母曰く、お金を使うことは悪いこと
母は、ものすごい倹約家でした。1円単位で貯金したり家計簿をつけたり、どこに行くにも弁当と水筒を持参、外食は半年に1回程度、新品で物を買うことはほとんどなく、無料なことにこだわりをもっていました。「お金がない」「節約しなきゃ」が口癖。お金を貯めるのは、ほしいものを買うためや、行きたい場所に行くためではなく、貯金をするため。母はよく、「お金使ったから頭が痛い」と嘆いていました。貯金を楽しんでいるならばいいのですが、母は苦しみながら貯金をしていました。
小学校5年生の頃の私のお小遣いは月に500円でした。でも実際にはほとんど使うことがありませんでした。なぜなら、お金を使おうとすると母が嫌な顔をするからです。「本当に買うの?」と言われるのが嫌で堪りませんでした。お金を貯めて「やっと買えた!」という喜びは大人になった今も味わったことがない気がします。
親のお金への価値観は、知らず知らずに引き継がれているように感じます。お金を使うことで何かが得られる、ではなくお金が減ってしまう。お金を使うことは悪いことだ。日記では、ほしいものが買えてよかったではなく、「買っちゃった」と罪悪感を感じているのも価値観を引き継いでいる証拠。何かを買ったあとは、それがどんなにほしかったものであっても母の機嫌を伺って喜びは半減します。母の様子を見て、たとえそれが欲しかった物でも「買わなけれよかった」と思ったことが何度かあります。
お小遣いは本来、お金の使い方を学ぶためのもののはずなのに。私はお金を使わないことを学びました。お金を使うことが悪いことならば、お金を自分のために払ってもらうことは、相手に申し訳ないことをさせてしまっている、という感覚になります。大人になった今も、奢ってもらうことが本当に苦手。ほしいものは?と聞かれると、ほしいものではなく手頃なものを選びます。なのでとても失礼な話なのですが、奢ってもらっても心から喜ぶことができません。
母はお金を貯めましたが、病気になって莫大な治療費がかかり、お金がすぐに無くなりました。お金を使うことが大嫌いなのに、自分のことにお金を使わなくてはならず、しんどかったと思います。私は幼稚園から大学まで、奨学金にもお世話になりながら公立に通いました。社会人になったときに渡してもらった通帳には、残高20万円なかったくらい。お年玉やお祝いは使うことなく親に預けて貯金してもらっていたはずなのですが。私にも「お金がない」という感覚がしっかり染み付いています。今でも母は何のためにお金を貯めたのかわからなくなります。
私は30歳の今でも、お金を使うことが上手ではありません。買うことに満足してしまって買ったものを使わなかったり、安いものをたくさん買って失敗したり、買い物をしたあとに罪悪感でいっぱいになったり、なかなか貯金ができなかったり。
お金を上手に使えるように、少しずつ、不足感ではなく、お金を払って手に入れたものやことに目を向けられるようになりたいと思います。お金を使うことは決して悪いことではないし、お金を使うことで得られるものもいっぱいあります。生きていくためにお金は必要だけれど、しんでしまったら自分にとってお金を使うことができません。
母にかけられたお金の呪いは自分で少しずつ解いていきたいなあと思います。お金とうまく付き合っていけるようになれば、もう少し生きやすくなるような気がします。