やれることは、今すぐやろう、そうしよう。 (追記:2022/1/22)
イギリスに移住3ヶ月頃、
頭をボサボサにして、日本人の集まりに行き聞いた。
「良い美容院、知りませんか」と。
イギリス美容師は、日本人の髪質がうまく扱えない。ゆえに美容院選びは慎重に、と何かに書いてあったので、先人の知恵を拝借したかったのだ。
「あ、私の行ってる所、結構良いよ」
親切な声に振り向くと、その人は、
キン肉マンのウォーズマンみたいな髪型であった。
イギリス美容界における、対黒髪の限界か。
震えながら御礼を言った。
ウォーズマンのUさん、
それがUさんとの出会いだった。
Uさんファミリー
面倒見の良いUさんとは子供の年も近く、すぐに仲良くなった。
「ウォーズマン・ヘアー」にツッコめるぐらいになった頃には、家族ぐるみのお付き合いをした。
イギリス人のご主人も、明るいひとで、
それはそれは子煩悩な良きパパである。
ふたりの出会いは、
当時、教師をめざす人の公開練習授業があって、Uさんが聴講にふらりと立寄った時だった。
きっちりしたシャツにネクタイの新人教師が、次々と出てきて授業をしていたのに、ひとりだけ、ヨレヨレのTシャツを着た若い男性の新人教師がいた。
その人は、なぜか靴を履いていない。
しかも、くつ下の左右の色も違う。
親指のトコに大きな穴があって、その穴を隠そうと今更ながら、足をもじもじさせていた。
「変なひとーって思ったのよ」
とUさんは私に言った。
その「変なひとー」と、なぜ結婚に至ったのか、なぜ靴を履いていなかったのか、
肝心な部分は忘れてしまったけれど、私はこのくつ下のエピソードが大好きで、何度も聞いては嫌がられたのだった。
Uさんファミリーの引越し
数年経って、そんなUさん一家が日本に引越すことになった。
ショックを受けつつも、
毎年イギリスに帰るからさ、というUさんを、みんなでハンカチふりふり見送った。
そして、公約通りにUさん家族はイギリスに毎年帰ってきた。
そのたびに仲間と集まっては、近況を報告し合った。
ある年、Uさんからイギリスに帰ったとまた連絡をもらう。
しかし間の悪いことに、面倒だからと後回しにしていた物の締切がその日。
そして出来上がったのは夜。
その後に、少しだけ会いに行くこともできた。
でも、
子供の寝る時間だし、疲れているし。
「ごめん、今回は行けない」
ま、でもまた、4ヶ月後のクリスマスに会えるから、と電話し切った。
そして、Uさん一家は日本へ帰っていった。
それから3ヶ月後に、Uさんは亡くなった。
くも膜下出血で突然に。
まだ30半ば、下の息子くんは3歳だった。
どんなに心残りだったろうか。
どうして、あの時会いにいかなかったのか、
どうして、後で絶対会えると思ったのか、
後悔して泣き、嘆き悲しんでも、
Uさんには二度と会えない。
今
それから今に至るけど。
面倒はもちろん、興味のあることですら先延ばしにしていた私だったのに、後回しにしない女に変身した。
迷っても、今やる、すぐやる。
会える人とは絶対会う。
「やらなかった後悔」はどうやったって一生消えない。それがこんな年になって、やっと痛いほどわかったからだ。
そして、「明日やるってば…」という
子供達に、明日がこなかったらどうすんだ、と毎日おしりを叩いては嫌がられている。
追記:
彼女は亡くなって12年目になります。
その後ですが、ご主人は男手ひとつで、今も子供2人を育て、お子さん達は会うたびに、強く、美しく、優しく育っています。
2022年1月22日