特徴をより強調したものと言える。

全体性は、まさにインテグレーティブ・シンキングのことである。AかBかの二択を迫られた時、AとBの両方の良さを兼ね備えたCを考える思考のことである。二つを統合するからインテグレーティブであり、A~Bと全体を見渡すため全体性なのだ。

存在目的は、組織のパーパスのことである。中でも、そもそもなぜその組織は存在するのか?という根本的な目的を示したものになる。情熱や時間をその組織に注ぐための大元の理由だ。より根源的に考え、導きだしたパーパスのことになる。


究極型パラダイムを話すには、まずティール組織に至るまでの経緯を説明していく必要がある。そこで、まずはティールに至った意識段階の道のりを説明する。

無色型、マゼンダ型、アンバー型、オレンジ型、グリーン型、ティール型と変化してきた。これには、マズローの欲求五段階説も対応している。

無色型は、およそ紀元前10万年~5万年前の頃にあったパラダイムである。カラスの群れに近いイメージだ。血縁関係の小さな群れを作っていた時代で、周りと自分の区別が弱く複雑な群れを作ることはできなかった。
五段階説では生理的欲求が支配的なパラダイムである。

そこでこの群れの問題を解決するように、後期石器時代の始まりと共にマゼンダ型が生まれた。このパラダイムは神秘型と呼ばれ、自然を神秘の力として考え、群れの長老が現れるようになった。しかし、生贄など群れの存続に逆効果となる行動が多く見受けられ、分業は極端に少なかった。安全欲求がこれに対応する。まだこの段階は群れであり、組織ではないという。

そこで農耕が始まった1万年前から、レッド型組織が生まれた。農耕の始まりにより分業制と、首長制が生まれ、それと同時に力が支配するレッド型の価値観が広まった。自我を理解するようになり、社会的欲求を持つようになった。力により組織の長が、下の者を従わせる社会が作られ、組織は分業化された。しかし、レッド型であれば力がものを言わすため権力が安定せず、長期に渡った政治制度を安定させることが必要となった。

そこで、紀元前4000年前の古代メソポタミアの始まりと共に、身分や、規則、規範によって組織を作るアンバー型となった。これは、軍隊型組織であり、組織は安定するようになった。また社会的欲求が完全固定された段階にある。現代でも階級や、終身雇用制などの仕組みが一部該当する。しかし、アンバー型は実際の実力を反映しておらず、より急速な成長が求められるようになった。

そこで、ルネッサンスのに実力主義と合理性、承認欲求を主軸としたオレンジ型パラダイムが生まれた。科学研究、イノベーション、アントレプレナーシップを生み出し、産業革命に貢献し、多国籍企業の拡大を生み出した。しかし、飽くなき利益追及や、利益拡大は環境破壊などに繋がっただけでなく、成功失敗の二元化や、いつまで経っても成長を求められる堂々巡りへと人々を追い詰めた。これにより、過酷な労働環境や「UP or OUT」による切り捨ての横行を生み出し、人々を疲れさせた。

そこで、50年ほど前からより公平、平等、調和、コミュニティ、エコロジー、ダイバーシティ&インクルージョンに重きを置いたグリーン型が生まれた。この組織では、組織のリーダーが積極的に部下の意見を聞き、権威委譲をして組織文化を重視するようになった。オレンジ型の一辺倒な成果型報酬から脱却し、組織のメンバーを家族のように思いやることでモチベーションを高めるようになった。しかし、グリーン型は自分たちの世界観だけに価値があり、他の人々は取り返しがつかないほのに間違っていると考えから抜け出すまでには至らなかった。

そこで自己実現欲求を得て、自らをエゴから脱し、より広い世界を見れるようにしたものがティール組織となる。恐れと欠乏感から抜け出し、人生を豊かさを信頼する能力を得るようになった。より根本的に物事を考えられるようになり、VUCAの時代にも耐えるような適応力を身につける組織となった。


