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インタビュー その2 (石橋直子さん 佐藤有沙さん)

アッセンブリッジ・ナゴヤの音声配信企画、「名フィルメンバーの対話で綴る2020ー演奏会空白のときー」にむけて、10月11日に、アッセンブリッジ・ナゴヤの総合案内及び、展覧会が行われているポットラックビルにて名古屋フィルハーモニー交響楽団の団員さんにお話を伺いました。そのインタビューの概要に音源やリンク、写真を加えnoteで綴ります。

1組目に出演の松谷さん、レゲヴさんが見守る中、石橋さんと佐藤さんによる音声配信はスタートしました。

まずは、佐藤さんから曲目の説明をいただき演奏が始まりました。

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佐藤:これはモーツァルトがファゴットとチェロのために、書いたものだと言われていたのですが、調べてみると、実は自筆譜が残っていなくて、(真実は)わからないのです。ある伯爵のために書いたと言われているのですが、もしかしたらファゴット2本のためのものかもしれないし、もしかしたら今日演奏するヴィオラとチェロのための曲だったかもしれません。弦楽器同士の演奏を一緒に楽しんで頂ければと思います。



ー自宅期間中、身体的に、あるいは内面的に感覚の変化は何かありましたか。

佐藤:私たちは、ほぼ4ヶ月間ぐらい、全く仕事がない状態で、演奏会もホールでは出来なくて、基本的に家の中で弾いている状態でした。毎日練習もしてましたし、その仕事がない分、むしろゆっくりじっくり練習できたと思ってたんですね。
ある演奏家の友達が、通っている整体の先生から「週に1回、5分で良いから、本番のつもりで弾いてください」って言われたことを聞いてはいたのですが、私はだらだらと練習をしていました。7月からオーケストラを再開したのですが、あっという間に手を壊しちゃって。先生には「筋肉疲労です」と言われました。多くのスポーツ選手の方を診られている先生なんですが、「今は(そういった選手の方々も)壊す方が多くて」とのことで。いつもは本番でしか出ないパワー、アドレナリンが出てるのですが、それがない状態でしか弾いていなかったので、4ヶ月の間に衰えていたようです。
どこの筋肉をどう使っているか意識がないんですよ。

石橋:私も自粛期間中は、自分と向き合う練習の時間になりました。そこから、室内楽をきっかけに、演奏活動をさせていただいたんですが、ソーシャルディスタンスをとると、感覚を掴むのに、ちょっと時間がかかりました。ですが、私たちが弾きたいと思うだけでは演奏会は成り立たないので、その中でも来てくださったお客様の想いに答えたいと思って、気持ちを更に込めて演奏したいなと思いました。

西田:2mを保ちながら演奏するのは、やはりだいぶ違うものですか?

佐藤:違いますね。私たち、ホールで当日はリハーサルをさせていただくんですけども、その時にまず最初にやること、欠かせないことっていうのが、自分達のそのポジショニング。どこで弾いたらコンタクトを取りやすいか、あとは客席への聴こえ方っていうのが、どういうフォーメーションだったり、向きとか、細かい数センチですごい差があるんですけども、それを決めるのが当日のホールでのリハーサルで一番大事なことだと思います。それくらい弾く場所も大事なので、特に室内楽で2mというのは今まで経験したことない距離で大変です。

▲自粛期間中に有志メンバーで収録した室内楽配信コンサート。

石橋:視界に入らないんです。いままでアイコンタクトが取れていたのが、90度左を向かないと見えない位距離があって。

佐藤:アイコンタクトもそうだし、耳で聞こえて合わせている部分もあるんですけど、聞こえてくる場所が遠いと、やっぱり遅れて聞こえてくる。ぴったり合わせるのが難しいんですよね。

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西田:一般の方から「筋トレなどされていましたか?」というご質問もあったのですが、筋トレや体力維持のために何かされていたことはありましたか。

佐藤:私は普段は通っているヨガのクラスもお休みになり、先生がインスタライブとかで、レッスンをしてくださっていたのに参加しました。

石橋:私は毎日たいてい2~3時間ぐらい、ウォーキングだったりジョギングだったりしていましたね。

西田:すごいですね。2,3時間って結構ですよね。

佐藤:何キロ位ですか?

石橋:1か月で600 km ちょっとぐらいやったと思います。

西田:えー、すごいなぁ。今までもランニングとかウォーキングはされていたんですか。

石橋:そんなにしていなかったんですが、ウォーキングしたりすると、ゆったりした気持ち、リフレッシュできたので、そのような時間の使い方をしていました。


ー自粛期間中、毎日していたことや、読んでいた本、これはよく聞いたなという音楽やオンラインのコンテンツはありますか?

