アイヌモシリ一万年祭 ステージ

フェス開催中は、昼間はゆったりと行事。

すでに紹介した上記のものなどのほかに手作り楽器コンテスト、ムックリ大会、スイカ割りなどがあった。
プログラムは余裕があり、しかも、たいていだらだらと予定より遅く始まる。

全体的にまったりとした感じだ。
そのかんに、近くの温泉(ユーカラ)や買い物に行く車を見つけ、出かけたりもした。

だいたい夕方ぐらいから、ステージで音楽が始まる。

この祭り常連のミュージシャンが何人かいて、人気があるユニットもあった。
とある人気あるユニットのステージ中、ボーカリストがステージの蛾を踏んで殺してしまった。
殆ど誰も気づいていなかった。
気づかれないうちに踏まれて死んでいく蟲の存在にNは敏感だ。
子どものころ、いじめられていた自分に重なるのだとも言っていた。
蛾が踏み殺されたのに、盛り上がり続けるステージに激しく動揺したNは気分が悪くなって、ステージ前を離れていった。
あとで会ったが、2時間ぐらい、気持ちが回復しなかった模様だ。
色々なステージに、参加者はそれぞれの感想を抱くもの。
その一環としてメモしたくなった一件だ。

他にはファイヤーダンスが人気があり、何日かにわたって演目を少し変化させながら、ステージを盛り上げた。

↑ 私の撮影

ミュージシャンで祭のひとつの象徴になっているのは、梶田イフさんのようだった。
彼のステージは会期中、祭全体のラストも含め、三回あった。
中でも「二風谷最後の砦」という歌は、祭全体のスピリットを代表するようでもあった。
この曲も三回聴いた。

↑ youtubeで見つけた過去の演奏(鎌倉?)
やや若いときのアシリレラさんもステージ上で踊っている。
よい歌だと思うが、詩としては、やや古典的なアジテーションが含まれ過ぎているようにも僕は感じた。

先にも書いたが、祭には日本の社会のシステムや現状に対して、「闘い」の意識をもった人たち(年配の人や、レラさんの直接の知己などに多い気がした)と、ゆるやかでやさしいコミュニティを形成していこうとする人たち(若者に多い気がした)が存在する。
その両者はそれとなく融合しているようでもあり、どこかに水の合わない部分があるようでもあった。

いや、祭の中心として存在感の強いアシリレラさんその人の中では矛盾なく融合している気はした。
ただ、その周囲には、御多分に漏れず、レラ信者のような人たちがいて、自分たちこそ祭のスピリットを体現しているのだという意識から、特に新参者やふざけたノリの者に対して指導的、批判的な態度をとってしまうことがあった。
言うまでもなく、ありがちだ。

僕も短い時間だが、ステージに出た、
テントで、僕の『超簡単訳 歎異抄・般若心経』を見たJがいきなり、その現代語訳・般若心経を歌いはじめた。
それに僕が唱和すると、「いいですね。これでワンステージ出ましょう」と言い出したのだ。
出演者は毎日早めに言えばだれでも割り込むことができた。
しかし、祭も終盤のその日のステージは満杯だった。
Jさんがステージのプロデューサーにミュージシャンの転換(セッティング)時間にステージ下で3分だけ、パフォーマンスしてよいという話をつけていた。
プロデューサーとは祭に来てから僕も話したことがあった。
1988年のいのちの祭りの話題など、古い話も共有できる世代だとわかって、「ああ、そんな雰囲気だと思ってました。ほかにもその時代からの人もいるし、後で紹介しましょう」などと話を交わしていた。
それで僕が出るという話も「うん。彼は知っているよ」と言ってもらえたようで、すんなりと許可が出た。

Jがボイスパーカッションとデジュリドゥ、Nがジャンベを軽くたたき、僕が即興でボーカルのようなラップのような、どちらにもなっていないようなことをすることとなった。
般若心経のどの部分を読もうかとめくっているうち、実際には般若心経はどうでもいいような気がしてきた。
それは中心の空なのだが、その空からどんな世界を祭に作り出し、それを世界に広げようとしているかが、肝心のように思い始めた。
それでこの祭に来てからの経験を即興の節に乗せて、ただただそのまま歌うことにした。

よく覚えてないし、録画もないが、中身としてはおよそ次のような内容だ。

はじめはこんな山中に車椅子で来られるのかさえ不安だった。
船の中で声をかけられ、車に乗せてもらいたどり着いた。
ここの道はバリアフリーではないけれど、いつも誰かが助けてくれるので、僕はどこにでも行ける。
なんにもできない俺だけど、皆と一緒にごはんも食べられる。
僕の車椅子があたって、ひっくり返してしまった鍋にごめんなさい。
だけど笑顔で接してくれて逆に助けてくれた。
よい音楽があれば俺は立って踊れる。
ここでは僕には障碍はなく、自由だ。
ありがとう。
I LOVE YOU.

内容的にはそんな感じだが、即興の節で思いをこめて歌った。
何人もの人が直接、またはJを通して間接的に、よかった、びっくりした、感動したと伝えてくれた。
一番、うれしかったのは、これを聞いて、自分も何もできなくても、ここにいていいんだと自分を受け入れられたという感想だ。

一番、前で聞いていて、駆け寄って、よかった! と何度も伝えてくれた和っしょいキャラバンのなっちゃん、サイコー。

画像1

その夜、いったん入眠したが、ふとトイレに目を覚ますと、隣のターフで話している人たちの声が聞こえてきた。
よく話しているのは、ニャンコさんという年配の大道芸人のようだった。
彼がひとりひとりのステージについて批評していく言葉に、批評家としての才を感じ始めたので、話の環の中に入れてもらった。
あらゆる場面で和っしょい、和っしょいと叫び続けるハルキに対する毀誉褒貶を僕はあれこれ聞いたが、ニャンコさんは中ではとてもハルキを評価していたのは、おもしろかった。
「ある意味、彼はジョン・レノンなんだ」とまで言っていた。
その称号、僕がほしいんですけど。(笑)
ただ、「これからどうするのかが問題だ」と言っていた。
そのニャンコさんが、僕のパフォーマンスについて「ほぉーっと思ったよ」と評価しつつも、パフォーマンスをした後は、レラさんに感想を聞くべきだと言っていた。
レラさんが何か批評していたのか?
彼自身は深い論評をその場では避けた。
翌日、僕はレラさんに、ニャンコさんにそう言われたので、批評を聞きに来たと言った。
レラさんは、「何の問題もない。好きにやればいいんだよ」としか言わなかった。

道すがら、ニャンコさんに会ったとき、レラさんはそれだけしか言ってくれなかったと言うと、ニャンコさんは自分の批評を語ってくれた。
「ブラックユーモアがもっと必要だ。そうでないと、あなたはこの祭の中で、全世界の障碍者の代表になってしまう。それはユーモアでもう一度壊してしまわないと、ある意味抑圧的に働く正義になるんだ。いやあ、困ったことになったなという感想ももった」
プロセスワークのランクの概念に学ぶところ多かった僕は、弱者が逆転の正義になるメカニズムについては考えつめたことがあった。
なので言っていることはよくわかった。
やはり魂の螺旋ダンスが必要とされるのだ。
そのひとつの鍵として、大道芸人から「ブラックユーモア」というヒントをもらったのは有意義だった気がする。

たいていのことは僕は「魂の螺旋ダンス」に一度は書いています。(笑)
絶版となった、この本の書籍版はアマゾンなどで高騰しているので、ぜひ、noteの改訂増補版をまだお読みでない方は読んでくださいませませ。



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