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『詩集 間違いだらけの人生』
『詩集 間違いだらけの人生』ひかる(長澤靖浩)
【序詩】
言葉は
宇宙の融通無碍なエネルギーが
私の意識に届いた波打ち際
【父と子の光景】
私の投げたボールを
子ども用のビニールバットで
ポンと打ち返した
三歳のおまえ
ボールは私の頭上を越え
振り返ると
青い空に浮かんでいた
そのとき
おお今にもっとうまくなるぞ
と
ほくそ笑んだ私は
気づかなかった
その瞬間こそが
おまえと父との
二度と戻ってこない
永遠の今ここだったのだと
だから
六歳のおまえが
将棋をしよう と
父の部屋を訪ねたとき
私は邪険に あっちへ行け
と
言ったのだった
また明日にでもできる
今は忙しいのだからと考えて
おまえは
かなしそうに顔をしかめて
ドアを閉めた
その瞬間こそが
おまえと父との
一度かぎりの
今ここだったのだ
私の幼いとき
私の父が
たった一度だけ
寝ころんだまま
足ではさみこむ
怪獣役になって
ウルトラマンの私の相手をしてくれたように
ちょうどそのように
おまえがポンと打った
あのボールは
今も
永遠の
青い空に
浮かんでいる
【きらきら】
すべての子どもが
幼いときには
きらきらした目で
世界を見ている
ここはどんな場所なの
今から何が始まるの
楽しいこと?
一緒に遊ぼう!
その目にやがて
諦めの紗がかかり
屈折した怒りに満ち
意地悪になっていくのは
ぜんぶこの世の先輩たちのせい
だけど何度でもまた
子どもたちは
きらきらした目をして
生まれてくる
これでもかこれでもかと
繰り返しチャンスがある
この世界を楽園にするチャンスは
何度でも
永遠に
与えられつづける
【約束の島~憲法25条に寄せて】
この島は約束の地
誰もが
雨風をしのぐ屋根のしたで
仲間とともに
豊かな実りを口にし
肌にやさしい服を着て
好きな歌をうたい
読みたい本をよみ
躍りつかれて眠る
病のときは手当をうけ
仕事をうしなえばさがしてもらえる
どうしても働けなくなったら
あなたが人らしく生きるために
必要なものすべて
皆があなたにとどけてくれる
この島は約束の地
足がなえた人は
車椅子で
目の見えないひとは
愛すべき犬と一緒に
好きな場所へ出かけ
会いたいひとに会う
一番困っている人がお先にどうぞ
力あるものは
それをささえる
きれいな水
おいしい空気
樹々は風に梢を揺らし
やさしい人たちと一緒に笑う
この約束はすべて
国があなたに誓ったもの
この島は約束の島
無謀で残虐な戦争に敗け
焦土と化した島の上で
皆でともに交わした約束
【わたしひとりの聖地】
子どもの頃
野山の中に自分だけの聖なる場所があった
そこには
どんな鳥居も御堂もなく
ただ夢のようなエメラルドグリーンの池があり
木には洞(うろ)があり
草木が茂り
鳥がさえずっていた
【幼年期】
めらめらと炎える
父や母らの桟敷の頭髪
スタートラインに並ぶ僕らの
小鹿の足は棒きれよりも細く
ピストルの音 用意という前に
遠ざかる歓声 高鳴る動悸
ひとりになる
ああ僕は生まれてはじめて
真一文字のレースの行く手に
一等賞にて突っ走る
かあさん
僕の右には 青い空
僕の左は 風が鳴るだけ
あっ
と思うともんどりうって
まっさかさまに 落ちてくる
青い空 白い校舎
まぶしい!
真空だった僕の内耳に
遠くどよめく声
が蘇る
ひ・と・り
である
【長靴の中の宇宙】
玄関先の長靴の中に
真っ暗闇の宇宙
覗き込めば
煌めく無数の星
埃のような太陽の周りに
命の星がゆっくり回って
その星の上では
ミクロの人類が
壁画を描いて
火を囲んで踊っている
泣いたり
笑ったり
論争したり
殴り合ったり
愛し合ったり
殺し合ったり
それでもまた
光の珠をきらきら回して
踊り狂う国もある
戦いは止まず
街は滅びゆき
草が生えて
荒野になる
雨の日がやってきて
僕は長靴を履かなければならない
裸足の裏で
宇宙はぎゅうっと圧し潰されて
世界は・・・・終わってしまった
むずがゆい踵で
どすんどすんと街を歩く
夕暮れ
歩き疲れて
ふと見上げれば
空の彼方
雲の隙間から
巨大な眸が
覗いているではないか
僕らは首をかしげて見つめ合う
【青空】
昼下がり
真っ青な空の下
きみのやさしい指は僕の髪をかきなで
頭蓋のフタをあける
精妙な思考機械
油の切れた歯車がギシギシと鳴っている
きみはプラグを抜きはじめる
ふっ と連絡が途切れる
もうひとつ プラグを抜いてもらう
また ふっ と空白が生まれる
記憶を 引き出しにしまっておくのではなく
引き出しごと抜きとってしまえるなんて
なんというまっ白な<光の至福>だろうか
きみが最後のプラグを抜いたとたん
宇宙のくしゃみが 僕の頭を吹き飛ばす!
