魂の螺旋ダンス(32)カルトとは何か
・ カルトとは何か
「カルト」という言葉は、もともとキリスト教プロテスタントの立場から見て異端とされる宗教集団を呼ぶ言葉であった。
この時、プロテスタントの立場からは、「自らもまた誕生の瞬間においては、一つの異端ではなかったか?」という視点が、すっぽりと抜け落ちてしまうらしい。
そもそもキリスト教もその初期においてはイエスを中心とするラジカルな異端集団だった。
またプロテスタントについて言えば、ルターらの宗教改革も当時は一つの異端的運動だったと見ることもできる。
確かに、時の国家権力や有力者と結びつき体制内化した宗教は、異端としての「カルト」ではなくなる。
だが、留意しておくべきなのは、その体制内化した状態がいわゆるカルトよりも、「まし」であるかどうかは保証の限りではないという点だ。
むしろ超越性宗教が、体制内宗教として軍事力と結びついた時、それは侵略性を帯びて、残虐の限りを尽くすことは、見てきたとおりである。
共産主義という名前の、歴史を神とするある種の超越性宗教についても事情は同じである。
私はマルクスの著作(特に初期)には、大きな共感を覚える部分もあるが、それが体制内「宗教」となって軍事力と結びついた姿には、深い戦慄を覚えてきた。
「カルト」と、「侵略性を帯びた絶対性宗教」とは、いわばポジとネガの関係にある存在である。同じコインの裏表と言ってもいい。
どちらもラジカルな宗教集団として出発するが、体制に順応して発達を遂げることができず、内閉していくときそれは「カルト」となる。
そして、時にそれらは体制側からの弾圧を受けたり、自ら自滅的な動きを展開したりして、大きな事件を引き起こす。
アメリカ合州国などでは多くのカルトが生まれてきた。
特に一九七〇年代以降は、新しいタイプのカルトが次々と誕生した。
アメリカだけでも現在カルトの数は約三千あるといわれており、信者数で言うなら三百万人とも言われる。
中でも、大きな事件に発展したものだけ取り上げ列挙してみよう。
一九七八年、人民寺院の信者たちが、南米のガイアナで集団自殺。九一七人が亡くなった。
一九九三年、ブランチ・デビディアンという教団とFBIが銃撃戦。
結果、自ら火を放ち、八〇数人が集団自殺した。
一九九四年、太陽寺院の信者が、スイスとカナダで同時に集団自殺。
後追いを含めて七四人が亡くなった。
一九九七年、サンディエゴの天国の門の信者たちが、UFOに乗って崇高なレベルへ旅立つとして集団自殺し、三九人が亡くなっている。
これらのカルト事件に共通するものは、「真実は自分たちにあるのに、世界中が束になって自分たちを弾圧しようとしている」というような強い強迫観念にとらわれ、自滅的な行動に出たり、集団自殺してしまうというパターンである。
このような中で一九九五年三月、日本で生じたのがオウム真理教による地下鉄サリン事件であった。
当時アメリカに住んでいた私は、四月三日付けの英語版「TIME」誌を持っている。
表紙は一面、麻原彰晃の正面顔写真に埋め尽くされている。
オウム真理教についての特集記事の中、私が特に関心を持ったのは、34ページのコラム記事であった。
「Lost without a faith」と題したこの記事は、リードに「戦後の精神的空白の中、日本人たちが新しい神を探している」と記している。
非常に興味深いのは、この文章の中で天皇制軍国主義を「the imperial cult」(天皇制カルト)と呼んでいる点である。
アメリカ人、特にWASPと呼ばれる「白人でアングロサクソン民族でプロテスタント」の視点から見ると、実に天皇制軍国主義はひとつの「カルト」なのである。
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