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自分ではどうしようもないことを消化する思考

今のご時世、ただ過ごしているだけでイラッとしてしまうことがたくさんある。

これは私が短気だからかもしれないけど、それを考慮したとしても、思い通りにいかないことって、日々多い。

(「一緒にするな」と思った穏やかな方、すみません。笑)

今私は、自宅で好きな時間にWebの仕事をしている。

元々引きこもり気質なので、2,3日家から出なくても何のストレスもないし、電車に乗ることは週に1回あるかないかくらいなので、人と関わる機会が会社員の頃に比べるとめっきり減った。

(ちなみに数年前までは週5日、朝から晩まで会社で仕事をしている社畜だった。)

そんな引きこもり生活だからか、少し人と接する機会があると気になることがめちゃくちゃ多い。

例えば、ただ道を歩いてるだけでも、目の前の人が急に立ち止まったりUターンしてくると、「何っ?(イラ)」ってなるし、狭い道をぶつかりそうになりながらすり抜けていく自転車にも「なんでこんな道わざわざ通るんだろう(イラ)」って思う。

電車に乗ると、満員電車で駅に着いたのに、一度降りずに出入り口を塞ぐ人に「一旦降りればいいのに(イラ)」と思ってしまったり、別になんてことのない小さなことでもストレスに感じることって、日常にはたくさんある。

(改めて書いてみると、いつでもイライラしてる短気な人だ。笑)

他には、仕事でも忙しいクライアントや制作会社に振り回されるようなこともあるし、彼氏彼女・奥さん旦那さんにも「なんでだよ」と思うことはたくさんあるかもしれない。

イヤイヤ期の子どもなんて思い通りにいかないことの極みな気がする。

そんな、自分ではどうしようもないことが日々多々起こる中で、短気な私は考えた。

それでもストレスを感じ過ぎずに、心穏やかに過ごすためにはどうしたらいいんだろう。

人一倍気の短いせっかちな私が、自分のストレスを減らすために考えていろいろ試行錯誤した結果、1つおすすめの考え方が見つかったので、今日はそれをシェアしてみる。

自分ではどうしようもないことを消化するためには、

「最悪の状態を妄想してみる」

というのが今のところ私的なベスト。

そもそも、「思い通りにいかない」「許せない」という思考は、自分目線でしか物事を捉えられていないから起こる気持ち。

自分の基準で「これが当たり前」とか「こうあるべき」って思ってるところから外れるから違和感を感じてしまう。

自分の目線で考えるとイラッとしちゃうのであれば、シンプルに別の目線でその事象を捉えてみればいいんじゃないか?というのが仮説。

具体的には、自分目線だと「ありえない」と思うことでも、

「相手がもしかしたら最悪の状況かもしれない」というのを勝手に想像してみる、ということ。

全く意味がわからないと思った人もいるかもしれないけど、この「自分目線でしか物事を捉えられない」というのは、結構厄介だったりする。

自分自身にストレスをかけるだけではなく、人間関係を悪化させてしまうことにも繋がる可能性があるので、もう少しだけ、読んでみてほしい。

例えば、一緒に仕事をしている相手にいくら連絡しても返信がなくて仕事が進まない時に、

「意味わかんない」
「仕事なんだからちゃんとしてよ」

って思うこと自体は正論なんだけど、その正論だけ並べていても自分の気持ちは消化できなくてイライラが続くだけ。

だから少し、視点を変えてみる。

  • もしかしたら相手は別の仕事が超忙しくて追われてるかもしれない

  • 経験がないのに仕事を任されてパニックかもしれない

  • もしかしたら体調不良でぶっ倒れてるかもしれない

こんな風に、相手の最悪の事態を考えてみる。

もし相手が本当にこういう状況だったらどうだろうか?