ティール組織の究極化

お待ちかね。ここからが究極型パラダイムとなる。
究極型パラダイムはまず、その名の通り究極的に考えること、究極思考が根底にある。

ティール組織にも影がないわけではなかった。

1・組織の発達段階が組織のリーダーに依存していた
組織のリーダーは、トップダウンの意思決定をしないが、組織の環境作りをする要石として存在する必要があった。組織のリーダーが変わってしまうと、組織はオレンジ型やグリーン型に戻る可能性があった。究極的に考えれば、組織のリーダーが猫であろうが、犬であろうが、固定される組織こそが究極組織であり、対策がなされてなかった。

2・統合のジレンマ
物事を統合した時に、自らのバイアスやエゴが無いほど、意見やアイデアが似て寄るようになった。どこかで自らコントロールして、バイアスやエゴを掛ける必要があることが分かってきた。また、自己価値観の尊重と矛盾する部分が出始め、どの程度社会や組織全体と合わせるか、いっそ合わせないかの境界が曖昧になっていった。

3・変わらない価値への意識が薄かった
生命は長らく進化し続けてきたが、変わらない仕組みが思った以上に多い。ティール組織ではエゴの脱却のために仕方ない部分もあったが、変わらないものへの意識が薄くなってしまった。

4・一辺倒なアジャイル思考と脱エゴ一辺倒な価値観
確信に向かって突き進むという、ウォーターフォール的な思考は変革を阻害し、エゴに塗り固められ、思考を固めてしまうものとして忌避された。エゴから人は完全に逃げ切れないとを知りながら、エゴの無い状態を作り出そうと永久の逃避を始めた。思考の飽くなき大人化、終わりなき発達段階の進化、最初からゴールにたどり着くことはないという姿勢など、ウォーターフォール思考から離脱したものの、今度はアジャイルな世界観に支配されてしまった。あらゆるものにたどり着くには必ず相当な時間が掛かるといった、非エクスポネンシャルな価値観があった。

5・存在目的が届かない星であることが多々あった。
存在目的は、届かない星として語られることがあった。「世界中のすべての人を幸せにする」といった目的は、究極的に考えれば達成されることはない。それでもその目的を掲げたいかどうか、より究極的な意味を考える必要があった。

6・21世紀の権威主義の台頭を説明できなかった
21世紀ではティール組織に移行するどころか、グリーン型からオレンジ型、アンバー型へと戻るようなムーブメントが起こった。それも、グリーン型的な民主主義が敗北し、アンバー型どころかレッド型の権威主義へ変わる国も出てきた。中国は豊かになれば民主主義になるといった楽観主義をグリーン型パラダイムが生み出したが、ティール型もこの価値観を否定できなかった。

そして、究極型パラダイムは以下によってティール組織の陰に対応する。
ここからが究極型パラダイムの説明だ。

究極型パラダイムの説明

1・存在目的ではなく、組織の存在そのものに焦点をあてたBeing経営。
届かない星や成功するか分からない目標に委ねず、今ある自らの存在を重視する。存在目的を持つ場合、何々をすればクリアといった条件以上にも、探求者の姿そのものに重きを置く。必ずしも登山に成功するわけではない以上、山頂に登頂することよりも、登山家である自分自身を価値として重視する考え方だ。人生を自己実現とその目標ではなく、今死のうが永久に生きようが変わらない存在そのものに重きを置く。そして、これだけは変えない、変えたくないという究極的な立場を明確にする。
もし自己実現に置くとするならば、それほどの究極的な動機、エゴがあるかどうかで判断する。

2・自らのエゴ、偏見、思い込み、確信の尊重
 究極的に考えると、人間は、エゴと執着心、偏見と生きがいから完全に逃れることはできない。人類は無色型パラダイムの時代をあまりにも長く過ごしており、それに合わせた生物学的構造をしているからだ。だからエゴをもち、執着し、思い込み、そして自らの狭い世界の確信へと突き進む。
そこで、究極的に考えた時、自分にとって究極的なエゴと、そのエゴが叶えられたかが重要になる。そして、バイアスや思い込みによる無謀な突進が時には必要な時があること、それが世界を進めてきた事実を認める。その上で、究極的な意味を考えるようになる。発達段階を上げるだけでなく、思考を止め、子供に戻る方法についても模索する。

