光る風 (7)

 ICUで意識を回復して間もなくのころ、高校時代の親友の博史が光一を訪ねてきた。
 通常、ICUは家族しか入れないのだが、意識が回復したばかりの光一には、人との交流によって、話すことや、考えること、触れ合うことによって、この世界に穏やかに着地していくことが重要だという判断もあったのだろうか、看護師が博史に「お会いになりますか」と言ったらしい。
 異例の措置であったが、博史が薄暗いICUに入ってきた。
「おお」
光一はすぐにそれが高校時代からの友人の博史であることを認めた。
「何しに来てん?」
「何言うてるねん。心配して来たんや」
「心配はいらんわ」
「死ぬとこやったらしいやないか」
「いや、死んだんや」
「ん?」
「俺な、一回死んだんや。ほんでな。わかったんや」
「何がわかってん?」
「全部や。すべてや」
「ふーん。何がどうわかってん」
「あのな。まず、こう光があるやろ」
「あるて、どこに?」
「あ、もう! 見えへんのか。ここや。あるやろ。そこにも。ほら。ほら」
「とにかく、助かって、気がついてよかったな」
「そうや、俺は気づいたんや。すべてのすべてのすべてにな」
「うーん」
博史はうろたえたようにそこで一旦、言葉を切った。そして結局、こう言った。
「それは何よりやな」
「だから、それを伝えんとあかん。だから、戻ってきたんや」
「これからまだお前、しばらく大変やぞ」
「もう大丈夫や。これはな、人類の夜明けなんや」
「どういうこと?」
「俺はな、世界平和のためにまだせんとあかんことがある。そやから、戻ってきたんや」
「・・・・・ああ。ご苦労さん」
博史がなぜ戸惑った表情を見せるのか、その時の光一には理解できなかった。
「ええか、よく聞けよ」
地元の高校に哲学研究サークルを立ち上げた仲間のひとりであった博史は、光一が昏睡中に体験したこと話す相手に打ってつけではあった。
 だが、まだ光一は呂律が回らず、言葉はすぐに宇宙語の混沌に落ちるのだった。後で博史に聞いたところによると、光一の話すことの殆どは不明瞭な発語のために意味が解せなかったという。それでも、伝えたい内容としてわかったことは、次のようなことだったらしい。
 後に光一はそのメモ用紙を博史から受け取ることになる。

《お前がうわごとのように言っていたこと》
 「臨死体験をして、存在と時間の秘密がすべてわかった」
 「自分という意識のない、ただの覚醒が、宇宙全体に広がり、染みわたっていた」
 「永遠の今ここの覚醒そのものから、時空が誕生したプロセスがわかった」
 「なにものにも碍げられることのない、限りない覚醒だけの世界には何の不満もなかった。至福というよりは、喜怒哀楽を超えた清浄な世界だった」
 「ただ今想えば、その世界にいる限り、僕はこの現実世界に何の働きかけもすることができない」
 「生きたこの世に戻ってきたのは、何かしらすることが残っていたからだと思う」
 「自分の場合はそれは執筆を中心とした表現活動だと思う」

 蘇生初期には光一の発語は自分でももどかしいほど不明瞭だったし、話の脈絡もふと気づくと何を言おうとしていたのか、頭が真っ白になって、混乱してしまっていることもよくあった。
 あれ?と思いながらも、また遥か彼方から言葉が届くにまかせて話し続けた。
 また、数日後には光一は筆ペンでスケッチブックに時空の構造について図と説明の文章を書いた。それを描写している最中には、宇宙的な啓示が筆先から溢れ出ているようで、ひとりよがりな教祖的恍惚の中にいた。
が、そのご託宣のはずの用紙を後で見ると、そこにはまったく意味のわからない墨跡がのたくりまわっているだけだった。
 そのような状態の蘇生直後の「うわごと」から、博史が一応意味のわかる文に整えてくれたものが、このメモである。
 光一はこのメモを見たとき、「助かった」と感涙にむせた。
 というのも、脳の混沌が収まり、聞き取りやすい話を脈略に沿って、話したり、書いたりできるようになった頃には、光一の脳裡からは臨死体験の鮮明なイメージや洞察は失われていってしまったのである。
 「おまえはあの時、確かにこう言っていたぞ」という博史の証言は、遥かなる無定型な覚醒あるいは荒唐無稽な宇宙的虚構が、人間の言葉が綾なす言葉の世界の浜辺に打ち上げられた数少ない貝殻たちとして、波の引いた砂浜に点々とその跡を残すことが、辛うじてできたのである。
 


もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。