
老い老い(おいおい)。なんつって
大根スティックで、歯が欠けた。
大根てアンタ。
もしかして、これが「老い」というヤツか。
老い老い(おいおい)勘弁、なんつって。
年齢のみならず、不摂生もあるにしても、年々体力気力が落ちているのに、こんなことがあると、更にガックリきて気分が沈む。
そもそも、
何というか、こう「明日へ」というか、「生」と言うか、この頃そういった情熱が湧かない。
身なりも、かなりいい加減になった。
娘が片方なくした「緑の水玉靴下」を右足に、
息子が片方なくした「赤の星模様靴下」を左足履き、これを書いている。
小学生の時、
マニキュアに憧れて爪に水のりを塗った。
中学生の時、
安全ピンでピアスを開けた(化膿し福耳に)。
高校生の時、
ピート・バーンズに憧れてパーマをかけた。
(あだ名は欧陽菲菲)
あの「みてくれ」への貪欲なパッションは、今はどこに行ったのか。
こんなドンヨリ具合に、嫌気がさす日々で、
実は不思議なことがあった。
重い足をズルズルと引きずり、何とかお気に入りのスニーカーとスカーフを巻いて気分をあげ、気分転換にと散歩に出た日のこと。
もくもくと歩いていたら、急に墨とタバコの混ざったような、何とも形容しがたい香りが一瞬した。
父さん?
これは亡くなった父の香りだ。
驚いて振り返ったけれど、誰もいない。
何だろー、コレ何だろなーと、考えてみると、以前にも似たようなことがあった。
ある年の、父の命日7月7日。
車でイギリスの森を走っている時、
急に線香の香りがして、風鈴の音がした。
イギリスに線香と風鈴…?
そこで「本日が父親の命日」であることにハッとして、ああ、父が会いにきてくれたのだと思ったことがあった。
そうか、そうか。
今回は、線香の香りではなく、父の匂いということは、慰めにそばに来てくれたのか。
それからは、いつともなく父の匂いがするようになった。そんな時は、父に話すように気持ちを吐き出してみる。すると、不思議と落ち着くのだ。
昨晩もそんな夜だった。
ベッドに入れど、あれこれ思考が巡り眠れない。
すると、また父の香りがした。
あーあ。死んでまで心配かけちゃって。
「そう、父は死んじゃってる」
そう思うと、小説の一節が唐突に浮かんだ。
人は生きて、いつかきっと死ぬ。
人生とは、おびただしい死と向かい合うことだ。そこにこそ、自分が生きていることへの答えがある。
私は年々、父にも母にも似てくる。
性格は祖母から。
テキトーなところは叔母讓り。
全員亡くなったけど、私の中に皆がいる。
そして、これがまたどこかへ継がれる。
血脈だけでなく、他人の記憶ででも。
体だって、そう。
動植物の生と命で作られてきた。
たくさんの死の上で、私は老いている。
老わせてもらっている。
感謝ができないのは、なんと不幸なことか。
持っていない方にばかり、目がいってしまうのだから。
そんなことを考えたら、泣けてきてしまった。あわてて、隣に寝ている夫にばれないように、うつ伏せになって枕に突っ伏した…
突っ伏した…ら、
凝縮された、強い父の匂い。
というか、臭い。
ワタクシの枕が臭い。
コレもしかして、いわゆる加齢臭か。
父の香りの正体は、自分の加齢臭…
スカーフやら枕やらに染み付いていた、加齢臭…
父の加齢臭と、同じ匂いの我が加齢臭…
それはフワフワ何時でも香るわ。
己の加齢臭に教えを乞うたり、泣いたりしていた、2022年皐月。
父さん。
私も立派なおっさんになりました。
老い老い(おいおい)