あっ という間に
肩から下だけになったぼくは
あっ という間に
肩から下だけになっちまったきみの
かわいい桜色の乳首をつまんでいる
意識の
明るい午後の日射しだけが
ふたりを 照らしている
【凧】
空を見上げると
幾重にもかさなる光の層の中で
はためく凧
光る糸がぼくの手につたえる
はげしい気の奔流
よどみ
渦まき
せせらぎ
歌
ジェット機の翼が
空を豆腐のように切り裂いて
見えない青の中に
血がほとばしる
と見るまに
やさしい風がなだれこみ
傷に触れ
ゆらぎ
たゆたい
雲の繊維に
光が満ちかよう
はてしなくふりそそぐ
オーロラ
隕石
宇宙線
おわりのない空なるものの遊戯に
つきささる
ぼくの
凧
【波に書いた名前】
波に書いた名前
砂に描いた名前
風に刻んだ名前
皆 消えてしまって
広がる星空
宇宙の末端で
すべての名前は光に溶けて
滝になり
果てしない奈落に落ちていく
けれども
私は繰り返し
ゆく河の流れに
名詞を置く
【カレイドスコープ】
木立ちにきみが
足を踏みいれると
樹々がざわめいて
「お帰り」と囁く
鳥がさえずり
木の間に雲がながれ
日の光が斜めに射して
葉陰が地面でゆれる
きみは
風に乗ってすすみ
ときどきふりかえって
ほほえむ
両手を広げ
空を仰ぐと
太陽が眩しくもなく
くっきりと丸い
空は紺から紫へと
どこまでも深く
その底は宇宙につながっている
木立ちが途切れ
州に広がる
くさはらから
世界を眺めわたすと
花が
樹が
川が
土堤が
遠い山並が
煌きながら旋回する
僕らと世界は
ひとつに溶けて
神が神を観ている合わせ鏡が
空と大地の万華鏡になる
【音数珠】
今ここで
いちばん鳴らしたい音
それを見つけて響かせたい
ひとつの音を鳴らしたら
その次の音を探したい
ひとつまたひとつ音を見つけて
きらきら数珠に
つないでいきたい
それはきっと
綺麗な悲しいメロディになる
一期一会の神秘の曲を
死ぬまで紡ぎ続けるため
自分と世界に
ひたすら耳を澄ませる自由がほしい
宇宙でひとつの音楽を
奏で続ける自由がほしい
世界に鬱積している悲しみの
根元をつきとめ
解き放つまで
【鍼灸マッサージ師】
君の指は届く
だれも見つけることのできなかった
正しい場所
触れた瞬間にここだとわかる
秘密の一点
君の鍼は突き刺す
こわばったまま凍りついた
待ち遠しい場所
貫いた瞬間に緩んで溶ける
精妙な鍵穴
君の掌は撫でる
まだ浮き出していない
隠れた文字
神がぼくの体に刻印したまま埋もれていた
歓喜の声
【光る風】
一枚の木の葉の葉脈に
無数の
アレキサンドリア図書館が観える
銀河の彼方までの
量子情報がすべて書籍に書かれている
索引カードを繰りながら
目をしばたくと
そこにはやはり一枚の木の葉が
風に裏返り
揺れているだけ
【家族写真】
息子の誕生日に
焼き肉屋のサービスで撮ってもらった写真が
違い棚に飾ってあった
息子とその妹
そして母親
三人ともほほえんでいる
けれども
心の芯の淋しさが
表情ににじんでいた
愛する人と暮らす部屋から
まだここに残っている書物を取りにきた私は
長い間
その写真に見入っていた
その横の
写真立ての中には
四人で行ったUSJの写真があった
まだ幼い子どもたちの
無邪気な笑顔がこぼれている
喧嘩ばかりしていたのに
何思い煩う日々でもなく
ただただ笑っていたように感じる
もう戻ることはできないし
男と女に戻りたくない気持ちは変わらなかった
壊れてしまった絆
このひとではないという手触り
けれども
ほほえみながらも
ひきつっている
三人のバースデイの写真は
胸の芯を疼かせた
「それじゃあ」
私は書物をかかえて
戸口を出る
背中で
鍵を閉める音がした
【幸福論】
幸せとは
あなたが生まれ
あなたが啼き
あなたが微笑み
あなたが立ち上がり
あなたが歩きはじめたこと
いつのころからか
あなたは私の手を離れ
地平線の向こうに旅立った
いつか
光の中で
時が折りたたまれるとき
あなたも知るだろうか
幸せとはなにか
【瞑想】
瞑目して
意識の芯のほぐれるのを許し
目覚めを解き放つ
今
わたしは
雪降りしきる野の広がり
満月の照らし出す海の銀盤
波のようにつづいている
無数の屋根の下
食卓を囲む
あらゆる人々の暮らし
そしてまた
今
わたしは
弾の雨降る戦場
(人々は互いの懼れを映し合う鏡)
蛆の湧くしかばね
わたしは生きてきた
