続・言うべきか、言わざるべきか
前回の続きです。
多数コメントをいただきまして、あびか感謝感激でございます。で、そのお返事を書きながら、思ったのですが。
なぜイギリス人による名前間違いは、
名前が長くなるのか。
◯「アビカ・イトダ」
✕「アビィ・カーンヌ・イッツダイン」
これまでの傾向を鑑みても、何かを足すのは、英名に寄せるためであるのは明らか。
ここで、思う。
これ、もし外国人が日本で、
「こんばんは。フレデリック・フランソワ・ショパンです」
と名のり、それに対して、
「ふれ‥あ、はいはい塩谷史憲さんね」
などと言う日本人は存在するのだろうか、と。(「シ」と「フ」のみ合致)
たぶん、そんな日本人はいない。
耳の遠い、うちの亡き婆ちゃんでも、
もう少し根気強かった。
これすなわち、英語圏のおごりではないのか!ええ!
‥‥といいつつ。
私は、仕事でなかなか発音できない赤ちゃんの名前はスウィーティとか、ゴージャスちゃんとかでごまかしている。
人のことは言えない。
や、でもコレ…
…って何の話しでしたっけ。
そう、私が「指摘しにくい」
日本人同士の『お間違い』の話。
一つ目は『私と娘の名前の取り間違い』で、
櫻井よしこ似マダムのお話。
(御本人ではなく、夫がつけたあだ名です。ゴメンナサイ)
次も、これまた日本人マダムのお話。
だがその前に、もうひとり『お間違い』マダムを思い出したので、ちょっと書きたいと思う。
うちの夫が勝手に『デビ夫人』と呼んでいるマダム。
前回の『櫻井よしこ似』女史と同じく、
日本人の集まりで、
年に一回だけお会いする方である。
毎年、社交界から下山してきたかのような、
華やかなドレスやお着物を御召で、
近づき難いと思いきや、実はとても気さくな方。こちらも70歳は超えておられると思う。
髪型も本物のデビ夫人に激似。
この方とも、この会でしかお会いしないので、「あらアータ、お久しぶり」から始まるわけだが、その後に続く言葉も毎年同じなのだ。
なぜかというと、
「アータのご主人、日本語がお上手ねぇ。
本当にお上手。群を抜いてらっしゃるわー」
「あ、いえ、うちの主人は日本…」
「そうそう、アタクシー、以前スイスで…」
聞いちゃいないのである。
だから毎年毎年、もう何年も何年も、
夫がただの顔が濃い日本人であることを、言いそびれているわけだが、
考えてもみますと、マダムが渡英されたのは
1ポンド=700円とかの航空券や国際電話など、べらぼうに高い時代。
『腹を括って日本をでた』そう仰るマダム・パイオニアを前にして、うちの夫が何人だろうと、そんなもの、どうでも良い。
「人間なんて、その体を借りてほんのチョロっと、この世にでてきているだけの生き物」(古谷実 ヒメノア〜ルより)
まさにこの文言通り、チョロっと今世に数十年いる私達の人生なんてあっという間に終わる。何人か、かに人かなんて気にしていられない。
夫はどっかの国の人。
これで良ーし。
来年もどうかご健勝で、
また夫の日本語を褒めてくださいと後ろ姿を拝むのであった。
そして、そう、
次こそが私が指摘できない『お間違い』!
…と思ったら、
また長くなったので続いてしまいます…
スミマセン、スミマセン。
続きでございます↓
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