魂の螺旋ダンス 改訂増補版(15)メタノイア  念仏もうさんとおもいたつ心

・悔い改め(メタノイア)の真意について

 大阪市西成区の日雇い労働者の街、(通称)釜ヶ崎に三畳一間で暮らしているキリスト者に本田哲郎がいる。
彼はその地でふるさとの家というコミュニティを運営しており、地域の貧しくよるべのない人たちのために活動している。
それはもはやキリスト教という宗教の布教のためではない。ジーザス自身が本来志向していた精神性を宗教の枠組を越えて伝え広めていると言えるだろう。

 私は「キリスト教はなぜ国家権力に弱いのか」という講演会で初めてこの本田哲郎の話を聴いた。
聖書は、翻訳されるたびに時の権力者によって都合よく改竄されてきた。そのため神の権威に従うことが、世俗的な国王の権威に従うことと同一視されるようになっていった。
そのプロセスをギリシア語やヘブライ語の原意に沿って説き明かす明快な講演だった。

 その後、西成区釜ヶ崎をしばしば訪問するようになった私は、この地でジーザスの教えを実践するということは、宗教の本質に根ざすことだと実感するに至った。

 浄土三部経のひとつである阿弥陀経では、この教えが説かれたのは祇樹給孤独園(いわゆる祇園精舎)であるとされている。
 私は『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』の中で、その部分を「ここはギダ太子の所有する園林です。ギッコドクという、孤独な人々に炊き出しの活動をしていた人が、お釈迦様に寄進した土地です」と訳した。

 祇園精舎という言葉から多くの日本人は京都の祇園神社を思い出すかもしれない。しかし、本質的に観たときには、むしろ釜ヶ崎という貧しく家族もいない人々が日々の労働を求めて集まっている寄せ場こそ、仏陀が無条件の救済の教えを説いた場所に似ているとするのが、ふさわしいだろう。

 阿弥陀経の序分(仏陀がこれを説いた時、場所、聴いていた人々などを述べる部分)には、数多くの聴衆の名前が挙がっている。
その最後にそれらの仏弟子や菩薩が大衆と倶に聴いていたのだと結んでいる。
私はその大衆倶を「これらすべてのものたちが、ふだんから祇園精舎での炊き出しなどに集まっている貧しく孤独でよるべのない多くの人々と一緒にこの説法を聴いたのです」と訳した。

 ジーザスの教えもまたまず最初にそのような人々のために説かれたものである。
本田哲郎は、前章で私が検討した「悔い改め」の語義について、ギリシア語である「メタノイア」に遡って次のように考察している。(『聖書を発見する』より)

 「メタノイアとは、まさにその視座を移すということ。そこには、宗教もイデオロギーも哲学も関係がない。あなたがふだんものを見て判断するその視座を移して、そこからあらためて見直し、判断しなさい、という意味です。」

 ではいったいどこに視座を移すというのであろうか。この点について本田はさらにこの言葉をヘブライ語に遡り、次のように述べている。

 「メタノイアに対応するヘブライ語は、ニッハムということばです。その意味は何かと言えば、to have compassion with、つまり痛み、苦しみを共感・共有するということです」

 「つまり、メタノイアとは、人の痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに、共感・共有できるところに視座・視点を移すことだと分かります。人の痛みの分かるところに、視座・視点を移し、そこから見直してみると、実際にやってみれば分かるのですが、そのときはじめて、見えなかったところが見えてきます。何を悔い、何を改めなければならなかったのかが見えてくるのです。」

 このように見てくると、 ローマの人々への手紙に「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威は全て神によって立てられたものなのです。」とあるのを、本田が語源を遡りつつ「すぐれた権威に従うべきです」と訳した意味も自ずと浮かび上がってくる。

 「すぐれた権威」とは、「上に立つ権威」とは全く逆に「低みに立つ」「小さくされた者の傍らに立つ」という意味を帯びる。

 「小さくされた」とは本田独特の言葉づかいである。
自己責任において、弱い、小さいというのではなく、社会構造の中で低みに追いやられ、その訴えを聞いてもらえず、関係性の中で「小さくされている」人々の状態を示唆している。

 たとえば障碍者という切り口ひとつとっても、医学的モデルとしての「障碍者」がそこに初めから「小さい者」として存在するのではない。
社会構造と関係性の中で障碍を実感せざるをえない状態に追い込まれている=「小さくされた」のである。

 「小さくされた」という言葉は、社会的モデルの見方を貫徹している。そのような「低みに立つ」「小さくされた者」に共感をもってその傍らに立つことに由来する権威こそ、神の権威であると本田は言うのである。

 ところが、「上に立つ権威に従うべき」という訳をし、それを「神のあり方の本質」から切り離して用いることは、経済や軍事において権力を持つものたちによって、「自分たちの権威に従えと聖書にもあるではないか」というように利用され続けてきた。
ことに国家権力やローマ法王を頂点とする教会の権威に利用されてきたことは歴史の事実である。

 究極的には、最も痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに苛まれている人々、その人たちと共にあることこそが、実は神と共にあるということなのだと本田は言う。彼がカトリックの世界では司祭という大変高い地位にありながら、釜ヶ崎という「痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに苛まれている人々」の町に拠点を据えて活動している人生を観るとき、大きな説得力を持ってくる言葉である。

 この悔い改めについての本田説にはキリスト者内部からの反論もある。
しかし、私は先に述べた「あるがままに観ることによる自我の崩壊と満ち渡る限りなき光」という意味での「悔い改め」と、「人の痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りに、共感・共有できるところに視座・視点を移すこと」という意味における「悔い改め」は、矛盾するものではなく、ひとつのものだと感じる。
親鸞の「悪人正機」という思想もそのふたつが一枚のものであることをよく表していると感じる。

