仏教余話
その151
ただ、1つ面白い話題がある。皆さんもよくご存知の森鴎外に『審美
綱領』という訳書がある。これはドイツのハルトマン(E.V.Hartmann,1842-1906)という人の『美の哲学』Philosophie des Schoenenという著書を共訳したものらしい。このハルトマンには、『無意識の哲学』Philosophie des Unbewasstenという有名な本があり、ネットでハルトマンを調べると、ユングに影響を与えたともある。森鴎外も大いに、ハルトマンの影響を受けたらしく、大塚美保氏により、以下のように綴られている。
鴎外がハルトマンの審美学に立脚し、芸術表現の最高段階を「小天地想」〔しょうてんちそう〕に置いたことはよく知られている。…こうした審美学を支えているのが、ハルトマン自身の無意識哲学である。…無意識哲学における唯一絶対の世界原理は「無意識(無意識者)das Unbewusste」であり、…鴎外は、無意識哲学に由来するミクロコスモス(小天地主義)の世界観を、仏教の「相即相入」〔そうそく・そうにゅう〕の世界観との類比関係において捉えているのである。(大塚美保「芦屋処女のゆくえー鴎外と唯識思想」『近代日本文学』50,1994,pp.2-3、〔 〕内私の補足)
鴎外は、ドイツに留学し、ハルトマン思想の先例を受けたのであろう。そして、帰国後、唯識を詳しく学び、自らの美学を完成させようとした。聊か、鴎外と『無意識の哲学』との関わりを伝えると、鴎外が感激したのは、3巻であったらしい。これについて、神田孝夫氏は、こう述べている。
この第三巻というのは、ふつう『無意識哲学』として世に知られているものではない。これは、『生理学と進化論の立場から見た無意識』(Das Unbewusste von Standpunkt der Physiologie und Descendenztheorie)及びいま一つのダーウィン批判論を併せたもので、元来は別著であったが、この第十版において『無意識哲学』第三部として組み入れたのである。鴎外に強く訴えたのは、これだった。…鴎外が共感したのは、進化論が経験的科学の立場に留まっていて、外的環境からすべてを説明しつくそうとすることを、ハルトマンが論難して、目的原理を定立し、生物の進化の裡に合目的的な、理性の活動を見出そうとし、自然科学的、或は唯物論的自然観に対抗して、理性と精神の権利を護ろうとした点である。(神田孝夫「森鴎外とE・v・ハルトマンー『無意識哲学』を中心にー」『島田謹二教授還暦記念論文集 比較文學比較文化』昭和36年、p.604)
微細な点は、不明だが、ユングにも、欧外と同じことが起こり得た、と夢想することも出来る。少なくとも、ユングが仏教学とは、別系列から「無意識」を仕入れた可能性は出てきた。まだまだ、結論まで遠い話ではあるが、唯識を再考するためには気になることではある。