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あびあと#04「一緒に探究しない?」

「あびあと」では、あびら教育プランのスタッフが日々、安平町の子どもたちやまちの方々と活動する中で、考えていることや感じていることをありのままお伝えします。

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こんにちは!今回の投稿はかたやんが担当します!
初めての北海道の冬にビビっている今日この頃。
”自然とともに生きる”ということを改めて考えさせられます。無事に生き抜けますように…!
安平町にこの冬初めて雪が降った日、私はというと、軽井沢に出張へ行っておりました!
(空港からの帰り道、いつもと違う真っ白な風景に、ものすごく心が動きました…!)


今回のあびあとは、その出張で感じたことを書いてみようと思います。

ちなみに、右脳派で感覚タイプの私は、「この感覚に似合う言葉が見つからない〜涙」といつも言語化に苦しんでいます。笑
そんなかたやんの精一杯の言語化。やさし〜い、あたたかさいっぱいの眼差しで読んでいただけると嬉しいです。笑


かたやんは何しに軽井沢へ?

私は、あびら教育プランのスタッフとしての顔もありつつ、「学校魅力化コーディネーター」としても活動しています。どんなことをしているかというと、安平町の学校の「総合的な学習の時間」の企画や調整・授業のサポートなどです。

総合学習の時間で大切にしていることの一つに「探究的な学び」があります。
「探究的な学び」って何ぞや?
「探究」を大切にすると、子どもたちのどんな姿が引き出されるのだろう?
その姿は、これからの社会を生きる上でどんな力を与えてくれるのだろうか?

そんな問いに対するヒントを見つけに、軽井沢にある風越学園という学校に視察に行きました。
(どんな学校なの!?と気になった方は、Google先生に聞いてみてください!)

視察の中で、「ほおおぉぉ…!」と思ったことを3つ、言葉にしてみたいと思います。(すでに語彙力が…笑)


視察で感じたこと3つ!

①みんな「私」を語れる

視察では、多くの時間が「自由見学」となっていて、自分の気になる場所に行って、気になる子どもやスタッフと自由にお話させていただきました。

その中で、子どもやスタッフの方とお話をして、共通して感じたことがありました。

それは、誰もが今この時点での「私」を語れること。

どうしてこれをやってるんですか?と聞くと、「私は〜に興味があるから。」「私は〜が大切だと思うから。」と、どの子どももどのスタッフも答えてくれました。

みんなが、「私」の内側にあるものに目を向け、それを原動力に動いている。「私」が、モノ・コト・ヒトに触れる中で、何を感じているのかをキャッチする感度が高いなと。
行動の理由が「私」にあること。自分で考えて、自分で決めて、そして行動すること。そうすることで、より深く、よりその人らしい学びが生まれているように感じました。

ワクワク研究所:安平にも「私」を語れる人がたくさんいるなあ〜

②わたしの「私」、あなたの「私」

自分にも「私」があるように、隣にいる人にも「私」がある。
どちらが優れているとか、どちらが劣っているとか、そういうことじゃない。
ただ、それぞれの「私」がそこにある。

「私」の輪郭を確かめながら毎日を生きる過程で、無意識のうちに、他者の「私」の輪郭も確かめながら生きている。
私が「私」でいられることと、他者が「私」でいられること。その両方を自然と大切にしている。
子ども同士の関わりや、スタッフと子どもの関わりを見ていて、お互いを尊重する文化が自然に根付いているように感じました。


あびらぼ:素敵な他者との関わり方が安平にも

③いつだって旅の途中

「今の時点ではこうなっている」「これからまたみんなで考える」「最終的にどうなるか分かんない」
子どもたちとのやりとりの中で、スタッフの方とのやりとりの中で、たくさん出てきた言葉たち。

「決まっていない」ということがたくさんある。「決まっていない」ということを面白がる。「決まっていない」ということに向き合い続ける。そんな場所なんだなと。

子どもたちの「探究」を大切にする場であると同時に、そこに関わる大人も「探究」について、「自由」について、「よりよく生きる」について、深く探究していました。

子どもも大人も、ずっと探究している。答えのない旅の途中。そんな曖昧で、途方もない旅の中、誰かに答えを与えられるのを待つのではなく、みんなであれこれ試しながら、面白がって、自分たちで道を切り拓いていく。豊かな生き方だなと思いました。


今回の視察から受け取ったメッセージ

こうやって感想を伝えると、必ず聞こえてくるワード。
「私立の学校だからね〜〜〜。」

まあ、その言葉も分からんでもないですよ。
公立学校で働いていた私も、同じことを思ったことが数えきれないほどあります。笑

でも、視察の中で、その場に流れる空気に触れて「いいな〜」と思うと同時に、もちろん「未完成」な部分もちゃんと感じました。なんなら、スタッフの方が「未完成」の部分も含めて丸ごと教えてくれました。「いいところ」の宣伝をしたいわけでも、押し売りをしたいわけでもない。

そんな中で、私が今回の視察で受け取ったメッセージ。
それは、「一緒に探究の森に行っちゃいましょう!」ということ。

場所ごとに良さがあり、同時に未完成な部分がある。安平は安平の良さがあり、同時に未完成な部分がある。
安平にある良さ・未完成さに、あなたはこれからどう向き合っていきたいの?どう探究していきたいの?

そんな問いをもらうと同時に、「一緒に探究し続けましょうよ!おもろいっすよ!」というお誘いをもらった気持ちになりました。
遠く離れていても、安平町にとっての豊かさを探究し続ける仲間が増えた気持ちです。


私にとって、「教育に関わる」ということ

前職から数えると、教育に関わって9年が経とうとしています。

私は、いわゆる「子ども大好き!」とか「教えることって面白い!」という気持ちを強くもっているタイプではないんです。

ただ、教育について考えるとき、そこで生まれた問いは、毎回必ず「私は」に主語を変えて自分に戻ってくるんです。それが痛くて、でも面白い。そしてやめられない!笑

「私は今、「私」を語れているのか?」「私は、誰かの「私」を大切にできているのか?」「私は今、曖昧で途方もない人生という旅を、面白がれているのか?」
「豊かに生きるって…何だっけ?」

今回ももれなく、問いが主語を変えて、ブーメランとなって、私に突き刺さっています。まだ痛いフェーズです。笑

でも、この自分自身にも突き刺さっている問いを、子どもたちと一緒に、子どもたちに関わるスタッフと一緒に、子どもを育てる保護者の方やまちの方と一緒に、あーでもない、こーでもないと言いながら考えていると、痛みが面白さに変わるんですよね。

そして、その痛みと面白さが、そのまま、自分の人生を豊かにしてくれます。一緒に考えてくれた周りの人にとっても、人生が豊かになるきっかけになっていると嬉しいな、なんて思いながら。

私にとって、教育に関わることは、「生きる」ということを、目の前にいてくれる人と一緒に探究することなのかもしれません。

私も安平町の中で、「一緒に探究しましょうよ!おもろいっすよ!」というメッセージを、自分なりに発信していけたらなと思います!



なんとか書き切った私、頑張った!と思えたところで、今回は終わりです!笑

次回もお楽しみに〜✌️


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