天国と極楽

メモ
江戸時代の日葡辞書には、天国はありません。ポルトガル語のパライソの訳語は極楽です。
では、天国は誰が考えた言葉かというと、イタリア人のマッテオ・リッチが聖書を中国語訳していくにあたり、天国にしたと言われています。
それが江戸時代末期から明治の初めに日本に入ってきて、日本でも使うようになりました。
だから、天国という言葉は一度中国語を通っています。ただ当の中国では現代語ではむしろ天堂と言いますが。
天国は仏教用語に関係なく、マッテオ・リッチの考案した中国での訳語を源流としています。
古い日本語は、仏教用語の極楽です。比喩として用いるときも同様で、メチャ気持ちいいとき、古い日本語では極楽じゃと言い、天国だというのはそれより新しい日本語です。

ちなみに極楽浄土は、解脱か、六道の天か、メチャ悩んだときがあります。
なんでかというと、阿弥陀経=極楽の荘厳では、そこは修行しやすい場所でまだ修行してるから。
じゃあ解脱してないから、天やん。
でも、解脱は、人間界からだけするもので、天からはできないんじゃないかと思って調べていると、往生要集だったと記憶してますが、とそつ天の内宮からは、直接解脱できると書いてあったので、極楽浄土はそれと同じようなものかと思いました。
しかし、浄土論では、極楽浄土から、還相として煩悩林、生死の園に還るので、もう一回人に生まれるんかーい。
だとしたら、人に一生ふしょして、次が解脱かーいと思ったりします。
が、
諸経典、論書に整合性があるとは限らないので考えても詮無きことかもしれません。
しかし、一応そのように考えておくと、整合性を保てるなと思いました。

いずれにしろ、キリスト教の天国と、浄土教の極楽浄土は、思想的背景が違うので、日本語としては、キリスト教については天国、浄土教については極楽浄土という用語を使うのが、混乱が少ないと思います。

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長澤靖浩
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