魂の螺旋ダンス(35)シッダメディテーションの実際
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・高橋弘二の転落とグルマイ教団の安定性
見てきたように、グルマイというインド人のシャクティパットグルの門下に連なる者として、高橋弘二は私の兄弟子にあたる。
だが、ある時期以降の高橋は、このグルマイについて、口にしていなようである。むしろサイババのエネルギーを伝えていると語り、サイババ側からはこれを否定されるという滑稽劇を演じたりした。
サイババは、日本で人気のあるインド人グルのひとりであるが、私自身はあまり関心がない。
またサイババという人の特色を考えたとき、少なくともシャクティパットを前面に押し出したグルではなく、むしろ「物質化現象」と呼ばれる「奇跡」を旗印にしているように思える。(私自身は、あれは手品だと考えている。パンタ笛吹『裸のサイバ』等参照。)
では、なぜ高橋弘二は一時期、あのように入れあげていたグルマイというグルについて語らなくなったのであろうか。
私が、高橋とグルマイの身近にいた日本人女性から聞いた話によると、その経緯はこうである。その後、ライフスペースは、グルマイの教団シッダ・ファウンデーションとの関係を強めていく筈ではあった。
ところが、ある時点から高橋が、グルマイの瞑想法を自分なりにアレンジし、それを願望実現という極めて現世利益的な目的につなげて指導しはじめた。
いかにも、セミナー会社にありがちな展開である。インドの瞑想までもが、物質的な願望実現の道具になっていくわけだ。
この展開にグルマイ側は疑問を抱き、シッダファンデーションは、ライフスペースと距離を置くようになり、両者の関係は遠いものになっていったというのである。
そして、その後、いつのまにか、高橋弘二はサイババのエネルギーを伝えているという風に、話が変転していたというわけなのである。
そして件のミイラ事件に至るわけだが、遺体にシャクティパットを施すといった事は、私の知る限り、インドのクンダリニーヨーガの伝統からは考えられない事である。
なぜなら、シャクティパットとは、「生命」エネルギーを活性化させる技術の一つだからだ。
もっとも、高橋がその遺体を生きていたと言い張るなら、これは水かけ論に終わるわけだが…。
私自身は、一九八六年にライフスペースのセミナーのベーシックコースに参加している。
アメリカ西海岸などで開発されてきたサイコセラピーグループの手法を、うまく編成してあるよくできたセミナーであった。
簡単に言うなら、このセミナーは、これまでの自分の思い込みの殻を破ってくれるという意味では、有効なものだと感じた。
が、問題はその次のステップにある。
そうやって、思い込みの殻が破れて自由になった意識のスペースに、ライフスペースは新しい価値基準を植え付けようとするのである。
端的に言うなら、この素晴らしいセミナーをもっと広げようといったような観念である。
私は、それを洗脳だと感じたため、その続きのアドバンスコースに参加するのを止めた。
一方、高橋の講演を聴いて、グルマイの弟子による瞑想プログラムに参加した私は、その後、グルマイに会いに、アメリカに渡った。
グルマイとライフスペースが疎遠になっていった時期には、私は、どちらかというと、グルマイ側に寄り添っていった形である。
だが、グルマイをグルと仰いでその発言のすべてを信じるといった風にはならなかった。
今でも私はグルマイにはある種の感謝を覚えているが、グルとして崇拝したいとは思っていない。
だが、グルマイはなぜ自滅的なカルトのパターンを歩むことを免れているのだろうか。その点について簡単に分析しておきたい。
気が付いたことのひとつは、グルマイは瞑想の会や講話の中で、常に自らのグルであるスワミ・ムクタナンダを賞賛するという点である。
そして「このシャクティパットの恵みは、私ではなく、ムクタナンダから流れてきているのだ」とする。
クンダリニーヨーガを最初にアメリカにもたらしたムクタナンダについては、今でもアメリカのスピリチュアル・マーケットでは慕い続ける人も多い。
ところが聞くところによると、このムクタナンダはといえば、常にそのまた師匠であるニッチャナンダを賞賛していたというではないか。
こうして師子相承の伝統をどこまでの遡るとき、グルマイの伝えるシッダヨーガの伝統は、歴史の彼方へ連なっている。
グルに対する敬愛の念は、どこまでも過去に遡っていき、ついには始原は見えなくなる。
これはひとつの優れた「開かれたエネルギー回路」ではないか。
こうしてクンダリニーと呼ばれる生命エネルギーは無限の過去から流れ来たり、グルへの敬愛の念は無限の過去へと吸い込まれていく。
それはどこにも滞らない。
どの個人へも回収されない。