3・真のウォーターフォール思考
もしも、究極的な答えがあるならば、一直線に突き進めばよく品行方正をする必要もない。
もしも、終点に着くために、終点そのものを持ってこられるならば、そうするだけでいい。
もしも、幸せだと思い込むだけで幸せになれるのならば、それに越したことはない。
もしも、馬車を開発したその日に、電気自動車も作ったとする。その時に電気自動車の方がいいと思えば、馬車は必要ない。

一度で究極にたどり着けるば、一直線で目指す。本来あったであろう過程は後付けできるという考えを持つ。

お金が手に入れば、結婚でき幸せになると考えるなら、まず先に幸せになる。そうすることが、最もお金を手に入れ、結婚する可能性を上げる手段になると常に考える。このように概念の順序のうち、一番欲求していたものを思い込んででも、先に貰ってしまう。どうしてもできない時、影を潜める時には、アジャイル思考や進化型思考に自らをダウンサイジングすることでエゴからの脱却を図るなど代案を練る。

この価値観にはABC予想の概念も含まれており、各種のより詳しい説明のところで言及する。

4・協力主義
権威主義が台頭したのは、事実への権威委譲が素早くできたためであった。コロナ禍では、コロナの感染予防をしない人を牢獄に閉じ込めてしまうことで、人々の恐怖心を煽り、これが民主主義国家よりも感染拡大を抑えた。それぞれの意見を聞く間もなく独裁でしかも、力でねじ伏せてしまうのも、それが目的に適しているならば、その目的を達成する上では最適解である場合を受け入れる。ただし、これを究極的に考えたとき「協力主義」が根底にあることを理解する。

より古いパラダイムが新しいパラダイムを超えるとき、そこには必ず協力が存在するのだ。

信頼関係の元話し合いを逐一聞くのさえせず、無理やり素早く協力するほうが目的達成をできる場合を認める。

しかしながら、同じ協力を得られるならば、外発的であるよりも内発的であるほうが、より目的達成に近いことを認めるという価値観である。つまり、全員が内発的に協力することのポテンシャルを受け止める。

また、旧日本軍やナチスドイツのように協力に傾いた結果、協力すればするほど目的達成に失敗する場合も認める。日本の場合、日本本土を守るため一億玉砕と協力したことが最も日本本土を破壊する行動となった。だが、本土を守るために究極的な方法は何かを考えれば回避できた。この場合は、知の統合が不十分だったことが必ず原因になる。

組織の究極的な存在を考え、これに合わせた協力を考える。

5・CAIサイクル
Cはコラボレーション、Aは知の集約・統合思考・究極思考、Iは生きがい・存在・存在目的である。これがPDCAサイクルのようにサイクルとなっており、経営や組織を究極的に考える時に使うことができる。

これらの、人生のスパイスになる究極的なエゴや、存在そのもの、協力主義、究極思考の間にはサイクルの関係がある。CAIサイクルは、組織の究極的な存在目的、人生の存在目的を合わせて作られている。ほとんどの経営学と自己啓発をこの概念は置き換え可能で、これが究極的な組織の意味を説明している。

協力のための生きがい、知の集約・統合のための協力、生きがいのための知の集約という順序になっている。コラボレーションは、どれだけ生きがいのために知を究極化させ、そのための協力が上手く回っているかを示す値となる。

組織の究極的な目的は、組織に所属する人の人生の存在目的、つまり生きがいを達成するために必要な知恵を集めて統合するべく、協力することにある。そして、人々がどうしてもエゴや思い込みから逃れることができなかった究極的な根源が、それこそ人々の人生の存在目的にあり、生きがいに依存していることを知る。これが生きがいdependent logicであり、IDロジックと呼ぶ。

またIDロジックでは、真のウォーターフォール思考に基づいて人生に自らを突き動かしてもらうことで力を得る、最高の幸せをBeingとすることで本来それにたどり着くのに必要であった目的を後から回収するといった、内側の方が究極的に変えやすいという価値観を支持する。

