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仲尾次オスカル投手(アデレード)インタビュー

1年1年が勝負。自分に負けず、限界までプレーしたい

2024/25年シーズン、アデレードでリリーフ投手として活躍した、仲尾次オスカル投手。これがABLでの3シーズン目となった。故郷・ブラジルと世界中の野球リーグを股にかけて投げ続ける仲尾次投手に、この1年のこと、そしてこれからのプランについて聞いた。


1年中、世界中で投げてきた


――昨年、ABLのシーズンが終わったあと、カナダのケベック・メジャー・ベースボールリーグ(LBMQ)に参加したきっかけから教えてください。

(北半球の)サマーリーグでプレーしたい希望を当時、お世話になっていたエージェントに出して、LBMQのグランビー・ウオリアーズというチームを紹介してもらいました。

――LBMQのレベルは、どのぐらいでしたか。

レベルはおそらく、アメリカ独立リーグのフロンティア・リーグと同じぐらいだと思います。ABLより少し低いかなという印象でした。

――そこでは先発で投げていたのでしょうか。

先発と中継ぎ、抑えの全部で投げました。先発のときは何日か前に登板日を教えてもらえるんですが、その3日後に中継ぎをして、また3日後に先発、といった感じでしたね。

――先発に向けて、うまく調整はできましたか?

そのリーグは、ほとんどの選手が野球を本業としていなかったんです。仕事がメインで、そのあとに野球をする形なので、全体練習はあまりなくて、試合に向けては主に個人練習をしていました。

――ABLと同じで、週末だけ試合が行われるスタイルですか?

連戦でなく3、4日ごとに試合がある形です。だいたい1週間に3試合ぐらい行われていました。キャッチャーと一緒に調整する時間もなかなか取れなくて、試合のときにブルペンで投球を受けてもらうことがほとんどでした。

――その中で登板日にしっかり投げるために、どんな工夫をしていましたか?

カナダではホームステイをしていたんですが、ベネズエラ人のチームメイトも一緒だったので、2人で練習をしたり、キャッチボールをしたり、最低ラインの準備はできました。

――カナダにはどのくらいいて、その後オーストラリアに来るまではどうしていましたか?

5月から10月までカナダにいて、それからブラジルに戻って代表チームに合流し、南米選手権に出場しました。その大会が終わって、ブラジルから直接オーストラリアに入りました。

――じゃあ23/24年のABLが終わってから、1年中ずっと野球をしていた感じですね。

そうですね、休みなしでやっています(笑)。

――疲れが出ることはなかったですか。

疲れてはいるんですけれども、試合後のケアと毎日の練習をきちんとしていれば、疲れは出にくいんですよ。準備とケアが大切だと、改めて感じました。

――そうした準備やケアは、どうやって身に付けていったものですか? 自分で実際いろいろ試してみて、これが一番というものが見つかった?

日本から海外に出たあと、覚えました。日本のチームにはトレーナーさんがいて、一緒にケアができました。でも海外に出たら、全部個人でケアをしなければなりません。もちろんABLなどはチーム付きのトレーナーさんがいるのですが、チームに帯同するのは試合の日だけ。自分でしっかりケアしていかないと、後々厳しくなってくるだろうなと思い、そこから覚えていきました。ケアの仕方は人それぞれなので、いろいろな人に聞いて、自分でも実際に試してみて、最終的にこれが一番かなというケアの仕方を見つけました。もちろんうまくできないときはトレーナーさんにお願いして治療をしてもらうんですが、自分でできることは、なるべく自分でするようにしています。

――仲尾次投手は自分のケアの中で、何を一番大切にしていますか?

一番大事にしているのは、可動域、体のストレッチ、トレーニングですね。可動域が出ていないときは、だいたい筋肉が弱って固まっているときで、いろいろなことに影響が出ます。全部、結構つながっていますね。だからトレーニングで体を強くして、可動域をしっかり出して、ストレッチをする。まずトレーニングがうまくできていないと、可動域やストレッチにも影響が出てしまいます。

――ブラジル代表の投手陣の中では年長になって、若い選手たちの面倒も見ているそうですね。

自分は年齢でいうと3番目ですね。1つ上の投手が2人います。自分も、その先輩たちも海外経験を積んでいるんですが、若手の選手たちは何人か日本でプレーしている選手がいるほかは、あまり海外経験がありません。そこで、監督やコーチからも「自分たちの経験を、若い選手に教えてやってくれ」と頼まれています。もちろん、若い選手たちも「ぜひ教えてください」と言ってくれています。

――どんなことを教えてくださいと言われることが多いですか?