わたしの誕生を歓ぶ
多くの人に囲まれ
野を駆け回り
やがて学び舎の机に縛られ
それを嫌って天竺や亀の島を放浪し
この島国に還り
いつかひとりの女を愛し
我が子の誕生を歓び
わたしは今日まで
生きてきた
「生まれてきてよかったね」の声が
木霊する
おいしい銀舎利や
枝に咲く花や
その向こう
雲の流れる空のすべてに
こんなにも
しあわせに満ちて
生きて
笑って
そしていつしか
あの人をこの上なく傷つけた
はてしない悲しみの海に浮かぶ虚空の華
瞑目して
意識の芯の目覚めを許す
今
わたしは
薄紫の夕空
ふっと湧き出る無数の星々
わたしの自我が
生きていても
死んでしまっても
このままずっと
今ここに
意識は
永遠に目覚めたまま
くだける銀河の渦巻き
ちりかかる星の桜吹雪
宇宙の回り舞台は
生きとし生けるものの
すべての気持ちを
そのままに
歌いつづけ
ゆるし
だきしめる
【庭】
庭で本を読んでいると
草が風にそよぐ
小鳥が鳴く
カラスの影がよぎる
人が道を通る
車が排気ガスを残していく
木々が酸素を吐き出す
ジェット機が空を引き裂く
そよと風が吹く
木の葉がざわめく
小鳥が芝生に降りて
小首をかしげ
こちらを見る
偶然などひとつもない
【光の華】
色とりどりの
光のシャボン玉が
浮かび上がる
一面に広がる
虹色の大地の
皮膚呼吸
と共に
あらゆる場所から
光る泡が
ゆらゆら
たち昇る
空へと吸い込まれてゆく
網膜にも
鼓膜にも
頼ることのない
すべての感覚が
泡立ち
噴き上げる
はるか
宇宙の末端まで
時空を満たしている
光の粒子
と
光の粒子
が
互いに互いを
無限に
映し合っている
今は観える
紫より波長の短い光
生まれる前の顔
匂いの色彩
電子のダンス
今は聞こえる
超低周波
隻手の音声
AUM
宇宙の始まりの
玄
すべての色を
抱きしめて
あふれる
透明な まばゆい光
ふいに胸の中央で
鳴り響く
君の笑い声
極彩色の氾濫
私を包む
光の泡が
パチン!
と
はじけ
虚空に放り出される
ホワイトノイズに
かき消される記憶
一瞬のうちに
異なる世界(アナザーワールド)に
ワープする
非連続の素粒子の
途切れることのない音楽の
胡蝶の夢は
光の華
永遠の今に
咲きほころびつづける
薔薇
【幻視者】
海の深さを知ったのは
あなたへの想いを見定めようとして
ふいに裂けた海溝の底を
横切る深海魚のカンテラ
空の果てしなさが見えたのは
あなたを喪った彼方を見遣ったとき
流れる雲より深い蒼の懐に
さんざめく真昼の星々
【蝶を放つ】
峻烈な峰を
霧に煙る
幽霊船が
風に吹かれて離れる
仄暗い蛹の中
細胞が溶けて
流れる
まだ濡れそぼった羽で
背中の殻を破り
死と再生
金の指輪の
欠片(かけら)のような
細い月
星集(すだ)く宇宙
地上では
無数の蛹から
蝶が羽化して
飛び立つ
地球と火星の間に
虹のアーチを架けて
渡っていく
果てしない闇を
螺旋状に舞いながら
踊る蝶
銀河の桜吹雪
蝶たちは
地上の使命を終えて
放たれ
空間と時間の尽きる
宇宙の果てで
光になる
【末期の瞳】
遥かこの星の裏側で
遠いふるさとの島を想いながら
ひとり死んでいく私
愛するひとや子や孫が
ベッドの周りを埋める中で
別れを告げる最期ではない
言葉の通じぬ異国の路上
青すぎる空を瞳に映したまま
仰向けに横たわる体
育ててくれた両親や祖母
子どもを産んでくれたあのひと
そのすべてを投げ捨て愛したひとも
死に行く私に付いては来られない
ただ
一瞬きりの人生で
出会えたひとすべて
末期のベッドに間に合ったのと同じこと
その出会いのすべてを
今 抱きしめる
ああ 最期にかけた言葉は
あんなにも冷たいまま
チャンスはまだあると誤解して
そのときこそ優しくしようと思いながら
あらゆる機会を逃しつづけたんだ
皆の笑顔も
私の与えた悲しみに歪んだ顔も
開ききった瞳孔に
映っては消える走馬灯
天国の扉が開いている今
どんなバトンも手渡せなかった後悔が
涙となって頬を伝う
今はまだ・・・と言い訳しながら
求めつづけたものすべては
初めから
降りそそいでいた
それなのに
ごめんもありがとうももう届かない
開ききった瞳の奥を
遠い雲がただ流れるだけ
いいなと思ったら応援しよう!
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