協力主義も、協力できる内側を変える方が、協力できない外側を変えるよりも目的達成において遥かに簡単であるという価値観に基づいている。

その上で、これだけは変えないBeingを究極的思考によって決定しC→I、しないことを決めるゼロ・マネジメントも行う。このゼロ・マネジメントによってリスクの最小化や、Beingに反する行動・時間の最小化を行う。

これは、広く考えるだけでなく、小さく小さく考えることに基づく。これを通じて、コラボレーションの最大化を狙う。しかし、これもルールに過ぎないため、多ければそれはそれで狭くなる。

その関係を完全に見抜いた上で、「究極的に何をしないか?」を考えることがゼロ・マネジメントの本質と言えるだろう。

またコラボレーションの最大化には、時間を重視するタイムリーダーシップも重要となる。この究極型パラダイムとなった時に、社会がどう変化するかを「協力主義社会」の欄で説明する。

6・分からない時は統合する
究極的に考えれば、特に目ぼしい生きがいを持たない人、思いつかない人や、生きがいを持たないことを生きがいとする人もいる。こうした場合は、統合的思考にダウンサイジングし、まずは目の前のことに挑戦してみて、アジャイルに品行方正を繰り返すことで、意味が後付けされる。こうすることで、CAIサイクルのうち、A→Iを回すことができる。

究極型では、究極的な全体性を追求するため、広ければ広いほどかえって狭くなるという、統合のジレンマにも対応することとした。
言葉で例えるならば、「限界まで広く、あるは狭く見れば、宇宙は一つの点だ。しかし、それでは宇宙の見分けはつかない」と言える。

また、根源的に考えることにもいずれ歯止めを掛けなければならない。

ーお金が稼ぎたい。なぜ?
ー海外旅行に行きたいから。なぜ?
ー新しい経験をしたいから。なぜ?
ー新しい経験をすると幸せだから。なぜ?
ー人間がそういう生き物だから。なぜ?
ーその時幸せを感じた人の祖先が生き残り、そうでないものは淘汰されたから(利己的な遺伝子)。なぜ?
ー遺伝子がエントロピー増大の法則を上手く使いこなすことによって(生命、エネルギー、進化)……

どこかで、それが自分の人生の目的だから。と答えなければ、第一原則まで遡ることとなってしまう。だからこそ、究極型パラダイムでは、なぜ?を繰り返し切った時にたどり着く第一原則まで世界を見つつも、自らのエゴによってどこかの広さで位置取りをする。

究極型パラダイムでは、この位置取りがティール型に対する明快なブレイクスルーとなるだろう。

そして、この時に自分の人生の目的だから。と答えるか、あるいはそれに相当するような究極的な答えを出すことが必要になることが、IDロジックだと言える。

以上から、ティール組織の突破口が、
セルフ・マネジメント、全体性、存在目的だとすれば、

究極型の突破口は、
究極思考、パラダイムそのものの位置取り(2、3、6)、CAIサイクル(4・5)、Being経営(1)となる。

そして、次回は

経営思考学界と自己啓発界のiPhoneとなりうるポテンシャルを秘めたCAIサイクル
サイニック理論の応用と、子供にも戻るという価値観の説明
知の集約と統合から導かれる労働時間の秘密
ジョブ理論を発展させた遠未来ジョブ理論
そこから導かれる、破壊的イノベーションによって消えない恒常的イノベーション、それによる企業の分類
望月新一氏が証明したABC定理の経営学への利用、関数思考とエクスポネンシャル、統計保存性
民主主義、テクノクラート、資本主義、権威主義、社会主義を統合した「協力主義社会」
協力主義社会それから究極型パラダイムがもたらすヒューマンシンギュラリティ

を説明していく。非常にアジテーションの高い内容ともなっているが、これも自らが真のウォーターフォール思考に基づいて突っ走った結果だと言えるだろう。あわよくば、これだけ弾があるのだから、一発くらいは当たってほんの少しでも世界に貢献することを願いたい。

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