メンタルの部分が多いですね。そこから技術とか、日本やオーストラリアではどんな練習をしているかとか、どういう練習をしたら球が速くなるのかとか、変化球はどうすればうまく投げられるようになるのか、コントロールはどうすればよくなるのか、とか。本当にいろいろな質問をされるので、自分もいい勉強になります。

――仲尾次投手は若い選手に何かを教えるとき、自分が実際にやってみせて 教えますか。それとも言葉で教えたいタイプですか。

できれば言葉で伝えたいと思っています。ただ、時々うまく言葉で説明できなかったり、伝え方が難しかったりするときは、実際のプレーで見せています。僕のプレーや動きを見て何か感じて、その選手自身が考えて調整し、自分のものにしてくれればいいと思っています。

――やはり言葉で伝えたほうが、教えてもらった選手もその言葉の意味を考えるから、勉強になる?

そうですね、まずは言葉で説明して、相手に考えさせないと、その人はうまく成長できないと思います。言葉で教える場合は、すべてを教えるのでなく、少し相手に考えさせる余地を残しておくんです。若い選手が少し「?(クエスチョンマーク)」を持ちながら聞いているぐらいがいいかな、と。あまりすべてを教えてしまうと、その選手が失敗したとき、なぜ失敗したかを自分で考える前に、また僕にどうすればいいか聞いてくるようになります。でも自分自身で考える習慣をつけておけば、悪いときにも僕に頼らず、1人で修正できるようになります。自分で考えて、失敗もしながらいろいろなことを身に付けていくほうが、成功につながると思っています。

――仲尾次投手もやはり、自分で頑張って考えながら成長してきた経験があるから、そう言えるんですね。

そうですね。それがあるから、自分が悪いときにはこうすればいい、という答えを持っているんですよね。誰かにすべてを教えてもらって、自分で考えていなければ、悪いときにもう真っ白になってしまって、大切なことを思い出せないと思います。少しずつでも自分で考えながら学んでいけば、野球人生も長くなるはずです。

――仲尾次投手、すごくいいコーチですね。

いや、そんなことないです。考える選手もいれば、考えすぎる選手もいる。人に教えることはなかなか難しいですね。

――仲尾次投手自身は、いっぱい考えるか、考えすぎるほうでしたか? それとも最初はそこまで考えるほうではなかったとか?

自分は(白鷗)大学時代に考えすぎて、それが結構失敗につながってしまったんです。やはりマウンドで考えすぎると、自分の持ち味が全然出なくなるんですね。そこからずっと、悩んでばかりでした。その後、社会人野球(Honda)に入って、いろいろな勉強をさせてもらいました。その中に、ポジティブ・メンタルの研修があって、ちょうど自分も「変わらなければいけない」と思っていたときだったので、とても興味を持ちました。試してみたら、最初は「自分じゃないんじゃないか」と思うほど極端に変わりそうになって、そこから徐々に調整していきました。それまでは悪いピッチングをするとすぐ悩んでいましたが、悩まず前向きに頑張れるようになって、成長できたと思います。

――大学時代は日本語の勉強もしなければいけなかったので、余計大変だったのでは?

そうですね。最初はチームメイトともうまくコミュニケーションがとれなくて、ちょっと辛いところはありました。でも、それはブラジルを出るときに予想はしていたこと。野球を頑張れば、なんとかうまくいくと思っていました。
 

アデレードの街も好きになったから

24年の南米選手権にブラジル代表の一員として出場
(写真は仲尾次投手提供)

 ――若い選手はそういう話も聞けるから、とても勉強になりますね。24年の南米選手権では、その仲間たちとプレーして、ブラジル代表は準優勝に終わりましたね。

はい、決勝でアルゼンチンに負けました。

――仲尾次投手は、オープニング・ラウンドのペルー戦に先発したんですね。

緊急先発でした。その日はもともと、先発ではなかったのですが、先発予定だった投手が体調を崩してしまい、朝「先発で行けるか?」と聞かれて、「行きます」と言いました。

――3イニングを投げましたが(被安打4、奪三振6、失点1)、最初からあまり長いイニングを投げる予定ではなかったのでしょうか。

そうですね。とりあえず3、4回を、なんとか全力で投げようと思っていました。試合の流れが良くなったので(3回終了時点で8対1とリード)、3回で交代しました。社会人時代にも先発投手が体調を崩すなどしたときに、緊急先発をしたことが結構ありましたから、そこまでビックリする仕事ではありませんでした。

――それは頼もしいですね。南米選手権後、またアデレードに戻ってきたわけですが、 アデレードとは複数年の契約だったのですか?

いえ、違います。自分は1年契約です。24/25年の契約については、23年の12月ごろに球団から話をいただいて、去年の1月に契約を決めていました。

――仲尾次投手のABL参加は、22/23年のオークランドを含め、今回で3回目。仲尾次投手自身、ABLが好きになったということでしょうか。

ABLが好きになったところもありますし、アデレードのチームメイトもみんな仲がいいんですよ。それに加えて、アデレードの街自体が好きになったこともあります。

――今季、アデレードでは基本的に中継ぎで行ってほしいということだったんですか。

そうですね。どこでも投げられるようにはしていましたが、だいたい中継ぎか抑えでの登板になりましたね。毎試合、ブルペンに入って準備をしていました。

――ABLでは試合前、何かルーティンがありましたか?

