かもめのジョナサンは聖書である
「かもめのジョナサンは聖書である」
長澤靖浩(初出「SEIN」59号 1979年7月7日 18歳)
リャード・バックは究極的な本を書き著わそうと思いはじめてから八年間も何も書けずにいた。ある日のことだった。リチャードが渚を歩いていると、どこからか神の声が聞こえた。
「ジョナサン・リヴィングストン・シーガル」
その天啓を受けた彼は家へふっとんで帰るとたった五時間でひとつの物語を書きあげた。それがかの大ベストセラー「かもめのショナサン」である。あらゆる聖なる書物がそうであったようにこのようにして二十世紀の「かもめのショナサン」もまた神からの天啓によって書かれたのだ。
この本は初めアメリカ西海岸のヒッピー達の間で評判になりはじめた。ヒッピーの中には深く宗教性に通じている人々がいる。しかも彼らはいわゆる組織宗教、死んた宗教に関係しているのではなく、自己を通して直接的に神を(あるいは法(ダルマ)を道(タオ)を宇宙を)知っているのだ。
その彼らであったからこそ「かもめのジョナサン」が新しい聖書であることに最初に反応することができたのだと思う。
さて「かもめのジョナサン」にたいした宣伝活動は行なわれなかったにもかかわらず、やがてヒッピーから一般大衆へと広がっていき、ついにベストセラーとなりはじめた。
さらに、数年前には五木寛之の訳によって日本でもかなりの売れゆきを示したのである。
前置きはこのくらいにして高校生だった私が初めて読んだとき、いかに「かもめのジョナサン」に感動したかということについてしばらくお話をさせていただきたい。
まず扉を開くとそこにこうある。
To the real Jonathan Seagull who lives within us all.
=われらすべての心に棲むかもめのジョナサンに=
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