佐藤:なにかいつも練習してる、練習しなきゃいけない曲がある、演奏会に向けて練習しているっていう人生を長年送ってきて、初めてそういう曲が一曲もない状態になって、細かい練習を結構重点的に毎日やっていました。
普段はお休みが6日ぐらい連続すると、すぐヨーロッパに行っていたのが、行けなくなっちゃったので、(この機会に)日本の文化を勉強しようかなと思って。たまたま今年お茶を始めていたのもあり、家にある着物を引っ張り出して、YouTube で見つけた着付け方法で毎日練習してました。最近は涼しくなったので、お茶にも着物を着て行けたらいいなと思って練習をしています。


仕事があったら、(こういうことは)絶対できないですよね。いつも西洋のものに触れている時間がほとんどで、ヨーロッパに行っても美術でも音楽でもそうですし。日本の事を意外と知らずに生きてきて日本のことを説明したくても分かってない自分がいたりして、今回良い機会だったかなと。

石橋:ウォーキングやジョギングをしているときに自粛期間中はラジオをたくさん聴いていて。パーソナリティーの方がおっしゃることも生放送なので、その時の自分にも当てはまることばかりで、結構共感出来て楽しんでいました。
クラシックからも離れて、日本の番組とかを聞いていました。


佐藤:普段から、一つの曲を弾くために、いろんな本を読んだりとか、歴史の事を調べたりとかっていう時間があるんですけども、その延長で気になっていた音源を聴いたり、今まではちょっと手が出せなかった分厚い本を読んだりしました。

西田:確かに、仕事があるとこれとこれは読んでおかなきゃとか、これはやらなきゃとか、ある意味、広く浅くなってしまいがちなところもあると思うのですが、その中で、これからの音楽人生の土台になっていく、積み重ねたものに肉付けしていく作業ができたという感じでしょうかね。

佐藤:学生時代のような、大学時代のような時間の感じ方だったのかなと思います。
 どうですか、美術の方とか。西田さんはキュレーターということですが、時間があったら、どういうことをされていましたか。

西田:そうですね。仕事と関係することでいえば、美術にはオンラインのコンテンツがすごく多く出たんですよ。トークイベントだったり、色々な国の人をZoomでつないでカンファレンスをやるというのも割と普通に起こるようになってきて。トークや舞台など、普段ヨーロッパでの情報が入ってきても、ああ行けないな、と思って終わるだけのものが観られたりもしましたし。

 私は専門が現代美術なので、ビデオや映像の作品も結構あるんです。そういうもののフェスティバルや、デジタルコンテンツを整理したアーカイブの公開、美術館のバーチャルツアーなど、豊かになった部分もあったかなという感じです。あとは皆さんと一緒で、お料理をしたりとか、あらゆる保存食を作ってみたりとか。そういうこともやっていました。

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西田さんの作った保存食


ー演奏会が再開したその時は、どういうお気持ちや感覚でしたか。

佐藤:ずっと音楽には触れていたし、毎日割と自分の勉強したいことを勉強してたので、充実してたつもりだったのですが、お客さんがいる本番っていうのは、こんなに違うんだって思いました。(自粛期間中も)インスタライブとか、リモートワークでのアンサンブルっていう動画を作ったりとかはしたんですけど。生でそこにお客さんがいる時に、自分はそこで、音楽というのはその場で作って行くもの、時間芸術なので、すごく自分が生きてる実感を感じて。別に(この半年)死んでいたわけではないのですが、一緒に時間を共有すること、その場で生まれるものを共有することって、凄い事なんだなって改めて思いました。

石橋:無観客でのコンサートを最初は何度かあったんですが、やっぱりお客様がいてくださるのと、いらっしゃらないので私たちも全然気持ちの持ち方が違いまして、やっぱりお客様がいらっしゃってこその演奏会だな、と思います。

サーマルカメラ

検温のカメラを使った入場も今はニュースタンダードに... 撮影 | 中川幸作


西田:前編のときにも、(演奏会は)お客様との共同作業かな、みたいな話も出たりしたんですが、そういう側面はやはり大きいですかね。

佐藤:とても大きいんだな、と思いました。

佐藤:美術も同じだと思いますが、美術は制作中は人には会わないかもしれないですけど、やっぱり誰も見なかったら作品が完成しないというか、いろんな人に見てもらって完成するようなところがあると思うんですが。