練習のときのルーティンはありましたが、ブルペンに入ってからのルーティンはあまりつくらないようにしていました。特に中継ぎのときは、いつ投げるか分からないので。

――試合前の練習を見ていると、結構早く外野に出て、一人で黙々とトレーニングをしている感じですよね。

いつもそうです。試合前にちゃんと体が動いているか、実際に体を動かしながら確認をしています。キャッチボールは、良ければすぐ終わりにします。あまり多く投げすぎると、シーズン終盤に疲れが出始めるころに、影響が出る恐れもありますから。

――24/25年は仲尾次投手にとって、どんなシーズンでしたか。 数字だけを見ると、前のシーズンより防御率が少し上がってしまいましたが(23/24年=1.05、24/25年=1.23)、投げた感覚や内容的には?

去年より、自分的には悪かったですね。内容的には、打たれてはいけないところで打たれてしまいました。あと、決め球が少し荒れていましたね。それには技術的な要因もありますが、メンタルの要因もあったと思います。

――メンタル?

ピンチの場面でマウンドに立って、「ここで抑えないといけない」と思う気持ちが、悪いほうに出てしまったと思います。

――パースとのセミ・ファイナルでは、結局2試合とも仲尾次投手の登板機会がありませんでした。アデレードがリードしたら仲尾次投手が行く、ということになっていたのでしょうか。

いえ、そこは状況に関係なく、ブルペンの全員が準備をしていました。あとは自分が投げる番を待つだけ、という感じで待機していました。

――1試合目は、先発のウェルズ投手が好投していましたから、このまま完投もあるんだろうなと思いましたが、2試合目は仲尾次投手の出番もあるかと期待していました。

プレーオフなので、なんでもありだと思っていました。コーチにも、全員準備するように言われていたんですよ。もしかしたらブルペン総出で投げる可能性もありましたが、残念ながら、登板機会がありませんでした。

――仲尾次投手だけに限らず、ABLでピッチャーが成績を残すためには何が必要、大切だと思いますか。

もちろん技術は必要ですし、ABLに来るような投手は皆、技術を備えていますが、最後はメンタルじゃないかと思います。あとは自分が投げる試合のプラン。どうやって相手を抑えるかのプランがきちんとできていれば、いい成績が出ると思います。

――今季は巨人の選手もアデレードに派遣されてきましたが、何か話をしたり、教えてあげたりしましたか?

話もしましたし、たまに野球に関して聞かれることはありましたけれども、こちらから教えることはしていません。巨人の選手は、どちらかといえば見て感じて、自分の身に付ける派だったと思います。

――仲尾次投手は今年34歳。自分の年齢についてはどう思っていますか。

自分的には、トレーニングをちゃんとうまくやれば、年齢に関係なくまだまだできると思っています。

――この先の野球のプランについて、 何歳ぐらいまでこういう風にやりたいなとか、こんなところで投げてみたいなとか、どう考えていますか?

自分に負けず、1年間、1年間勝負という感じです。長い先は見ていないですね。そして選手として、限界までプレーしたい。どこまで行けるか、試してみたいと思っています。

――そのためにしっかりトレーニングもしているし。

それは、ブラジルのためでもあります。ブラジルの後輩たちのために頑張りたいです。

――次の南米選手権では優勝したいですよね。

南米選手権もそうなんですが、WBCの予選やオリンピックの出場権をかけた大会で代表の一員に選ばれて、チームを勝利に導きたいです。

――代表のユニフォームを着てプレーすることは、また重みが違いますね。

代表のユニフォームを着ると、やはり気持ちが改まりますね。責任感も増します。今のブラジルチームはレベル的にも世界で活躍できるチームだと思いますので、様々な世界大会で勝って、ブラジルの野球人口を増やせるように頑張りたい。自分もまだまだ、後輩たちに負けていられないです。

――そしてぜひ来季も、ABLでお会いしたいです。
はい、できればまたオーストラリアで投げたいです。

Profile
なかおし・おすかる◎本名は仲尾次・オスカル・正樹(Nakaoshi Oscar Masaki)。
1991年3月28日生まれ、ブラジル・サンパウロ州出身。
両親は沖縄生まれの日本人。178cm82kg。左投左打。
カントリーキッズ高―白鷗大―Honda―広島東洋カープ―
新日鐵住金かずさマジック(日本製鉄かずさマジック)―ABLオークランド・トゥアタラ―
ABLアデレード・ジャイアンツ―LBMQグランビー・ウオリアーズ―
ABLアデレード・ジャイアンツ。
ブラジル代表の一員として、WBC、南米選手権などの国際大会でも活躍している。 

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