 ところで、本田哲郎が活動の拠点としている釜ヶ崎という地域からは、親鸞の教えを継いでいるはずの浄土真宗の寺院は転出してしまった。(『宗教の社会貢献を問い直す ホームレス支援の現場から』白波瀬達也)

 貧しくよるべのない人々には、葬式を営み、法事を続ける家族というものがいない。そのような場所では、葬式仏教は経済的に成り立たないからであろうか? 
仏教はこのような例の中でもその存在意義を根本から問われていると言わなければならないだろう。


(次の章では、念仏はマントラとはまったく異なること、念仏するという心の風光とはどのようなものであるかを明かす。)

・ 念仏もうさんとおもいたつ心

同じ質の「死と再生」の構造を日本の例で見てみよう。
先にも触れておいたように日本型超越性宗教は、鎌倉仏教において誕生したと私は考える。

ここでは鎌倉仏教の特質をもっとも端的に顕している思想家のひとりである親鸞を例に「死と再生」の構造を観察してみよう。

親鸞の生の言葉の記録としてよく知られている『歎異抄』の冒頭には「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏もうさんとおもいたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたもうなり」とある。

「念仏もうさんとおもいたつ心」が起こったその瞬間に、人は根源的な光に包まれ、自己解放が成就するというのである。

では、「念仏もうさんとおもいたつ心」とはいったいどのような心を指していうのだろうか。
この問いかけにひとつの重大な鍵を与えてくれるのは、浄土教における「三心」の問題である。

「三心」すなわち「至誠心」「深心」「廻向発願心」への言及は、観無量寿経にはじまり、善導、法然によって検討が重ねられる。
そして、親鸞においてさらにもう一度、意味の転化が行われたと言うべきであろう。

法然は『選択本願念仏集』の中、三心の章において、至誠心について「これ真実の心なり。」とした上で次のように意見を述べる。

「外に示しているごとく、内もまた賢く善良であれ。それならば出離の道にかなうだろう」。
「もしも内側の虚仮不実であることをそのまま外にも現すことができたなら、これもまた出離の道にかなうであろう」

法然の論旨は明快である。
至誠心とは、内と外が一致した状態、抑圧や分裂のないひとつにまとまった心の状態を言うのである。
その心の状態は、外側も内側も「賢」であることによって成し遂げられれば言うことはない。だが、愚かで不実である自己をそのままに認め、外にもそれを正直に現すことによっても、その自己一致は達成されるというのである。

あるがままの自己の究極の現実に身を開くこと。
それは恐ろしいことでもある。
だが、その向こうには、贈られている命のあるがままを生きるかろみと安らぎが広がっている。

だが、親鸞は法然のこの言葉を受けて、『愚禿抄』冒頭で次のように述懐している。

「賢者(法然)が信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿(親鸞)が心は内は愚にして外は賢なり」

すなわち、「法然は内側は賢明であるが、自らは愚かであると告白した。だが、この親鸞は内側が愚かであるにもかかわらず、それを認めきれず、外側を飾っている」と告白しているのである。

ここには自己変革の思想から、あるがままの自己に覚めて在る立場へのプロセスが、端的に現れている。
整理してみよう。

まず仏道の修行の出発点としては、内も外も賢であることを心がけるのが至当である。
だが、道を歩むほどに、この立場は到底実現しえざるものであることが見えてくる。
そこで現れるのが、法然の言うように「内が愚であるならば、その姿をいつわらずそうであるほかない自分をはっきり見、人にもそれを知らしめよう」という立場である。
しかし、親鸞はその「内愚外愚」の立場にさえ徹しきれない己の姿を「内愚外賢」と告白したのである。「私は自分の愚かさを認めきれず、外側を飾らずにはおれない」と。
ここに至って、ついに親鸞は、何も為しはしない。
ただ、何も為しえないことを知った。何も為しえない自己を見た。今ここにある自己の究極の現実に身を開いたのである。

つまり至誠心とは、たとえ自己がどのような存在であれ、そのすべてをあるがままに観てとる心と言い換えることができるだろう。
だが、この事は「言うは易し、行うは難し」である。
なぜなら、その事によって、自らが基盤とし恃んでいた自我が、粉々に崩れることもあるからである。

いや、それは必ず粉々に崩れる。
なぜなら、真実の相においては自我はそれ自身の中に存在の根拠を持たない「無常」のものにすぎないからである。

たとえば、自らは必ず死すべき存在であるという一点を、今ここでしっかりと見定めるだけでも、私たちは自分の存在の根拠が自分の中にないことを知って愕然とするのである。

そのため、この至誠心が発動し、根源的な光が自我を突き破って現れるには、一定の道筋が必要である。

そして、この道筋を明らかにするのが「深心」という用語なのである。
浄土教においては、この深心は「機の深信」と「法の深信」の「二種深信」が「啐啄同時」に発動する姿として明らかにされる。

「機の深信」とは、自我をあるがままに見つめ、それが粉々になっていくのを許すという側面である。
「法の深信」とは、その自我の崩壊の底から立ち上ってくる根源的な光を信じ受け入れるという側面である。

この両者は、同時でなければ成立しえない。
なぜなら、根源的な光に照らされることなしには自我の崩壊を許すことはできないし、自我の崩壊を許すことなしには根源的な光に出会うことはできないからである。

また親鸞は、三心の三つ目の「廻向発願心」を「根源的な解放を願う心は自我の内に根拠はなく、宇宙の無限の働きが自らの内に働いて生じたものである」と明らかにしている。

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