西田:はい。音楽と美術では、音楽は時間芸術だとおっしゃっていたことが一番違うところかな、と思って。見てもらったり、聴いてもらったりして、初めて成り立つ相互の行き来みたいなものは、一緒だなと感じながら、同時に美術は、制作の過程はあるものの、基本的にできたものを出したら、それはずっと変わらないんですよね。今はいろんな作品のタイプがあるので一概には言えませんが、例えば絵であれば、完成して、美術館に収蔵されると、基本的に動くことはないので。例えば、パリでルーブル美術館に行って、ある絵画が本当に素敵だなと思ったら、10年後に再訪しても、だいたいそこにある。ずっとスティルなんですよね。
一方、音楽はライブの大切さが美術よりも大きいのかな、と。やっぱり「生」がいい、というのは私たちも強く感じましたが、その「生」ということの捉え方、性質が、美術と音楽では違うのかな、とも考えました。

佐藤:そうですね。今は、100年以上前の録音、ラヴェルが弾いていたラヴェル作品とか、ラフマニノフが弾いていたラフマニノフの作品とかを聴けます。私がすごく感銘を受けたのは、イザイとかエネスコについて、今はその作品が残っていて、彼らのことは作曲者としてしか、私実は知らなかったんですけど、今回初めてその録音に接して、すごいことだなと思ったんですね。古い録音がこれだけ素晴らしいものが残っていて、それを気軽に聴けるというのも、一つの財産です。ただ、6月の真ん中ぐらいに、3月の頭ぶりに演奏会に聴きに行ったんですよね。そしたら、もう涙が止まらなくなってしまって。あぁ、自分がこんなに毎日素晴らしい録音を聴いて感動していたけど、それとは全然別物だと。ライブだから、傷はあるというか、ちょっと合わないとか、失敗するとか、やり直せないようなものはあるんですけど、本当に良くて。そういうすべてが伝わってくるから、久しぶりに接する情報量の多さで。その人の表情、アンサンブルの空気と、コミュニケーション、全部伝わってきて、感動しちゃったんだと思います。

▲ヴァイオリニスト イザイの演奏


ー音楽家の方にとって生演奏の力とは、どういうものだとお考えですか?

西田:事前に質問が来ていまして、「新型コロナでオンラインで話すことも増えました。そうするとなおさら実際に会って話した時のパワーチャージの大きさを痛感して、この差はなんだろうって風に考えるようになりました」っておっしゃっているんですね。いまの、佐藤さんのお話を聴きながら、まさにだなと思って。
 確かに情報量って全然違いますね。今までにも増して、これまではある程度当たり前に享受していた「生」の力を体験できる事が、すごくありがたいことになりましたし。

佐藤:そうですね。生の良さというのが再認識できたのも、オンラインコンテンツが充実してきたおかげでもあるし、両方これから、いいところを取っていくしかないんだろうな、と思うんですけど。


ー クラシック音楽(や美術)の敷居が高い、と思っている方へ

佐藤:それこそ、私が着物を始めたのがYouTubeなんですが、たぶんYoutube がなかったら挫折していたかもしれないって位に、事細かに、すごく丁寧に教えてくださっていて。着物には分類や格があるんですが、そういう説明なども、動画で色々見せながら教えて下さるので、そこから私は着物にはまっていったんです。茶道も友達にいいよって誘われて行ってみたのが最初なんですが、そんな風にオンラインで得られる情報もいくらでもあるので、まずは(ネットで)ちょっと気になった事を調べて芋づる式に、というか。その先に美術館とか演奏会っていう、その生の現場に来てもらえたら、それでいいかなと思います。いきなり来て、やっぱり分からなかった、となっても残念なので、、、いきなり来てもらっても、もちろん良いですし。不安だったら何か情報を集めてから気軽そうな大丈夫そうなものとか、ちょっと興味ありそうな友達とか、誘って行ってもらえたらよいかなと思います。

石橋:普段みなさんがテレビのCM、ドラマだったり、後ろでかかっているクラシック音楽は多いと思うので、そういうところから好きな分野を追求していってもらえると良いのかな、とか。

西田:なるほど、入り口は、意外ととっつきやすいところに転がっているよ、ということですね。

石橋:必ず、生活のなかで耳にされていると思うので、いろんなコンサート情報を調べていただいて、ぜひお越しくださればと思います。

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ー「音楽の持つ力」には、どのようなものがあると思いますか。

佐藤:今までの話と関連するのですが。やっぱり不要不急と言われたりもしましたけど、緊急ではないんですけども、全く音楽のない生活をしたことがある人っていないと思うので、どう必要かっていうと、人それぞれだと思うんです。自分は音楽がなくても生きていけるという人にも私は会ったことがありますし、その方はその方でどうぞ、と思うのですが、知らないところで、かなり音楽に触れてはいると思います。特に私たちがやっているクラシック音楽って、なぜ300年、400年経っても弾かれ続け、聴かれ続けているのかっていうのを考えると、やっぱり普遍的なエネルギーと言うか、人生とか世界に対する希望だったり、憧れだったり。そういうものが溢れてるからだと思うんですね。私にとっては、そういうところが音楽の一番の力かなと、思うんですけれども。