グルマイの教団(シッダ・ファウンデーションと呼ばれ)には、伝統的にこのような構造においてグルの絶対化や独走を避けてきた安定した装置がそこには見られるように感じた。
(注・・・ただし、一方でシッダ・ファウンデーションはカースト制度についての視点が甘いなど、いくつかの因習的な問題点を指摘することも可能である。それらの点については、別途、思想的検討を要する。)
・クンダリニー上昇
インドのクンダリニー・ヨーガの体系では、クンダリニーと呼ばれる潜在的なエネルギーは、人の尾てい骨のあたりにとぐろを巻くようにして眠っているとされている。
これがひとたび活性化されると背骨に沿って龍が立ち上るように上昇すると説明される。
その過程でチャクラと呼ばれる七つのエネルギーセンターを活性化し、ついには頭頂のサハスラーラチャクラを貫通して、頭の上から噴水のようにエネルギー溢れ出すというのである。
人は、シャクティパットなしでも、ヨーガの修行によって、単独でクンダリニーを活性化することができる。
だが、グルの高められたエネルギーで弟子に働きかけるシャクティパットを施せば、クンダリニーの活性化は、急速に進められると言われているわけである。
私自身の最初のシャクティパット体験をもう一度詳細に振り返ってみよう。
プログラムの参加者は男女に分かれて並んで座った。背筋はぴいんと伸ばして、頭蓋をまっすぐに保って安定させる。この姿勢は非常に重要である。
イツハク・ベントフは、クンダリニー覚醒を脳の振動現象が生み出した仮象だという説を立てている。(立花隆『臨死体験』)。
その説によると頭を動かさずに保持することにより、脳が多様な振動の影響を受けにくくなる。
その結果、脳側室の脳脊髄液に定在波が作られる。その定在波の振動によって生じた電流が、大脳皮質の感覚野を順次刺激していく。
その事が足先から喉元へと順次に刺激が上ってくるかのような感覚を生じさせる。
そして最後に快感中枢が刺激されることによって、エクスタシーを感じるというのである。
これはクンダリニー上昇という現象を脳内現象としてとらえた一つの興味深い仮説と言える。ただし、その定在波の測定などは技術的に困難であり、飽くまでも仮説のままに留まる。
一方、インド哲学者の本山博は、中国医学の経絡の研究をクンダリニー・ヨーガの体系と重ね合わせ、チャクラの活性度を経絡―臓器機能測定器(AMI)で測定するという、これもまた興味深い実践をしている。
私自身、カリフォルニア州サンディエゴの本山の研究所でAMIによる測定を受けたが、その結果はチャクラの活性度に関する自らの実感と重なるところが多く、非常に参考になった。
背筋を伸ばした姿勢を維持しつつ、指は独特のムドラー(印)を結んで軽く膝の上に置く。気功などの体験のある人なら、これだけでもすぐに掌に気が充満してくるのを感じるであろう。
実際、中国で気と呼ばれてきたものとインドでクンダリニーと呼ばれてきたものを同じものとして説明する論者も多い。
参加者はこの姿勢を保ったまま、「オーム・ナマー・シヴァヤ」というマントラ(真言)を独特の節回しで詠唱するように指示される。
「オーム」はアルファベットでは「AUM」と表記されるが、宇宙を満たしている聖音とされている。オウム真理教のせいで、すっかりマイナスのイメージが定着してしまったが、何千年も以前からインドでは聖なる音とされているものである。
「ナマー」とは漢字では「南無」と表記される。
「帰依する」「すべてをゆだねる」という意味である。
「シヴァヤ」とは、インドの神の名前であるが、シッダ・メディテーションではこれを「大いなる自己」と説明することが多い。
つまり、全体として「AUM、大いなる自己にすべてをゆだねます」という意味のマントラを唱えていることになるわけである。
やってみるとわかるが、独特な節回しのマントラの詠唱を長時間続けると、一種、陶然とした気分が訪れる。
心地よい刺激の反復は、脳を変性意識状態に導くひとつの鍵である。
このようにして、皆でマントラを詠唱すること数十分、やがてその姿勢を保ったまま、深い沈黙に入る。
シッダ・メディテーションでは、マントラの詠唱を翼の羽ばたきにたとえることがある。
ひとしきり羽ばたいて大空高く舞い上がった後は、空を滑るように飛ぶのである。
そしてどうも高度が下がっていると感じたときは、個人的に頭の中でマントラを念唱する。
うまく風をとらえることができ浮力を感じれば、再び沈黙に入っていく。
このようなことを一時間も続けていただろうか。
そのうち私は、背骨の付け根、尾てい骨のあたりが、むずむずとしてくるのを覚えた。
やがてそのむずむずは、ちりちりと電気を当てているような感触に変わってきた。
そしてとうとう背骨に沿ってなにか熱いものが昇りはじめたのである。
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