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人生は何がキッカケかわからない#派遣デザイナーの始まり

以前の記事で細かくこれまでの経歴について書こうと思いましたが、いざ書き終えると・・・気に入らなかったので削除しました。笑

ということで改めて、もう一度。

私はもともとWEBデザイナー(まじで肩書きくらいのレベル)でした。雇用形態は2年半派遣でした。

この道を選んだのは25歳の時に当時働いていた飲食店での出来事がキッカケでした。飲食店といってもECやWEBマガジンの配信、イベント業などにも力をいれていた会社で、当時の店舗拡大の勢いは凄まじく。少数精鋭の若いメンバーが立ち上げたベンチャー会社だったけど、考え方ややり方が面白いなぁと印象をうけていました。(私は普通の接客業務をおこなっていただけでしたが笑)

そんなある日、店内の広告やPOPのあまりのダサさに勝手につくっちゃえーって。久々にIllustratorを開いて。(一応大学時代はデザイン学科だった)その月の押しの商品の広告をつくって勝手に店内にはっつけてみたら、本部の人に『これ誰がつくったの?』って話になり、自分が作ったことを説明したのです。そしたら

『今本部で、デザイナーが足りていないので半分接客をしながら、本部での仕事をやらないか?』

と予想外の提案をされました。それがデザイナーの道を選んだ始まりでした。

その時の私は色んなことに疲れて関東にもどってきたばかりで、笑 特にこの先何をやりたいといったこともなく、純粋にまたデザインに触れるのも面白そうだなって感覚だけで即答で『あ、やります』ってその場で答えました。

そっから、とりあえず本部にひっぱるためには実績作りが必要だ!ということで。声をかけてもらった本部の人と(Aさんとします)、度々打ち合わせなどをおこないながら何件か案件(課題?)をもらって、業務をこなすことを約束しました。しかも無給で。

もちろん無給だからといって手はぬかなかったし、ちゃんと制作物として時間もかけて提出もしていました。

けど、運というのは残酷なもんで。その当時、違う店舗でアルバイトが店舗のお金を盗むという事件が発生してしまったのです。そのことをキッカケに本部のアルバイトに対する見方が厳しくなってしまい、私の話も突然白紙化されてしまったのです。(詳細を書くともう少し理由はあるけど)

私はてっきり本部間で話がすでに通っているものだとおもっていました。
でも、声をかえてくれたAさんは、まずは実績作りが先という考えのもとだったので、ちゃんと本部間で話がまとまっていなかったのです。

もちろんショックだったし、抗議もしました。(抗議をしたのは社長の次に偉い人・Bさんとします)それはそれは悔しさと怒りと悲しさいっぱいの気持ちで抗議しましたよ。

『でも契約書、かわしてないよね。』

その一言でBさんとのバトルはおわりました。ずるいなぁと思いました。
なんならネットに内容のせたくもなりましたよw

でも結局は、業務としての経験のない事実。その子(私)が納期に間に合わせることができのかといった保証がなかったこと。
要は、足下をみられていたこと、信頼の問題でダメだったのだと理解したのです。

その日は沢山泣きました。でも、その悔しさの気持ちをキッカケに仕事として絶対やってやる。とおもったんです。だから、今となってはキッカケをくれたAさんにはとても感謝しています。笑 それで紙媒体かWEBで考えた時に、私はこれからの時代を考えてWEBデザイナーの方をえらびました。

ただ、求人をみたことある人ならわかるとおもうけど、WEBデザイナーの求人は実務経験が2年〜など、最初から初心者にはハードルの厳しい世界だったのです。だから、私は当時みつけた基礎から学べる派遣会社の面接をうけて、1ケ月ほどの勉強をして派遣としての道に進みました。

それが派遣として歩んでしまったスタートでもありました。


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