石橋:同じになってしまいますが、生きていく上での心のエネルギーにして頂ければな、と思います。

西田:本当に。不要不急で言うと、不急かもしれないけど、要である。それが改めて再確認できた期間でもあったかな、と思ったりもしました。

今日は石橋さん、佐藤さん、ありがとうございました。


ーーインタビューを終えてーー

情報量の多さ。

生演奏の力について、佐藤さんが自らの体験をひいて語られたこの言葉に、そうだ、それだ、と目が開かれる思いがしました。まさにインタビュー前編冒頭、半年ぶりに触れた生演奏に思いがけず涙が浮かんだ自分自身の反応への戸惑いに、このキーワードがひとつの言語化された答えを与えてくれたと感じたのです。いろいろあるけれどやはりナマがいい、というのはあちこちで聞かれることであり、わたしもそう思うことは多々ありますが、「それは決して抽象論や感情論なのではなく、情報量の違いの話なのだ」という切り口は、いったいぜんたいナマの何がそんなに良いのか?を考えるうえで、おおきなヒントとなるのではないでしょうか。

温湿度、におい、光の感触、細かな表情の変化、人と人、作品と作品の間に流れる空間全体の感覚の移ろいといったものを含む、その場の「空気」にこそすごい量の情報が詰まっていて、それをじかに共有することが、あるひとつの体験にとって大きな働きをする。これまでの書籍やレコード、CD、DVDといった物理的なツールに加え、インターネットとデジタル技術の恩恵により、わたしたちは今や、自宅から一歩も出ずとも過去の名演奏の録音、公演やパフォーマンスの映像、歴史的名画の写真、展覧会の記録から新作のライブ配信やバーチャルツアーまで、膨大な新旧の素晴らしいものに簡単に当然のようにアクセスできます。それはもちろん喜ばしいこと。しかし、それらを通じてその空気「感」は味わえても、同じ「空気」を吸うことは絶対に不可能です。両者には、情報の量と性格に根本的な違いがある。

これは何も難しいことではなく、テレビの前で缶ビールを飲みながらの野球テレビ中継観戦もいいけれど、生ビールを片手に、「実はテレビで見るのが一番よくプレイがわかるんだけどね」と言いつつ米粒のような選手たちの動きを追うために球場の外野スタンドへ足を運ぶ、それはそこに(缶と生のビールの差はさておき)違う種類の楽しみと感動があるからだ、ということと何ら変わりはありません。

であるならば、クラシックも美術も野球も、じつは楽しみ方は同じ、たくさんの情報の詰まったその場の空気を目いっぱい味わうこと ー そう考えると、これまで「芸術」をとっつきにくく感じていた方にも、親しみを持ってもらえそうな気がします。石橋さんはインタビューの中で、どうクラシック音楽を楽しんでよいかわからない方への提案として、「CMやドラマなど、毎日の生活の中にも必ずクラシックは使われているから、まずそこから好きなものを見つけていってもらえれば」というお話をされていました。ここにもまた、はっとする発見がありませんか?こちらが難しいと思っているだけで、じつはわたしたちの日々の暮らしは既にクラシック音楽に溢れていた ー そう思うと、ただ漫然と「BGM」として受け取っていたあらゆる音を、宝探しやクイズの答えを探すように、耳をそばだてて積極的に聴いていく楽しみができたように思います。

また、ディスタンスを取りながらのコンサート再開時に感じた難しさについてのお二人のお話から、演奏会における身体性と空間構成についても大きな学びがありました。リハーサル時の最も重要なプロセスのひとつが、アイコンタクトや互いの音の聞き取り、客席への最もよい音響構築のために、おおきなステージ上で数センチ単位の微調整をしてゆくポジショニングの作業であることを知り、これはまさに美術展の空間を作る過程と同じだと、非常に感銘を受けました。そして、そのように緻密かつ緊密な関係性の中で紡いでゆくべき演奏を、仲間の表情も見にくく、音の伝わり方もずれてきてしまう2メートルという距離を保ちながら行う苦労。もしも展覧会で美術作品どうしの間に2メートル以上空けることを余儀なくされたら、と考えると、この困難は私にとっても身につまされるものでした。

音楽は、人生や世界に対する希望や憧れといった普遍的な力、生きていくうえでの心のエネルギーになってくれる。そう締めくくってくださったお二人から、たくさんの共感、発見、学びを得られた時間でした。
                 (西田雅希|キュレーター)




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