光る風 (4)

世界中の海は繋がっていて底なしである。
電脳の海も同じだ。潜っていくと見慣れた魚たちの姿は徐々に少なくなり、無数のプランクトンの吹雪の中を、異形の生き物たちが撥ねまわり、揺れ踊り、這いずりまわっている。
ここにはもう太陽の光は届かない。提灯鮟鱇の灯す幽かな光が徘徊してはいるものの、照らし出される部分はあまりにも限定的だ。周囲には漆黒の闇がどこまでも深く広がっている。
そんな海の底から浮かび上がってきたあぶくは、海面に近づくに連れて「ことば」というおなじみの外観を身につけようともがく。
「ことば」は何者かの生きた脳味噌を経由しなければ、ひとつひとつ形をとることも、一連なりの数珠に紡がれることもない。
宇宙からやってきた魂が子宮を選ぶように、「ことば」は脳を選ぶ。脳神経回路は指先を器用に操作して、パーソナルコンピューターのキーボードを凄まじいスピードで叩く。
インターネット上の掲示板が文字を表示する。誰かの思考の振りをして。痛みや呻きから出る声は、愛に昇華されるよりも何倍も速く、液晶画面を埋め尽くす。
個々の痛みや呻きは、人々が織りなす複雑な社会や、アメーバだった頃からの歴史に繋がっている。

「そういえばあの時に・・・」
キムソラが光一の琥珀色の瞳を覗き込んだ。
「コーイチって名乗ってた日本人が何百人のネトウヨを相手に殆どひとりでミエちゃんを擁護する論陣を張ってたけど・・・あれって、もしかして?」
「そやで。僕やで」
「えっ! 今、目の前にいるこのコーイチさんなの?」
「うん。まあ。ただ複数のハンドルネーム、使ってたけどな。色々な角度から言いたいこと、あって。それにそのうち、コーイチの偽物が現れて、ほんま、わけわからんようになってきたわ」
「こんなとこで会うやなんて。あの時はありがとう。ミエちゃんは三年前に亡くなったの」
言いながらキムソラは目を潤ませた。
「え、病気? 事故? それとも・・・自殺?」
彼女は光一のベッドから顔を逸らして嗚咽を抑えていた。医務室の壁時計の時を刻む音が急に大きくなった。結局、彼女はその問いには応えなかった。
「電脳空間って不思議やな。昼間は仕事しながら、毎晩、未明まで張り付いて文字打ってたら、頭がぐちゃぐちゃになって、そのうち、どれが自分の書き込みか、わからんようになってくんねん。自分の複数のハンドルネームと、コーイチの偽物。雲霞みたいに湧いてくるネトウヨの言葉。とうとう、それまでほんまは同じ無意識の海の底から昇ってくるあぶくのように思えてきて・・・」

ベッドサイドのキムソラと話し込んだ光一はその日、彼女とFACEBOOKを交換した。


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長澤靖浩
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