シンプルに心配になるし、

なんならちょっと、同情もしてしまう。

もちろん連絡があるに越したことはないけど、連絡がなくてもこちらでなんとかできる内容かもしれないし、

そもそも体調が悪くてぶっ倒れてるんだったら、こっちでなんとかするしかないから、その人に文句を言っている暇があったらさっさと作業を進めた方が早い。

こうやって、ただイライラ悶々とする思考から抜け出す。

他にも、仕事でありえないミスをする後輩がいた時に、

「なんでこんなこともできないの?」
「前も同じこと言ったじゃん」

って思っちゃうかもしれないけど、

  • もしかしたら昨日彼女と深刻な喧嘩をしてほとんど寝られてないかもしれない

  • もしかしたら今めちゃくちゃ体調悪くて頭回ってないかもしれない

って考えてみると、ちょっと冷静になれる。

「そんなこと言ってないで仕事なんだからちゃんとやってほしいと」いうのはごもっともだが、そう思ってても事態は好転しない。

ここで大事なのは、事実がどうなのかはどうでもいいということ。

今起こっていることの理由を突き詰めることがゴールではなく、やりたいのは自分の感情を落ち着けることだ。

イラッとした時、大体頭に血が昇っている。

つまり、冷静に判断することができなくなっているということ。

心当たりがある人も多いんじゃないか、

後から考えたら「普通に考えたらわかることなのになんでこんなことしちゃったんだろう」って思うことでも、

いざその場になると冷静に対処できないことって、多々ある。

  • 怒ってるとき

  • 焦ってるとき

  • 不安なとき

こういう時に、私たちはよく判断を誤る。

私が会社員だった時、まさにこの”自分視点しか持てない考え方”をしてしまっていたんだけど、実は後悔したことがたくさんあった。

目の前のことしか見ずに相手を頭ごなしに責めたら、実は全然その人のせいじゃなかったとか、

自分の考え方だけで判断して相手を否定したけど、後々話を聞いたら自分が知らない情報があって私の方が間違っていたとか。

そういう風に、自分目線だけで捉えたその場の感情を誰かにぶつけて、後悔することがたくさんあった。

  • 怒ってるとき

  • 焦ってるとき

  • 不安なとき

冷静に判断ができないからこそ、怒りや焦りや不安から一歩距離を取って、自分以外の視点、つまり客観的な視点を持てるようになることが、実はすごく大事。

だからそのために、「最悪の状況を考えてみる」って方法で、相手の背景とか自分が気づいていない状況を考えるって視点を取り入れるようにしてみた。

他にも、例えば上司がいつも八つ当たりしてきて嫌だなと思ったとしても、

  • もしかしたら家で奥さんに尻に敷かれてストレス溜まってるのかもしれない

  • 強く言えるところが他になくて、ここで発散するしかないかもしれない

って考えてみたり、

慌てて歩いて急にぶつかってくる人がいたとしても、

  • もしかしたら会社に遅刻しそうなのかもしれない

  • もしかしたら家族が急に倒れてめちゃくちゃ急いでるかもしれない

って思ってみたり。

こうやって勝手に妄想して、「しょうがないか」「この人にもいろいろあるんだろうな」「私は急いでないしまあいいか」って自分の感情を自己処理する

というのが、私が見つけたストレスを長引かせないための思考法。

イメージとしては、自分の中に湧いた怒りを、流していく感じ。

怒りを堪えよう・収めようと思うと自分の中に溜まってしまうから、

捉え方を変えて「仕方ないかもな」「自分もそんな時あるよな」って思って、気にしなくする感じ。

起きたことに「ムキーーーー!!」って立ち向かうんじゃなくて、

「みんないろいろあるよな〜」って、受け流していく。

これができるようになってから、ストレスを感じる”回数自体”は変わらなくても、”引きずる時間”が短くなったから、穏やかな時間が増えた。

会社の人や仕事上の付き合いがある人ならまだしも、街ですれ違っただけの人なんて、おそらく今後ほとんど関わる機会がないのに、

そんな人にイライラして、自分の平和な時間を奪われてしまうのはすごくもったいない。

どうせ事実はわからないから、ぶっ飛んだ妄想をして自分の感情を収める。

これが私の感情のコントロール方法。

何か問題が起こった時に、自分が改善できることはもちろんしていったらいいけど、自分ではどうしようもならない理不尽なこともやっぱりたくさんある。

ただ、その「理不尽なことはある」という事実は変わらなかったとしても、その後の自分の気の持ちようや捉え方を変えることは誰にだってできること。

だから、

  • それを引きずって嫌な気持ちでいる時間を長くするのか

  • いいように勝手に解釈して気持ちを消化して前を向くのか

というのは自分で選べることだ。

社会でいろんな人と関わって生きていくと、イラッとすることも、なんでそうなるのか理解不能なことも、自分の思い通りにいかないこともたくさんあるけど、

でもそれは自分の目線で、自分の考え方だけで捉えてるからそう映ってしまっているだけかもしれない。

自分の視点だけじゃなくて、

  • もしかしたらこういう背景があるかもしれない

  • こういう事情かもしれない

という別の視点を持てるようになると、許せることが増えるし、誤解した怒りもなくなるから、ちょっと気持ちを穏やかに過ごしていける。

もしムッとしちゃうような機会があったら、この「最悪な状況を妄想してみる」思考法、ぜひ試してみてください。


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