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自己紹介 大阪文学フリマ 9月8日(日)に寄せて

9月8日(日)に大阪文学フリマにブースを出します。今回は単独ではなく、堺市のシェア型書店HONBAKOの箱主仲間での共同出店ブースになります。そのグループで当日までに作成する「合同本」の自分のページの草稿がやっとできました。書きだせばすぐ書けるんだけど、「大事なこと」を書くと思えば思うほど、なかなか「今日、その気力があるぞ」というタイミングを見つけるのが難しいものです。これからこの草稿を推敲して、求められている形式の完全版下を作らないといけません。

『一三分間、死んで戻ってきました』 長澤靖浩著 ひかる工房刊 一四〇〇円
 私は二〇一三年の二月に心室細動という心臓発作を起こし、一三分間、心肺停止しました。後に見たことのあるグラフでは、八分間の心肺停止をすると九九%の人がそのまま意識を回復せずに亡くなっています。私の場合も「このまま意識を回復せずに死にます。あるいは医療機器に繋がられたまま『植物人間』としてしばらく延命できるかもしれませんが、結局そのまま亡くなります」と医者が家族に宣告していました。しかし、一〇日後に私の体は激しく痙攣し始めました。それを見て驚いた弟が看護師をICUに呼ぶと、「体に戻ってきています。意識を回復する兆候です」と、経験からなのでしょう、看護師は語りました。こうしてまもなく私は朦朧とした意識を回復したのです。
その昏睡状態の間に「臨死体験」と呼ばれているような「生死を超えた覚醒」の経験をしました。「自分だという意識のない『ただの覚醒』が全宇宙に広がっている」といった状態でした。あるいは時間や空間が誕生する以前の「永遠の今ここ」にいたと表現することもできます。その「覚醒」は、この世でまだ朦朧としていた「意識」よりもずっと鮮明に想起できました。この本の前半は、言葉で表現するのがとても難しい「臨死体験」を、なんとか表現しようとする試みの跡です。また、私の場合は、一三分間の心肺停止から、何故奇跡的に蘇生できたのか。臨死体験とはいったい何なのか。それについて、仏教や脳医学、量子脳論なども参照しながら、いろいろな仮説を紹介しています。
その後、私は奇跡的な回復を遂げました。脳の酸欠状態が長かったにも関わらず、言語能力が通常よりとても高い状態のまま保存されていると診断されました。ただ「転倒しやすい」という身体障碍が残り、三一年間務めた教職を退きました。外出の際は車椅子を利用するようになりました。しかし、喪われるはずだった命を取り留めた私は、残された生涯を「生きているだけで丸儲け」とありがたく受け止めることになりました。特に言語能力が残され、運動機能が一部破壊されて教職を退くことになったのは、ひとつの啓示のように感じました。どう考えても、これは宇宙の神意のようなものが「もう充分に教育という仕事に取り組んだ。残りの人生は好きなことをして生きていいよ。特に生きているうちに書きたかったことをできる限り書き残しなさい」と告げているように感じられてならなかったのです。
 実際、教職を退いたことで、収入や社会的地位などを私は失いました。が、「時間持ち」にだけはなりました。教職について結婚し子育てしてきましたが、子どもたちも独立する時期になって、少年時代からの第一志望であった「文学」に回帰することを許されたのです。私は、教員時代から時々エッセイや評論は書いていました。が、蘇生後、初めて本格的な小説『蝶を放つ』を書きあげました。また、若い頃学んだ仏教(特に親鸞の思想)を、臨死体験で得た視点から照らし直し、二冊の仏教書も出しました。
私が蘇生後に自由に活動するようになったのは、文筆活動に関してだけではありません。障碍(多種多様なもの)があってもなくても一緒に踊るダンスチーム=ダンスバリアフリーに入ってステージにも出演しました。踊ることは好きでしたが、身体障碍者になってから初めて人前で踊ったのは不思議な縁です。また、就労支援で学べるさをり織りという織物を織るようになりました。一〇代の時から作詞作曲していたオリジナルソングの詞とコードを改めてギターで弾き語りし始めました。すると仲間ができて、バックバンドをしてくれるようになり、手作りのCDも作成しました。
学生時代は世界中を貧乏旅行するバックパッカーでしたが、再び時間に余裕を得た私は、電動車椅子に乗って長旅するようにもなりました。北は利尻島、南は波照間島まで国内を旅したほか、韓国や台湾にも旅しました。行く先々では、様々な差別や不便に阻まれる一方、見知らぬ人から思わぬ親切を受けてとても感動することも多く、次から次へと新しい世界が開けていきました。
 そんな風にして蘇生後の十年を生きてきて、昨年、やっと書き上げることができた「臨死体験とその後」についてのエッセイ本が、『一三分間、死んで戻ってきました』です。はやりの臨死体験を語る新しい本がまた出たのか・・・とだけ捉える方もおられると思います。しかし、私はこの本で描きたかったことは大きく分けて二つあることを強調したいと思います。
ひとつは、この世での縁が尽きたら往くことになる生死を超えた世界は、完全な「静寂とやすらぎと至福」であること。だから、死については何も心配することはないということです」。ただ、それは何の障碍もない(融通無碍)(尽十方無碍光)完全な世界であるが、あまりにも「清浄」で「静か」であり、何も生じないのです。
それに対して、この本で描きたかったことの二つ目は、今、生きているこの「娑婆世界」は様々な障碍があるからこそ、「喜びや苦しみ」「楽しみや悲しみ」に満ちたワンダーランドであるということです。実はこの本の眼目は、この二つ目の方にあります。私は実際に医学的にも「身体障碍者」と呼ばれる立場になりました。しかし、そうでなくても、この世は生死を超えた「無碍なる清浄」に比べるならば、障碍だらけなのです。だからこそ、出会いや別れ、愛や憎しみ、数々のドラマが日々生じ、その中を踊り続けていくのです。もっと大きく言えば、時空とは、もつれや、分裂、透明な光をさまたげる物や、心の翳りなどによって創り出されているものです。
そのことが臨死体験によって、はっきりと理解されるようになりました。そして、通常はマイナスのことに想えるかもしれない、そういったすべての「障碍」に感謝すら覚えるようになりました。この本はある意味では確かに臨死体験の本です。ただ、臨死体験とは「無碍なる清浄」の世界にいってしまっている状態だけを指すわけではありません。その世界を知った上で、障碍だらけの娑婆世界に戻ってきて、生きているという奇跡を一瞬一瞬踊りきること。そのすべてを抱きしめた光の万華鏡が広い意味での臨死体験です。だから、私はこの本を書くために、蘇生してから十年の月日を要したわけなのだと感じています。


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長澤靖浩
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